「問題がある子」というから「問題のある子になる」
この記事を読ませてもらって、思い出したことがあります。
学校に初めて勤務したとき、私の周りには「助けないといけない」「何とかしないといけない」人に囲まれていました。
自分で作った現実に、どっぷりハマって振り回されていたのです。
そんなあるとき、教育雑誌だったと思うのですが、臨床心理の分野で活躍しておられる方の記事で、目に留まる言葉がありました。
「問題のある生徒だと言う(思う)から問題のある子が出来上がっていくのだ」 と。・・・たしかこんな言葉でした。
他の雑誌などでは、別の方が「問題のある生徒にどう対応したらよいか」という内容の記事が多くみられる中で、その方の言葉から空気感の違いを感じたのです。
私はそのとき、家庭的にも色々あって「大変な子ども」たちが多くいると思いながら日々奮闘していましたので、その言葉をみてハッとしたのでした。
たしかに子どもたちは手を出して助けないといけない場面もあります。
でも、問題がある、大変な子である と、こちらが決めつけるのは違うな と気付かされたのでした。
私も子どもの頃、意地悪されたりシカトされたり、まあ色々あったのですが、周りの人(親を含めて)「かわいそう」と言われることに、とても抵抗感を持っていたことが思い出されます。
単に「助けて」と言えない子であった、プライドの高い子であった とも言えますが、自分で何とか踏ん張れていたのに「かわいそう」と言われることで、「頑張れなくなる」気がしていたのだと思います。私はかわいそうな子じゃない!と、抵抗していました。笑
すべての人は、完璧な存在である
この言葉を忘れずいきます。
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