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99%の泥臭さと1%の非日常



わたしは「けいおん!」が昔から大好きで、アマプラにあると知ってから毎日毎日大切に1話ずつ通勤電車の中で見ている。
その「けいおん!」の最終話で、ギターを担いで体育館を目指し走る主人公の唯ちゃんが「あの頃のわたし、大丈夫だよ!」と心の中で言うシーンがある。やりたいこともなくて部活に入ったこともなかったけど、高校に入ってギターをはじめて仲間と出会って居場所を見つけた唯ちゃんの言葉に、電車の中で人目もはばからず泣いた。この日、わたしはようやく仕事に慣れてきたと気がついた。できることなら、唯ちゃんの心の声と同じ言葉を1年前のわたしにかけてあげたい。

委ねるように過ぎる毎日を過ごしていたけどわたしは毎日頑張っている。あの頃のわたし、今のわたしはあの頃考えもしなかった仕事を楽しみながら、食いしばりながら頑張ってるよ!





わたしの仕事を聞いたら、大概の人がすごいね!と言う。

テレビ番組を作る仕事をしている、番組制作会社の社員だ、と言うと、誰もが華やかな世界を思い浮かべると思う。芸能人とエレベーターに乗り合わせたことも、出演者の方からお熨斗のかかった差し入れをもらったことも、なんとたまたま推しと局内で遭遇したこともある。

でもそんな体験は仕事のうちのごく一部の一部でしかなくて、わたしは華やかな世界で忙しなく働いている。ADというカッコイイ名前が独り歩きしているだけでDの小間使い、もしくは雑用係の名前でもいいくらいですごくもなんともない。わたしの仕事は99%の泥臭さと1%の非日常で成り立っている。

わたしの担当する番組は生放送だから容赦ない。新入社員だからと言っている暇はなかった。

番組で出すフリップの発注のために美術さんのいる元へ何往復もダッシュし、当日のデスクからフロアに控えるデスクへと電話を取り継ぎにダッシュし、Dにコピーを頼まれダッシュし、生放送直前で間に合わないことが命取りなためピリついた美術さんにもDにもスタジオにいる人間にもサンドバッグのようにため息を吐かれ理不尽に怒鳴られる(わたしは断じて悪くない、迫り来る時間が悪いのだ)。

会社から徒歩15分のショッピングモールへ大荷物を抱えて1日2往復の買い出しをすることもあるし、上司の出前をとるために1時間待たされることもあるし(それでいてわたしは食べられない、なんで?)、大雨が降っているのについていった中継先で傘をさすなと言われてずぶ濡れで突っ立っていたこともある。

毎日が「これ何の仕事?」の連続で、先輩の背中を追いかけてしがみつく毎日を乗り越えて、わたしは強くなったなと思う。ふと、この仕事に慣れたなと実感できたのが入社して4ヶ月経った今なのだ。

急に「ADさん!」と遠くから呼ばれても走ることができるし、OA直前に「急ぎでCG発注!」と言われても吐きそうになることはなくなったし、台本を配りにスタジオに上がったとき独特な雰囲気にドキドキすることもなくなった。

毎日ドタバタすぎる日々を先輩の背中にしがみつくように過ごしていたある日(その日速報も入ってて会社がひっくり返るんじゃなかろうかと思うぐらいバタバタしてたのもあるけど)、先輩に「今日はADの鑑みたいな動きできてたよ!頼りにしてるからね!」と言われた。わたしはなんにも意識していなかったけど、流れるように過ぎていく毎日の中でちゃんと成長できていたんだ。ちゃんとADになれていたんだ。

どれだけ理不尽なことを言われようが、間に合わない覚悟で美術さんの元へ走ろうが、何往復もスタジオへ走ろうが、電話越しに怒号が飛んで来ようが、自分が発注したテロップがきちんと番組の中で使われている、わたしが持っていったフリップをちゃんと演者さんが持ってる、小間使いだろうが雑用だろうが自分が関わったものがテレビできちんと放送されていることを自分の目で確認するだけでちょっと元気になれるのだ。

そのちょっと元気になれるを繰り返して積み重ねて、わたしはちゃんとADになっていた。思いもよらない仕事に就いてしまったなぁと思っていたけれど、わたしは多分、この仕事が好きだ。



と言いつつも、オリンピックが始まってしまった。毎日弱音を吐いている。すでに毎日手足がもげるほどに走り回って色んな業務をこなしてあとこれが2週間続くんだと思うと心が折れそうになる。

でも何年後か何十年後かに、自分の子や孫に「昔東京でオリンピックしてたんでしょ?どんなだった?」と聞かれたら、「未知の疫病で大変だったんだよ!毎日オリンピックのニュースを伝えるために泣きそうになりながら番組を作ってたんだよ!」と、笑いながら話すことができるかな。


もう次オリンピックするときにはここにはいたくない……….と腹を括ったところで年が明けたら冬季オリンピックで6月にはサッカーワールドカップも待っているという事実に戦慄している。わたしのAD卒業宣言は、まだまだ封印かもしれない。

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