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スマイルトゥルーで歯列矯正①

歯列矯正のきっかけ

タイトルの通り、先日歯列矯正を開始した。
歯列矯正というと、歯が動きやすい中学生までに…という人は多そうだ。実際に小学生や中学生の頃に歯列矯正をした人もいるだろう。私の周りにも何人かいた記憶がある。

私は現在(30代)に至るまでに歯列矯正は一切してこなかった。
歯列矯正をしなくても日常生活を送る上では至って問題なかったからだ。
しかし、私は歯の大きさに対して顎がやや小さいため、少しずつ前後左右にずれてひしめき合いながら歯が生えているらしい。
上の前歯2本が突出し、下の前歯4本が前後に重なるように生えているのは、つまりそういうことなのだろう。

今回、歯列矯正を決めたのは、歯並びを美しくしたいという理由の他、歯列を整えることで歯周病のリスクを低減し、長期的に見ても健康維持に効果的だと考えたからだ。

歯周病菌は非常に厄介だ。
歯周病の原因菌によって動脈硬化が進み、狭心症や心筋梗塞、脳梗塞が引き起こされたりする。
また、妊娠中に歯周病に罹患していると、低体重児および早産の危険度が高くなる。口の中の歯周病細菌が血中に入り、胎盤を通して胎児に直接感染するのではないか言われているのだそうだ。なんとも恐ろしく、そんなことになったら我が子に申し訳ない。

あとは単純に、自分の歯をなるべくたくさん残すということだ。
病気や事故などで歯を失っても、インプラント等で補うことは出来る。しかし、そういったものは手術が必要になる上、非常に高価だ。素材にもよるが、1本だけで10数万。高い物は50万を超えるものも。
それが、数十万の初期投資で賄えるとしたら、非常にコスパが良く、手軽だ!


歯にまつわる思い出

私は幼い頃から歯磨きが大嫌いで、歯を磨く習慣があった記憶がない。
それでも体質なのかただ運が良かっただけか、すこぶる丈夫な歯に恵まれた。さっぱり歯磨きをせず親も呆れていたというのに、虫歯はおろか、小学生の時には「よい歯のコンクール」で大賞に選ばれてしまう始末。(よい歯の基準とは…)
毎日一生懸命磨いているであろう友達が虫歯で苦しんでいるのを知っていたので、なんだか気まずかったのを覚えている。

初めて虫歯が見つかったのは小学生6年生の頃。初期虫歯だったためチョチョンっと削られて終わったが、自分の咥内に器具が入り込んでくるという、非常に恐ろしい体験として記憶された。

それでもなお、歯を綺麗に磨く=虫歯で歯医者にかかる頻度が減る という考えに至らず、歯磨き嫌いは続いた。

大学生の頃、右上の親知らずが頭を出した。これまたすこぶる健康な歯で、まっすぐ真下に生えてきたものだから、噛みあう下の歯肉が腫れて痛み出してしまった。
耐えられなくなり、下宿先からほど近い歯科医院の門を叩いた。優しそうなおじいちゃん先生の手により、親知らずは真っ平らに削られた。他人の目に触れるものでは無いものの、なんだか間抜けな感じだった。

「ゆくゆくは抜いちゃおうね」

衝撃が走った。なんでもない事のようにそのおじいちゃん先生は言う。この虫歯でもなんでもない、すこぶる健康な、大きな大きな大人の奥歯を抜いちゃおうというのだ。頭がおかしいと思った。震えながら大学寮へ帰り、二度とその歯科医院には行かなかった。

大学のキャンパスが替わり、ド田舎から少し街中に住むようになった頃、右下の歯肉に亀裂が入った。亀裂の中身を目視は出来ないが、舌先で探ってみると硬いものに当たる。どうやらまた親知らずが出てこようとしているらしい。
しかしながら、歯肉が裂けているというのに一滴の血も出ないとはなんとも不思議。歯肉はぱっくりと割れている。脳内BGMがしばらく珍島物語になった。

この頃の私はというと、「病院に行くとなんだか周りが優しく労わってくれる」という学びを得ていたため、歯科医院へ行くことへも迷いが無かった。
一人暮らししていたマンションの最寄駅前、目についた歯科医院にひょいっと入る。予約制だったようだが、快く通してもらえた。

院長先生は非常に若く、30歳前後に見えた。
削られた右上の親知らずと、歯肉を割いて出てこようとする右下の親知らずを診せる。


「抜きましょう」


お前もか!
抜くしか選択肢がないのか!


しかし、病院LOVERと化していた私は、お兄さん先生の言葉に「はい、抜きます」と素直に答えていたのだった。


続く

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