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宝塚RRRの感想① 総評

感想?妄想?
宝塚歌劇団のRRR大劇場公演を見てきました。
元々20年超の宝塚ファン(ただしここ最近は休眠中)、映画RRRは劇場で22回見ています。たぎる熱い思いでチケットを握りしめて遠征してきました。幸い中止にもあたらず、滞在3日間で5回いろんな席でみて、大満喫してきました。ネタバレ等の配慮は特になく、読みやすさも考えず、ほとばしるまま特濃感想いきたいと思います。

あとでシーンごとで超細かく書いていこうかと思うのですが、そこにうまく書けなさそうな総評を先に書きます。

見て最初の感想としては、自分の生死を疑いました。もう死んで幸せな夢を見てるんじゃないかなって。(その後ヴィオレトピアだし…)
そのくらいの完成度でした。だって、大好きなRRRが、大好きな宝塚で、でも制約が多い中で、これ以上できないってくらい素晴らしい発展がなされたこと。
こっちゃんなこちゃんだけでなく、ありちゃんや、きわみさんやぴーすけさんやちぐさんや星組で一番のご贔屓のこりんさんや…あかん全員書かないといけない、とにかくみんな本当にRRRをよくわかって、宝塚化するためにどうすればいいか考え抜いてくれたこと。
もちろん演者だけでなく、スタッフのすばらしさも感じ取れたこと。
「ちょっとグロいんじゃないかって不安でRRR見てないのよね」っておっしゃってた近くの席のお姉さまが、客電ついた瞬間に「おもしろかったー!」って言ってくれたこと。
代理店が売り込んでる覇権アニメじゃなくて、コンテンツの力だけで走ってきたRRRが、日本公開から1年足らずでここまで到達したこと。
もう感慨深すぎて、幸せすぎて、私生きてるー!じゃなくて、私…死んだ?って疑いました。今でもちょっと疑ってる。

「宝塚化」について、一言では言い表せないのですが…一番近い存在として思いついたのがあれ、セブンのエリックサウスビリヤニ。
そりゃエリックの店舗で食べるのとは別物だけど、セブンでここまで作れたらすごいよね。むしろ感動するおいしさだよね。
っていうのが、RRRの映画とは別物だけど、宝塚でここまでやれるとかどういうことだ、もうありがとう世界!!!というかんじとにているかなと。もちろん宝塚の方がチープという意味ではないですよ。むしろチケット高いしとれないし。フィールドが違うが故にベストを尽くした形も変わるよね、ということです。
分かりづらいたとえ話で申し訳ないのですが、もう言語化の限界だ。オタク瀕死。

味わいでいえば(味わい???)思ったより薄味でした。でも薄味だったことについて谷先生を褒めたたえたいです。もっと押しつけがましくRRRすごいやろ!宝塚すごいやろ!俺すごいやろ!ってアプローチで来るかと思ってたんですけど。あっさり「宝塚の2本立ての前半のお芝居」としてまとめきった。南インドのカレーが意外とさらっとしてるのに近いかもしれない。(食べ物から離れなさい)ちゃんとRRRをちゃんと宝塚のお芝居にしたらこうなった、というまっとうなアプローチで、いわば谷先生のエゴを最低限にして、作品に全てを語らせた。宝塚の演出家が意外とできないことです。谷先生、なしとげました!!
RRRのみしか評価できませんが、インドまでかっとんでいくほど大好きな作品をいじるにあたり、エゴを抑え込んだという一点において、私の中で谷先生は植爺を超えました。小池先生に並ぶほどだと思いますが、最近の小池先生はそもそもエゴが薄いから作品愛の面であんまり比較したらかわいそうな気がする。
(久々のオリジナル作が控えているのはいいタイミングですね…こちらも名作であれ。)

「宝塚化」の前提となる「舞台化」においては、ものすごく細かいところで映画をトレースしているため、初見では「違う」ところで感覚的にひっかかりました。大きなところでは、既報の通り主要楽曲はそのまま反映されている反面、BGMが全て違います。カーキで隊列から登場するラーマ、だけどFIREの「だらららららん」じゃない。集会で完璧な角度でラーマの方に手をかけるラッチュ、なのに音楽が違う。ジェニーからマッリのことを聞いて衝撃を受けるビーム、の背景で完璧なタイミングで音が鳴るのに、アレじゃない。宝塚オリジナルソングとか、大きく違うところは逆にひっかからないんですが、あれあれあれ?って脳に見えない負荷が残っていって、でもいろいろ素晴らしくて、メモリ負荷でぷしゅっと、なったんだろうな。初回。展開はスピーディーなので、その負荷を飲み込む暇はなかったです。
BGMもそのままにしてくれたらそれはそれでみたい(し、↑の通りあの曲をかけたいんだろうな、ってポイントだらけだった)けど、変わったことが悪いとも思いませんでした。宝塚オリジナルソングもあることだし、宝塚として馴染ませるには楽曲だけ借りるっていう今の距離感がベストかもしれません。
というか、そのレベルで引っ掛かるタイミングで、毎日生身の人間が演じて、毎日生身の人間が演奏したり音楽かけ始めたりしてるの、ちょっとすごすぎませんか。映画でもフレーム単位でこだわる監督にキーラヴァ―ニ先生が言語化されてないところまで読み取ってやってる(いとこだからね、という文脈)みたいなインタビューを見た覚えがあるんですが…その表現のトレースとはいえ、毎日毎日ミクロ単位では変わるだろう完璧なタイミングをトレースしているのは本当にすごい。生演奏の部分と録音の部分があるので、一人の天才が賄っているということもありえず。本当に団体戦で、全員がいい仕事をしないと成り立たない。

あとやっぱりみんな脇でもいろいろ楽しいことやっててまじで目が足りないのでそれも見たいってなってメモリ負荷。
なので初回より、違うのね、って慣れた2回目の方がはるかに面白かった。脳の反射なのでこれは慣れるしかない気がする。

出演者についてはシーン毎で書こうと思うので、スタッフについて続けますが、今回装置はあんまりお金かかってないなって思いました。
虎はなんか既存の台に虎くっつけたかんじ、櫓も組み換えアレンジしてておそらく1セットだけ、大部分ありものでできそう。吊りは星型の格子だけ?映像出せる紗幕はもちろんありものだし、LEDも予算的にはたかが知れてる。背景セットで大きいのは総督邸のバルコニー部分と、森の木くらい。
ただ、これってけちったわけではなくて、今回は装置にお金がかけられないという方針の中、装置の皆さんが全力を尽くしてくださったからこれだけで済んでるんだなって思いました。使い方がうまかったし、効果的だった。具体要素が少なくて抽象的といってもいい。谷先生は映画のファンだから、あまり具体的にしない方が、映画のファンはそこにないものを勝手に見るだろうって思ったのかもしれない。こういう職人芸、大好物です。

じゃあ何にお金をかけたかというと、一番目についたのは衣装でした。それもナートゥのドレス。おそらく膝上に一本輪っかが入ってるけど、すごく軽そうで、ふわっふわだけどパニエもりもりってかんじでもなく。すいません中身みせてもらっていいですか。そう、ナートゥを踊っても淑女のスカートの中身が見えないスペシャルドレスなんですよ。前半のワルツでも全く違和感なく、ナートゥでは左右の裾が分かれているために正面がめくり上がらず非常に上品に踊ることができる。これを娘役全員分作ったとなるとなかなかだな、という気がします。宝塚は大羽根に代表されるように豪華な衣装で魅せるのも伝統の一つですから、これも宝塚化の上で非常に効果的な投資であったと思います。
予算的に、ラージャマウリ監督にはどんどん貢いでくれと思うけど、まるっと許諾受けてる一本物よりはだいぶきっとかなり安いんじゃないかな。

大好きなRRRだからこそ、スターさんの魅力だけでなく、スタッフさんのお仕事ぶりでぶん殴ってきてくれたのが本当にうれしかったのです。宝塚は数人のスターだけで成り立っているものではない。これは久々の生観劇だったからこそ感じられたことかもしれません。


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