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祖父と私と万年筆

私がはじめて万年筆に触れたのは、小学校中学年頃のこと。
ある日唐突に、祖父が二本の万年筆を持ってきたのがきっかけだった。
革の風合いのある黒のボディに金の金具のものと、
アルミのような質感の銀軸に花の柄がプリントされたもの。
祖父は私に花柄のものを使わせたかったようだったが、
私が気に入ったのは一番重厚感のある黒に金のものだった。
黒の革巻き胴軸が、強い存在感を放っていたのをよく覚えている。
……とはいえ、このころの私は本革を張った文房具なんて
見たことも聞いたこともなかったし、小学生の手に渡されるのだから
どうせ革風の加工を施したビニールかシリコンだとばかり思っていた。
よくよく見てもどこにも革の継ぎ目らしきものもないし、薄くて軽い。
シボもかなり均一に揃っていて、模様も色味もムラがほとんどない。
こんなに整った本革があると思えなかった。
せいぜい真っ黒な人工皮革素体に型押し圧着した、程度に考えていた。
それでも日頃プラスチックのシャーペンしか使わないような小学生の手に、
黒々と艶めく万年筆は、ずっしりと重たく思える。
キャップを引き抜くと金色に光る爪型ニブ。
革の胴から引き抜く仕草にちょっと刀に似た趣を感じてときめく。
抜いたキャップは尻軸に着けろと言われたが、邪魔くさくて外していた。
キャップトップにも尻軸の先にも、小さくまるくくり抜いた革が貼ってあり
その精巧な細工が、よりそのペンの存在感を確かなものにしていた。
これはプラチナだぞ、インクがなくなったら文具屋で買えるからな、
と使い方を教わって、祖父の手持ちのカートリッジインクももらった。
私は深く考えもせず二本とも譲り受けて落書きなんかに使っていたが、
さすがに小学生、ペン先の書き味がどうとか細かいことはわからず、
万年筆で書くとなんだかプロの漫画家になったみたいな線が描けるなあ、
なんて考えていた。当然、そのうちインクがなくなった。
祖父にもらった替えのインクもなくなってしまい、
一度祖父と新しいカートリッジセットを買いに行ったことはあれど
自分ではインクを買うという発想もなく引き出しにしまい込まれ、
実家の増改築とともにいつしかどこかに行ってしまった。
思い出して実家に連絡してみたりもしたが、行方は知れず。
子供の頃の持ち物と一緒に捨てられてしまったのかもしれない。
私は昔から物の多い子供だったし、すでに実家を出ていたから、
捨てる際にいちいち連絡してくるのが手間だったのだろう。

時を経て、万年筆を再度趣味にしだした頃から、
この祖父の万年筆を特定し、いつか手に取りたいと思っていた。
小学生の頃より万年筆への知識を深め、今なら大事に使える自信もある。
昨年末祖父が亡くなって、この気持ちは加速した。
田舎の鄙びた温泉街には似合わぬ深い教養と知的な趣味の多かった
教養人な一面があった祖父の背中を追いかけたかったのかもしれない。
祖父が言うにはプラチナ製のこの万年筆は、あれこれ調べた結果、
おそらくプラチナ旧シープだろうとアタリを付けた。
というか、他になかった。
プラチナ、爪型ニブで革(or革風)のデザイン、黒の金ニブとなると、
もうシープかリザードくらいしかない。
いくら小学生時代の私に見る目がなかったとしても、
エキゾチックレザーでなかったことは確実にわかる。
というわけで、検討の末メルカリで捕獲した。
インターネットが発達した現代では、セピア色の思い出もメルカリで探せるのだ。

プラチナ/旧シープ

手にしてみて、あれ、こんなに軽かったっけ、こんなに細かったっけ、
という思い出とのイメージギャップはあったものの、
何せ最初に触ったときは小学生だったわけだし、
そこからなんらかの思い出補正がかかっていてもおかしくない。
キャップトップと尻軸に貼られたレザーもしっかり記憶通りだった。
しかもこれ、ちゃんと本革なんだそうで……
昔の私が継ぎ目を見つけられなくても無理はない。
だって今の私も全然わからないんだもの。
この辺りはプラチナ社の超絶精巧な加工技術の賜物……だそう。
知れば知るほど小学生に持たせるにはもったいない逸品だと思うが、
もしかしたら祖父は同じ趣味を持つ友人が欲しかったのかもしれないな
などと思いを馳せるのだった。完。

ちなみに花柄の方は、おそらくショート万年筆じゃないかと思います。
撫子の花か何かが印刷されてるやつ。


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