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読書は疲れるから嫌いだ

僕はこのnoteで読書についての記事を20以上書いてきましたが、正直いうと僕は読書が苦手です。時には「嫌いだ!」と思う時さえあります。文章を読んでると目が疲れてくるし、本を読んでる時は基本的にじっとしているので、身体が強張り肩こりなどの原因にもなる。だから、読書というものは苦痛を伴うのです。

それなのに、相変わらず本を読んでいるのはなぜか?それは、読書の苦痛を受けてでも読みたい本があるということに尽きます。読んでいて「興味深い」「面白い」といった(広い意味での)感動があるから読む。

これは読書に限りません。たとえば映画館で観る映画も同じで、同じ椅子に2時間程度座りっぱなしで、あまり物音を立てずに、目の前のでかいスクリーンを見続けなくてはいけない。これで上映されている映画がつまらない作品だったら苦痛以外の何ものでもないでしょう。しかし、面白い映画であれば我慢できる。というか、椅子に縛りつけられていることが気にならないほど没頭してしまう。

ところが読書となると、そこに「勉強」とか「知的なもの」という観念がつきまというせいか、「ある程度の苦痛を我慢しながら読むもの」と思い込んでいる人が少なくないように感じます。もちろん、読書には先ほど述べたような苦痛はつきものなので、それなりに我慢しながら読むものではありますが、そこに(広い意味での)感動がなければ、ただの苦痛な行為で終わってしまいます。

ですから、何が言いたいのかと言いますと、苦痛なだけの読書はしなくて良いということです。別の言い方をすれば、読みたい本を読む。読みたいから読む。

「読書が苦手だ」という方はたくさんいらっしゃると思いますが、僕が思うに、そういった人は自分の琴線に触れる作品や著者に巡り合っていない可能性が高いのではないでしょうか。そういった本に出会っていないから、読書は疲れるだとか、読むのには意志力が必要などいった思い込みが先行してしまっている。

自分に合う本に出会うのは意外と難しかったりします。どんな本が自分に合うのかは実際に読んでみないと分からないところがあります。だから、いろんなジャンルや作家の本にどんどん手を出してみる。読んでてちっとも感銘を受けない本は無理して読まなくて良い。

僕はよく読書をする方だとは思うけど、それは別に読書という行為が好きだからではない。どうしても読みたい本があるから読んでいるだけです。

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