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「二重の盾」について

二重の盾を超えて真理の光に到達する

コース(奇跡のコース/奇跡講座)の実践において、私たちは、原因に戻る、つまり、心に戻ることをしていきます。

ワプニック博士の言葉を使うなら、「心の決断の主体」のサークル(空席となっている場所)に戻ることをしていくわけです。

そのために、私たちは、「二重の盾」を超えていかなければなりません。

「二重の盾」とは、コースで出てくる言葉です。

ですが、コースの学習者ですらも、この「二重の盾」の意味をしっかり理解している学習者は少ないといえるでしょう。

「二重の盾」とは何なのか?

「二重の盾」を超えていかなければならないとは、どういうことなのか?

そのことを明確に理解していないかぎり、赦し(の3つのステップ)はあり得ないと言うことができます。

「外側に見ている世界は心の投影である」とただ気づいていくだけではまったくの不十分であるだけでなく、コースの実践でしていく「赦し」はそのようなものではないということです。

それだけなら、コース以外の多くの非二元(ノンデュアリティ)のスピリチュアリティでも教えられていることです。

ようするに、「この世界は幻想なのだ、実在しないのだ」とただ否定していくだけのような実践は何の助けにならないということです。

コースでは、そのような実践を、「とりわけ無価値な形の否定」(T-2.IV.3:11)というふうに述べています。


”否定の中でもとりわけ無価値な形の否定に携わっている”(T-2.IV.3:11)

奇跡講座/中央アート出版社


コースの赦しの実践において私たちに求められているのは、外側に見えているものは投影であると気づいて内側に戻る、つまり、その源である「心」に戻っていくということです。

ただし、実際には、内側に戻っていくことはそう簡単ではありません。

というのも、私たちはどのようなことをしてしまうかというなら、内側に戻らずに、動揺の原因を外側のせいにして投影し続けることをしたり、

あるいは、

非二元の教えをそのまま持ち出して、「私たちは神と一つなのだ、本来は神(の子)なのだ、本当は愛なのだ」というふうに真理を言い聞かせていくことによって、自分の内側で納得させていくような実践をしてしまうのです。

つまり、それが否認、抑圧、隠蔽と呼ぶものです。

ようするに、内側にあるもの(罪、罪悪感、恐れ)を直視しようとしないわけです。

そうすることによって、私たちは、この外側の世界から影響を受ける被害者になって、この世界を実在化させてしまうのです。

ですから、まずは、そのような私たちの無意識における精神力動を自覚/認識していくことが大事です。

そうすることによって、次第に、世界は投影であることに気づいて、そして内側(心)に戻っていくことができるようになっていくといえます。

それが、私たちが超えていかなければならない「二重の盾」のうちの、まず一つ目の盾です。

そしてさらに、私たちは内側(心)に戻ったならば、そこにあるもの(闇)を直視していくことが求められています。

それが、二つ目の盾です。

つまり、内側に隠されているもう一つの夢(罪、罪悪感、恐れの夢)も通り抜けていかなければならないということです。

そのもう一つの夢を、コースでは「密かな夢」(T-27.VII.11:7)と呼んでいます。

この「密かな夢」こそが、私たちが自覚/認識しなければならないものであり、その夢(罪、罪悪感、恐れの夢)をも通り抜けていくということです。

私たちは闇(幻想)を通り抜けて光(真理)に到達するのだということです。

そのためには、内側にある闇(罪、罪悪感、恐れの夢)を直視しなければならないということです。

光(愛)は闇が取り消されたその向こう側にあるのであり、その闇(密かな夢)を通り抜けていかない限り、光(愛)はあり得ないわけです。

ちなみに、愛の存在、光の存在、その象徴をコースでは「聖霊」「イエス」と呼んでいるということです。

要約するならば、

コースの赦しの実践において私たちがしていかなければならないのは、

まずは、投影に気づいて心に戻っていくこと。

そして、心の中に隠されている闇を直視していくこと。

つまりは、それが、「二重の盾を超えていく」ということの意味です。

それらを通り抜けていくならば、それらすべてが自分が望んででっち上げた虚偽だと認識することができます。

取り消しは、そうやってなされます。

知覚の訂正は、そのようにしてなされます。

そのとき、そこには平安があります。

愛の臨在に触れることができます。

コースでいう「赦し」「奇跡」とは、そういうものだということを知っておくと良いでしょう。


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