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理由のない恐れはどこからやってくるのか?なぜやってくるのか?

存在論的罪悪感と存在論的恐れについて

真理から見るならば、この世界にいる誰もがみんな自分自身に嘘をついて欺いている、と言うことができます。

その嘘とは、自分とは誰なのか?という自分の本性(真のアイデンティティー/真の自己)についての嘘です。

本当は一なる神のひとり子であるにもかかわらず、自分をその真逆である個別の存在として、個人の人間だとしてしまって、自らを欺いているということです。

本当の自分というものをまったく忘れてしまって、その代わりに自分で作り出したニセモノの自分になりきって、それを自分だと信じているのです。

さらには、それが起因となって、この世界(宇宙物理空間)をも作り出し、その嘘をさらに堅固なものとしようしているわけです。

それが、私たちがしていることです。

つまりは、誰もがみな、そのようにして自分自身をずっと欺いて、自分自身を騙し続けているということです。

そう、私たちは嘘をつき続けているわけで、それゆえに、私たちは何らかの違和感を抱かずにはいられないのです。

その違和感とは、あのずっしりとした重苦しい感じのあの感覚です。

それは、誰もの内側にあります。

私たちの誰もの無意識に隠されています。

その重苦しい違和感こそが、「罪悪感」と呼んでいるものです。

その罪悪感を言葉で表現するなら、以下のようなものです。

「自分はいけない存在なのだ、自分は何かとんでもないことをしてしまった、だから、いつかきっと叱られる、責められる、罰せられる、非難される、攻撃される、、、」というものです。

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