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夢に留まり続けるのか?夢から目覚めるのか?

ジャッジメントか?ヴィジョンか?

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践において、私たちがフォーカスしていくべきなのは、自我を教師とするのか?聖霊を教師とするのか?ということです。

そして、私たちがしていく実践は、自我を教師とする代わりに聖霊を教師として選び直していくことなのだといえます。

自我を教師としているなら、その知覚はジャッジメント(裁き/価値判断)というものになりますし、

一方、自我を教師とする代わりに聖霊を教師として選び直していくならば、その知覚はヴィジョン(心眼)がもたらされることになります。

つまり、私たちは、

ジャッジメントか?ヴィジョンか?

そのどちらかを選択をしていくのかが問われているということです。

そして私たちが自覚しなければならないのは、通常、私たちはヴィジョンではなく、いつもジャッジメントのほうを選択しているということです。

つまりは、私たちはいつも自我の教師を選択している、常に自我と共に見ている状態にあるということです。

ですから、私たちはコースの学びと実践を通して、自我を教師とする代わりに聖霊を教師として選択し直していくことが求められているわけです。

聖霊を教師として選び直していくとき、「ヴィジョン」の知覚がもたらされるわけですが、それをコースでは「奇跡」と呼んでいます。

そう、私たちは「奇跡を行う者」として何を目指しているのか?

というなら、それは、ジャッジメントではなく、ヴィジョン(真の知覚)を修得していくことを目指しているということです。

ちなみに、そのときにもたらされる「(聖霊の)ヴィジョン」とは、どのようなものなのか?

というと、知覚されるものすべてが全一に虚偽であると知覚されています。

それは、コース形而上学に基づいて実践(適用)していくことで、知覚の訂正というかたちでもたらされていきます。


 奇跡はただ惨状を見つめ、そこに見えるものが虚偽であると、心に思い出させるだけである。(W.pII.13.1:3)

奇跡講座/中央アート出版社


ヴィジョンか?ジャッジメントか?
(心眼か?肉眼か?)

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