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「奇跡」とは、この世界を超えたもう一つの見方を思い出していくための方法である

なぜ私はこの世界にいるのか?

「私」という存在は何なのか?

なぜ、「私」はこの世界にいるのか?

なぜ、天国(ワンネス)ではなく、分離の世界にいるのか?

そのような自己の本質に関する疑問に対して、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)はその答えを明確に示してくれているといえます。

その答えは、つまりは、私たちが神の愛を恐れているからと言うことができます。

神の愛を恐れているから、私たちはこの世界にいるのだということです。

神の愛を恐れていないなら、もはやこの世界になどいないということです。

もっと正確に言えば、私たちは神の愛を恐れているがゆえに、神の愛から逃れるためにこの世界にいるのだということです。

つまり、この世界にいる私たちは、「投影」という手法を使って神の愛に対する恐れから逃れ続けているのだということです。

そのことを真に理解するとき、ようやくあなたにとっての真の癒しのプロセスははじまるといえます。

いわゆる、目覚めへと向かう歩みがはじまるということです。

目覚めとは、

自分とは何者なのか?
自分はどこにいるのか?
自分は何をしているのか?

ということについて思い出していくということです。

それは、真の自己(真のアイデンティティー)を自覚/認識していくことというふうにもいえます。

では、どのようにして私たちは目覚めていくのか?

というなら、

「投影」ではなく、「奇跡」という手段を使っていくということです。


奇跡とは訂正である。それは創造することはせず、実際、何の変化ももたらさない。奇跡はただ惨状を見つめ、そこに見えるものが虚偽であると、心に思い出させるだけである。(W.pII.13.1-3)

奇跡講座/中央アート出版社


目覚めとは真の自己を思い出すということであり、そのために「奇跡」を活用していくのだということです。

そのために、まずは、自分は神の愛を恐れているということを自覚/認識していくことです。

そして、その「恐れ」こそが自らでっち上げた信念であるということを理解していくことです。

そのようにしてその「恐れ」が疑問視されていくとき、つまり、コース形而上学に基づいて直視されていくとき、知覚の訂正が起きます。
(聖霊と共に見るならば、聖霊によって訂正されるとは、そういうことです。)

その実践が「赦し」であり、その訂正のことを、コースでは「奇跡」と呼んでいるということです。

「赦し」によって知覚の訂正を経験していくにしたがって、あなたの知覚はこれまでとはちがったものになるでしょう。

その知覚とは、私たちがこれまでまったく忘れてしまっているこの世界を超えたもう一つの見方だといえます。

いわゆる、「ヴィジョン」と呼ばれているものです。

その見方こそが、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して私たちが思い出していくべき知覚の仕方/真の知覚であるわけです。

コースはそのための霊性の道であり、だからこそ、このコースは奇跡のコース(ア・コース・イン・ミラクルズ)と呼ばれているのだということを覚えておきましょう。


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