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「長期的な赦し」と「短期的な赦し」について


自我をエゴフリー(自我のない状態)から見る

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の実践は、「長期的な赦し」と「短期的な赦し」に分けて捉える必要があります。

というのも、もし、「長期的な赦し」の目標と「短期的な赦し」の目標を混同してしまうならば、間違った実践をしていくことになるからです。

そのことについてワプニックさんは以下のように述べています。

"The goal, the short-range goal, is not to be ego-free. It is to be ego-free of your ego. Big difference. Not to be ego-free but not to have an ego reaction to your ego, meaning, you don't call yourself dirty names. The more practice that, the long-range goal of letting go of your ego entirely will just autmaticaly happen."

”短期的な目標は、自我をなくすことではありません。それは、自分の自我から離れるということであり、 そこには大きな違いがあります。 自我をなくすことではなく、自分の自我に対して自我の反応をしないこと、つまり、あなたは自分自身を咎めずに見るということです。それを実践すればするほど、自我を完全に手放すという長期的な目標が自動的に達成されるでしょう。”

facim.org


自我を愛のまなざし、赦しのまなざしで見る

コース学習者の私たちにとって、「長期的な赦し」の目標は、もちろん、エゴフリー(自我ゼロ/自我なし)になることなわけですが、ただし、日々の実践の中でそうならなければならないとしていくなら、かえって私たちは自我と戦うことになり、自我を強化させるような間違った実践をしていくことになります。

つまり、日々のコースの実践においては、私たちは「短期的な赦し」の目標を目指していくということです。

それは、自我をエゴフリー(自我のない状態)から見るということです。

それをしていくことによって、いつのときか、エゴフリー(自我のない状態)になるときがやってくると、ワプニック博士は述べています。

以上のことからも分かりますように、私たちがしていく実践は、エゴフリー(自我のないところ)から自我を咎めずに見るということです。

「自我のないところ」とは、コースでいえばつまり、聖霊(正気の思考体系)と共に、ということです。

それは、自我を否定していくのではないということです。

むしろ、自我を愛のまなざし、赦しのまなざしで見ていくということです。

私たちが日々していく赦しの実践はそれだけなのだといえます。

そうしていくことで、エゴフリーになっていくだけでなく、自分が誰なのか?何者なのか?を思い出していくことになるのだということです。


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