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なぜ孤独を感じるのか?


「神から離れる」「神から分離する」とは?

「神から離れる」「神から分離する」とは、いったいどういうことなのか?

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学びはじめたばかりの頃というのは、その意味がなかなか理解できないどころか、まず、何のことかピンと来ないといえるでしょう。

学びが深まっていくことによって、その意味が腑に落ちてくるといえるでしょう。

言えるのは、受け入れられる準備が整ったときに、その理解は起きるといえましょう。

そう、「理解」とはそういうものであることを知っておくと良いでしょう。

それは、実感とともに、体験的に理解されていきます。

実際には、コースの学びが深まっていくにつれて、自分の内側に内在している存在論的な罪悪感や恐れに直面していくことになります。

その罪悪感や恐れといったものこそが私たちが正視していくべきものだということです。

そして、それらを正視していくならば、それらが「神から離れた」「神から分離した」という想念を信じたときのあの原初の瞬間の感覚なのだということが理解されてくることになります。


毎日、毎分、刻一刻、あなたは恐怖の時間が愛の座を奪ったあの一瞬を再び生きているだけである。(T-26.Ⅴ.13)

奇跡講座/中央アート出版社


離れるとは?分離するとは?

「神から離れる」「神から分離する」とは、どういうことなのか?

それは、本当の自分から離れる、ということです。

どのようにして本当の自分から離れるのか?というと、自分で作り出したニセモノの自分を自分だとして信じることによって、です。

それによって、本当の自分は誰なのかを忘れてしまうわけです。

そして、「自分は神に見捨てられた」という孤独感、絶望感といったものをよりリアルに感じることになるといえます。

また、別の視点から、

「神から離れる」「神から分離する」とは、どういうことなのか?

について言うならば、

それは、「一なるものとしてつながっているワンネス(一体性/全体性)」(T-25.Ⅰ.7:1)から離れるというふうに言うこともできます。

それは、全体から離れるということです。

私たちはその被害者となったふりをするのです。

そして、全体から引き離されたという感覚を、孤独感、疎外感、絶望感、喪失感、として私たちは知覚します。

コースの観点からみるならば、じつのところ、私たちはその感覚をこの世界の夢を使って何度も何度も繰り返し再演しているだけだということです。


毎日、毎分、刻一刻、あなたは恐怖の時間が愛の座を奪ったあの一瞬を再び生きているだけである。(T-26.Ⅴ.13)

奇跡講座/中央アート出版社


そのようにして、私たちは自我にパワー与え続けているということです。

自我が強まれば強まるほど、つまり、分離の想念が強まれば強まるほど、全体から引き離された感覚はより強くなります。

当然、孤独感、疎外感、絶望感、喪失感、罪悪感、恐れ、不安といったものが増大していくことになるわけです。

それらが増大しているということは、つまりは、本当の自分からますます離れている、ということです。

そのようにして、私たちはより深刻になっていくわけです。

分離の感覚が強ければ強いほど孤独を感じるようになるのです。

コースの実践において私たちが思い出さなければならないのは、

本当の自分から離れたその「自分」とは、いったい誰なのでしょう?

ということです。

もはや深刻になってしまっているその「自分」は本当の自分ではないわけで、ならば、誰が深刻になっているのでしょう?

深刻になっているその「自分」は、もはや、自分が誰なのか?を忘れた状態になってしまっています。

そう、私たちは、まさに、その状態になってしまっているわけです。

「この世界は現実である」「自分は人間である」というふうに信じ込んでいるのが、その証拠です。


毎分、毎秒が、あなたに、自分自身を救う機会を与えている。 これらの機会を逃してはならない。 それが再び訪れないからではなく、喜びを遅らせる必要がないからである。 は、今あなたが完璧に幸せであることを意志している。(T-9.Ⅶ.1:5-7)

奇跡講座/中央アート出版社


分離を強めるとはどういうことなのかを理解する

一なるワンネスであったはずの私たちはこの世界で何をしているのか?

というなら、私たちは自我の思考体系と同一化したまま、毎瞬毎瞬、分離(の想念)を強化していると言うことができます。

その状態を、ワプニック博士の解説では、「自我を教師としている」というふうな言い方をします。

コースの思考体系に基づいて、日々、実践の中で自分を観察していくとき、そのことがますます自覚されるようになっていきます。

つまり、私たちはこの世界での経験を「分離の想念」を強める目的のために使っている、ということを認識するようになっていくということです。

だからこそ、コースの学習者の私たちは「分離を強める」とは何を意味するのか?どういうことなのか?について、しっかり理解していくことが求められているわけです。

「分離を強める」とは、他者との分離を強める、世界との分離を強める、という意味ではありません。

その真の意味は、自分自身との分離を強めているのだということです。

自分自身から離れれば離れるほど、自分が誰なのか?分からなくなるのは当然のことです。

もちろん、その代償としてますます孤独感、不安、恐れといったものを感じることになるということです。

分離を強めるとは、つまりはそういうことなのだということを理解していくことはとても重要です。


神から離れていく道は存在しない。あなた自身から離れる旅は存在しない。そのようなことを目標とする道が存在し得ると考えるとは、何と愚かで、狂ったことだろう!(T-31.Ⅴ.10:4-6)

あなたは自分の本性から逃げ出すことはできない。なぜなら、神は慈悲深くわが子にご自身を見捨てさせはしなかったからである。(T-31.Ⅴ.11:3-4)

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そういうことを真に理解していくなら、自我を強める、分離を強めることをもはや望まなくなります。

当然、怒り、攻撃、裁きといったものを正当化しなくなります。

自我を教師とするのではなく、聖霊(イエス)を教師としていくことをもっと積極的に実践していくようになります。

それがコースの思考体系が根付いていくということであり、そうなっていくならば、もっともっとその学びと実践は妥協のないものになっていくといえましょう。


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