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たとえ絶望、苦しみ、孤独の中にいたとしても、私たちは導かれている
誰もの内に等しくガイドは与えられている
この世界にいる誰もが幸せ、喜び、平安を求めています。
それは、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいようがいまいが、スピリチュアルな探究をしている者であろうがそうでなかろうが、幸せ、喜び、平安を求めているのは誰もが同じです。
というのも、なぜなら、「もともと私たちは神と一体(ワンネス)の平安と幸せの中にいた」その記憶を誰もが微かながらにも覚えているからです。
ただ、
その真の平安と幸せがどこにあるのか?
どのようにしたらそれが見つけられるのか?
私たちはそのことについてまったく忘れてしまって分からなくなってしまっていると言うことができます。
それも、あえて自分から忘れたのです。
とはいえ、たとえ私たちがそのような状態であるとしても、私たち誰もの内側に答えを知っている自分がいます。
誰もの内に「神の記憶を覚えている部分」があるということです。
コースの言い方で表現するなら、私たち誰もに、等しく、ガイドとして導いてくれる教師が与えられているということです。
私たちが忘れてしまったものを思い出すために、内なるガイドは私たちが彼に耳を傾けるのを待っています。
それは、この今も、です。
たとえ如何なる状態であったとしても、私たちはそのことを忘れないようにしましょう。
どのようにしてガイドを招き入れるのか?
私たちは「神の記憶を覚えている部分」があるからこそ、幸せ、平安、喜びに満たされることへの欲求が尽きないのだと言うことができます。
なぜなら、本来、私たちは幸せ、平安、喜びの状態にあったからです。
本当の自分をただ思い出したいだけなのです。
それは、「望郷への憧憬」ともいえましょう。
その「神の記憶を覚えている部分」を、コースでは、「正しい心」と呼んでいて、さらにその象徴として「聖霊」というふうに呼んでいるわけです。
私たちは、その「正しい心」の部分を解離して、忘れているだけなのです。
つまり、聖霊を拒絶しているということです。
ですから、コースの実践では、聖霊(イエス)というその導き手(ガイド)を自分の教師として招き入れることをしていきます。
そう、私たちはコースの学びと実践を通して、自ら忘れてしまったものを導き手(聖霊)から学んでいくのだということです。
聖霊の機能は、どのようにしてこの一体性が体験されるか、何をすればそれを体験できるか、そして、どこへ行けばそれができるかを、あなたに教えることである。(T-25.Ⅰ.6:4)
私たちが、なぜコースを学ぶのか?というなら、私たちが忘れてしまったものを思い出すためだと言うことができます。
自分とは何者なのか?
そして、どのようにしたら真の自己(アイデンティティー)を思い出せるのか?
そのための導き手として、神(真の自己)の記憶を覚えている聖霊(イエス)を教師としていくことをしていくわけです。
ただし、その学びはそう容易いものではないということも知っておかなければなりません。
なぜなら、私たちの無意識レべルでは、聖霊(イエス)を拒絶しているからです。
というのも、神の記憶を自ら忘れるという決断をしたことを認めたくないからです。
もしそれを認めるなら、自分という存在も、この世界も消滅してしまうことが分かっているのです。
無意識のレベルでは、私たちの誰もがそのような精神力動で突き動かされているということを理解しておくことはとても大事です。
実際にコースを学んでいこうとするときに、なかなかコースに手がいかない、コースを学ぶのが恐い、コースを学ぶのがつらい、ということはごく当たり前のこととして起きてくるということです。
だとしても、「聖霊」はこの今もあなたのすぐ傍らでやさしく導いてくれていることを覚えておきましょう。
導き手である聖霊は、いつのときもあなたが聖霊に助けを求めるのを待っています。
たとえ、あなたが絶望、苦しみ、孤独の中にいたとしても、どうぞ、そのことを覚えておいてください。
聖霊は、いつのときもどんなときも語りかけています。
神の声は、一日中、私に語りかける。(W-pⅠ.49)
幸せ、平安、喜びを見失ったとき、そして絶望、苦しみ、孤独の中に打ちひしがれたとき、そこには、いつも「これは自分で見たくて見ている夢であり、これは真実ではない」(T-28.II.7:1)と語りかけている聖霊(正しい心)がいるということを思い出してください。
すべての真実を知っている正しい心が自分の中にあることを、どうぞ覚えておいてください。
ようするに、まったく別の知覚の仕方があるのだということです。
そのための方法が、
"There must be another way."(もう一つの別の道があるはず)
という考えを取り入れるということです。
それこそが、聖霊(イエス)を招き入れるということであり、それが私たちがしていくことなのだということを覚えておきましょう。
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