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なぜこんなにも人生が生きづらいのだろう、と思ったことありますか?


自分の考え方や価値観を見直す

ときに、自分ではにっちもさっちもいかず、どうすることもどちらに行くこともできない状況に突き当たるときがあります。

その行き詰まり感はとても堪え難いものです。

私たちはそれを「絶望」と呼んでいます。

ただし、別の見方からするならば、そのときこそが自分の考え方や価値観を見直す転機(ターニングポイント)であると言うことができます。

「人生のターニングポイント」は誰にもあるものです。

それは人生の節目において誰もに訪れるものと言っていいでしょう。

私自身にとってもっとも印象的な人生のターニングポイントが、30代前半の頃のことだったように思います。

私はそれまでもずっと生きづらさを感じていたものの、それでもどうにかうまくやれていたわけですが、ついにどうにもならなくなったのがその頃でした。

ようするに、人生に行き詰ったわけです。

自分の人生の本質に関わる根本的な問題を突き付けられたような感じでした。

ずっと避け続けていたものと直面せざるを得なくなったのです。

もはや本質的な問題から避けて通ることことはできない、と。

そして、私は覚悟しました。

私はこの問題に正面から向き合わなければならない、と。

その本質的なものとは何か?

というなら、

それは自分の内側にずっとあった闇の部分としか言いようがありません。

自分の内側にずっと隠し続けてきたものです。

そして、私はどのようにして自分の内側と向き合い始めたのか?というと、

それは、

自分はまとじゃない、自分は何かが間違っている、自分の考えは狂っている、

ということを受け入れることから始まったといえます。

そう、自分の考えや価値観こそがおかしいのではないか?と私はを思いはじめたのです。

自分が幸せでないのは、自分はきっと何かが間違っているからではないか?

こんなにも堪え難い人生を経験しているのは、自分自身に何か重要な問題があるからではないか?

と自分の考えに疑問を抱きはじめたわけです。

ものの見方、考え方、価値観というものが自分は間違っているのではないか?

こんなに人生がつらいのは、自分の考え方が何かおかしいからではないだろうか?

自分は何か間違っているにちがいない、と。

そうでなければ、なぜこんなにも人生が生きづらいのだろう、と。

私は自分の考え方や価値観というものを見直す必要があると感じたわけです。

それが、自分の考えや価値観を疑問視していくことのはじまりでした。

それは、ある意味、もはや自分はまとも(な人間)ではない、ということを受け入れることでもありました。

私はそれから自分を観察(監視)することをはじめたのです。

それが私にとって本格的な内的探究の旅のはじまりだったといえます。


自分は間違っている、狂っていることを認識する

それから数年後、私はコース(『ア・コース・イン・ミラクルズ』)という霊性の道に出会うことになります。

私はコースの教えを通して、コースの学びを通して、そしてコースの教えを理解するようになって、それは明らかになっていったといえます。

何が明らかになっていったのか?というと、

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