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私たちはコースの教えを歪曲して解釈したり、希釈したりしてしまうということ


コースを学ぶことの難しさ

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)を学んでいくうえで、私たちがもっとも気をつけておかなければならない重要なポイントは、コースの教えを歪曲して解釈したり、希釈したりしないことです。

私たちはコースを学ぼうとするとき、それまで自分が学んできたスピリチュアルな知識の枠の中にコースの教えをはめ込んで理解しようとします。

それが、コースの教えを歪曲して解釈する、ということです。

なにせコースは難解です。

ですから、つい私たちはそういうことをしてしまうのです。

コースの教えを自分の都合のいいように解釈してしまう、自分の知っているスピリチュアリティの「枠」にはめ込んで理解してしまう、つまり、コースを歪曲して学ぶことをしてしまうわけです。

コースの学びにおいては、そういうことがいともたやすく起きてしまうので、コース学習者はそのことに注意しなければならないということです。

それは、ある意味、「コースを学ぶことがいかに難しいか」ということを言い表しているといえます。

コースが教えている内容は、私たちがそう簡単に理解できるようなものではないからこそ、都合の良いように歪曲されるのだということです。

コースは私たちが想像しているようなものではないと思っていたほうがいいでしょう。

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)がそのような霊性の道であると知っておくことは、コースを正しく学んでいくにおいて、あなたの学びを助けてくれるでしょう。

コースの教えが歪曲され、矮小されていかないように、私たちは警戒していかなければなりません。

もしそうなってしまうならば、コースをせっかく学んでいるにもかかわらず、コースの教えとはまったくちがうものを学んでいくことになってしまいかねないということです。


何のためのコースか?コースを学ぶ目的は何か?

コースの学びを通してこの世界の夢から目覚めていこうとするのであれば、コースのゴール(目的)を見誤ることなく学び続けていくことはとても大事です。

コースの目的(ゴール)を見誤ったりしないならば、たとえコースを歪曲して理解していたとしても、必ず、内なる正気(正しい心)によって正しい学びと実践へと導かれていくことになるからです。

というのも、コースの教えを歪曲して学んでいたならば、必ずや、何らかの違和感を覚えるようになるはずです。

もしコースの教えに違和感を覚えるのであるならば、コースが教えている内容を歪曲して理解しているというふうに言うことができるでしょう。

曖昧なままにコースを学んでいってはなりません。

それは明瞭に学ばれていく必要があります。

本来のコース学習とはそういうものです。

それは、曖昧なままではなく、明瞭に学ばれていかなければならないということです。

コース学習の歩みが曖昧なままで留まってしまわないように、コースの本編三部作(テキスト、ワークショップ、教師のマニュアル)を何度も繰り返し学んでいくこと、そして、その内容を明瞭に理解していくことはとても重要だということです。

そのためのお奨めが、ワプニック博士の教材を使って学ばれることだといえましょう。

ワプニック博士が解説する内容をしっかり理解できるようになるまで、繰り返し学んでいかれることをお奨めします。

もし、ワプニック博士が解説する内容が理解できるようになるならば、コースの本編三部作に書かれてある内容も次第に理解できるようになっていくはずです。

そして、コースの学びが進んでいくそのプロセスにおいて、学びが前進するたびに、それまで分かったつもりでいたコースの理解は崩れ、壊されるというプロセスを経験していくはずです。

それは。一度や二度といったものではなく、繰り返し繰り返しそれが起きていくことでしょう。

そして、そのたびに自分は分かっていなかったと気づくことになります。

そのようにしてコースが教えていることの理解は深まっていくと言うことができます。

コースの学びのプロセスというものは、まさにその連続でしかありません。

むしろ、コースの学びのプロセスとは、そういうものであると知っておくといいと思います。

なにせ、これまでの自分や、これまでの自分の考え(思考システム)をまるごと放棄していくことになといえます。

最終的に私たちは、自分は何も分かっていないことを自覚/認識して、自分は一歩下がって聖霊、イエスと共に見る、という訓練をしていくことになります。

このコースは、自分の考え、判断、裁きをまるごと放棄していく道だということが分かってくることでしょう。

そう、自分たちは何も分かっていないのです。

そもそも自分と思っているその「自分」すらも本当は実在していないのです。

「自分はコースを分かっている、理解している」と思っているとしたなら、その「自分」こそが自我であるということを知っておくとよいでしょう。

その自分(自我)の非実在性を受け入れていくことで、もともとずっとそこに在り続けている真の自己(真のアイデンティティー)を見出していくことになるのだということです。

コース学習者の私たちは、それを目的にコースを学び、実践しているのだということを覚えておきましょう。


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