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不毛なループからの脱出/Keiko

4月末に、愛さんの東京セミナーがありました。

彼女が2年前の春に初めて
東京でやってくれた時から
毎回参加しているのですが、
次第に内容が濃くなって、
参加者さんの意欲もすごくて、
毎回癒しの経験が深まります。

今回は、セミナー後の懇親会も、
美味しいお寿司屋さんで開催されて(^▽^)/
さらに、分かち合いが深まって、
めっちゃ楽しかったです♡

秋にもぜひ開催してもらおうと思うので、
東京近郊にお住まいの方、
ぜひご一緒してくださいね。
私もまた受付係やって、
皆さまをウエルカムいたしますわぁ~~♡♥♡

さて、前置きはこのくらい。

今回のセミナーのテーマは、
ACIMサイコセラピー・トレーニング。
自我の価値判断のまなざしではなく、
その方の神聖性、無垢性、無罪性だけを
聖霊と共にビジョンで見る練習を、
実践的なワークを通して行いました。
後に座る兄弟と、
今の私が抱えてるお題をシェアしました。

15分間ずつ、お話して、
兄弟の話を聖霊と共に聞き、
聖霊からの問いを投げかける、
そんな練習をした時です。

たまたま後ろに座ってたYちゃんと
私の抱えているテーマ、内容が、
私とまったく同じものでした。
私が先にシェアしたのですが、Yちゃんは、
『Keikoさんは、
まさに自分がこれから話そうと思ったこと
と同じことを話してくれたわ』と
開口一番に言いました。

その時も、聖霊を、イエスを、
世界を信頼する機会となりました。
『真の癒しのためだけ、赦しのためだけ、
にこの世界のすべての機会を使ってください』
と祈っていると、
浄化のために聖霊はわたしに、
あらゆる形で助け手を送ってくださるのです。

偶然はありません。

私達のテーマは、
『赦せない兄弟がいる』ということでした。

ある一人の方の行動や態度が目に入る度に、
どうしてもイラっとしてしまう私たちでした。

イラっとするわけですから、
私たちの心は全く平安ではありません。
明らかに『自我を握ってる』と、
頭ではわかってます。

そこに握っている信念を聖霊に尋ね、見て、
それを差し出し訂正を求め、
何度も祈り赦すのですが、

差し出しても、差し出しても、
また同じループに入って、
問題が戻ってくるように見えることにまた、
イラっとしていました。

Yちゃんと私は、
『もうこのループから完全に抜け出したい!!』
と言いました。

今こそ、一緒にこの出来事を通して、
真に学びたい。私たちが投影している、
その方と共に、
真に癒されたいと願いました。
私達がみんな神の子であり、
世の光であることを、思い出したいと、
どこにも罪を見たくないと、
共に祈り、望みました。

後日また一緒にZOOMで分かち合いをしました。
正直に、今感じている暗い感情を
二人で曝け出しました。

その自我の意地悪な思いに蓋をせずに、
二人で吐き出しました。
結局のところ、殺意があるよね、
消えてくれって思ってるって。

二人でさんざんその攻撃的な憎悪の思いを
さらけ出したら、

だんだん、可笑しくなりました。
二人で笑いました。
自我って、どこまでも狂ってるねぇ~~って(笑)
とにかく、自我は誰でも、
なんでもいいから指差して責めていたいし、
その意地悪な指差しの方向は全部、自分自身だったんだねと、
二人で気づきます。

結局のところ、
自分のこと殺したくてたまらないのかぁ〜って。
そして二人で、そうだよ、
だから肉体はみんな死ぬんだって。
そしてまた笑います。

デイビッドがよく自我は,
死の欲望(death wish)があるっていうけど、
ほんとです。

それが自我の願い。
永遠の命なんてやめてくれです(笑)

だから自我は、
お前には死が似合ってるといって、
無価値感の魅力に囚われてます。
神の子の聖性が放たれて、
神の力が全てに行われることが、
自我を信じてる私には、怖くてたまらない。

自我には聖性が放たれることや
真につながることが想像つかないから、
わからないから怖い。

そして、この個人という牢獄の中の
わかる範囲でやってくれって、
自分に言い続けてる。
自分で自分をずっとここから飛び立つなと、
脅迫してる。

だけど、もうこの牢獄にいたくない。
不毛なループから脱出したい。

その思いを、全部聖霊に差し出していくと、
聖霊は優しく、
その自我は確かにあなたではないと
語ってくれる。

私たちは、神が創造したままの聖なる神の子。

あれやこれやのすべての攻撃的な思いは全部、
ホンモノではないと。
全部、存在しておらず、すべて力ないんだよって、教えてくれる。

偶然はないのだけど、
今日のわたしのレッスンは133の
『私は無価値なものに価値を置かない』です。

私が無価値なものに、価値を置いてたから
苦しかった。
だけど、もう全ての幻想をわきにおいて、
両手を空にして、神に聖霊に心を開きたい。

私達の心の願いは、ただ幸せであること。
平安であること。

自我は平安をしらない。自我には答えがない。
だから私たちは、
完全に聖霊に頼るしかないんですね。

今、その時が私たちに来ました。

私たちは個人ではありません。
私たちは肉体ではありません。
私たちは人間ではありません。
私たちはこれまで過去に学んだ
自己概念ではありません。

聖霊が教えてくれる、
真の私たちの自己を信じます。
私たちは神の子、スピリットです。
霊的存在です。

そして、もうこれまでのやり方が
一切通用しないと知った私たちは、
聖霊の導き、イエスの導きだけに従うと、
今、決断します。

信頼します。全面的に頼ります。

もう、自分ひとりでは、本当になにも判断できないのです。
なにひとつ、わからないのです。

だから、赤ちゃんのように、
すべてを面倒みてもらい、
手ほどきしてもらって、
全面的に助けてもらいます。

これまでずっと、それができなかったんです。
それが嫌だったんです。

自分でやりたがってたんです。
運ばれることが、とても怖かったんです。

だけど、私たちは共に、運ばれることを決意しました。
イエスはすべての人を、同じようにケアしてくれます。

また一瞬、戻ってしまうこともあるかもしれないけど、
そのこととも戦わずに、

優しく自分に『戻ればいいよ。選び直せばいいよ』って、
イエスがそう言うように、自分に言ってあげたいです。

何度でも、聖霊をイエスに完全に頼るという、
この決断に戻ります。

もう、これ以外、
私たちに生きる方法がないのだから。

そして、これがすべての人にとっての最善であり、
これだけが私たちの幸せな方法なんですね。

『神は愛なのだから、あなたは愛である』
という言葉がいつも降り注ぎます。
『あなたが、何を言おうが、考えようが、
それでもあなたは愛である』と、
いつも教えてくれます。

安心します。

救い主であるその『赦せない兄弟』は、
まさに私たちの信念を
映しだしてくれた鏡のような存在でした。

自分の憎悪をそこに映し見て、
私たちは自分の自我の想念と戦ってた。
それを取り除こうとしてた。

でも、存在していないものを取り除こう
としても無理だから、
よけいに癇癪おこしていました(笑)

もうその不毛な戦いは終わりにします。

一緒に分かち合い祈ってくれる
Yちゃんのおかげで、
これまで握ってた過去のループの投影劇から
離れることができました。

本当にその苦く見えたその友が、
確かに私と一つのスピリットであることを感じ、
すべての友と同じく、
わたしたちが全一の光だと今、受け入れられます。

優しさと静けさが私たちそのものです。

そう思える時、
『私』は消えて、溶けて、大いなる愛の中で
安らいでいることを感じます。

まさに奇跡です。
ただただ、愛しています、ありがとうと
いう心を放ちます。
そこには言葉もない感覚です。
ただ光輝いています。

長くなりました。
私にとってターニングポイントとなる
赦しのレッスンでした。
赦しは、確かに全的なものだ
ということを実感しています。

心から感謝しています。

引き続き、
丁寧に赦し祈りの中にいたいと思います。
最後までお読みくださり、
どうもありがとうございました。

地上における最も神聖な場所とは、往古の憎悪が現在の愛となった場所である。
そして、彼らは、彼らの家が用意されている生ける神殿にやってくる。
天国にもこれ以上に神聖な場所はない。
そして、彼らは、彼らに差し出された神殿に住まうためにやってきた。
それはあなたの憩いの場であると同時に彼らの憩いの場ともなる場所である。
憎悪が愛へと解放したものは、天国の輝きの中でも、最も明るく輝く光となる。
そして、再び戻ってきたものに感謝して、天国のすべての光は一段と輝きを増す。

奇跡講座下巻 T26. Ⅸ.6:1-6


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