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日記:2023/12/19 資格取得と320円(税込み)の後悔

今朝は6時30分起床。
昨晩早めに寝ようと思い22時に就寝。寝付いたのは23時頃だったであろうか。

■仕事について

先日 上司に呼び出されて会議。部門目標の発表があったが唖然とした。
来年の目標は どうやら 全員 ワンランク上の資格を取得することが目標になるようだ。なんじゃそりゃ。

私は 例え話で言うと 積み木を作ってお城を作るような仕事をしている。

積み木を積み上げるような仕事をしています

木を削って積み木を作る。分担して積み木を作ってそれを 各部門が持ち寄って城を作り上げるようなイメージだ。
現在、5個の積み木を作れるが それが50個パッケージを一度に作れるようなワンランク上の資格をとる、ということが目標になった。
これは決定事項だそうだ。

では、そのワンランク上の資格とやらを取得できない者や、取得したくないと感じた者はどうするのだろうか。

確かに、この不景気では今までと同じ仕事をしていては取り残されるというのは理解できる。
スーパーでは 「昨日、100円で買えていた」物も 今日は101円出さないと買えないとい事になっている。
(実際に価格があがるという事は少なく、実際には内容量が減るという現象だ)
つまり、社員という漕ぎ手が、今までよりももっとオールを漕がなければ、インフレという逆風に船が流されてしまう、ということか…。
もちろん、今までと同じことしていてはいけないということ自体はわかる。

インフレ(嵐)だから 仕方ないのか


しかし、今まで5個の積み木を作っていたのに、50個パックを作る資格を取得するなんて言うのは 正直ぶっ飛んでいる。
結構な練習が求められる。

今回、会議が終わって「これを考えていては、頭が冴えて夜は眠れなくなる」と感じた。
実際にもう、少し眠気を感じていたのでさっさと寝ることにした。
さっさと寝て、脳のDMN(デフォルト・モード・ネットワーク)に考えてもらうことにして、さっさと寝ることにしたのだ。

■ハイレベルな資格を狙うには信仰が必要

今朝起きて、再び考える。
私は、会社が求めているハイレベル資格に合格するための 時間と労力を私は支払うつもりなのか?
資格は持っておくほうが良いだろうし、このワンランク上の資格はたしかに今いる業界ではメジャーな資格だ。
ただ、私は この先、ずっとこの業界で走り続けるつもりなのか
今はそう考えていない。ただ、業界的に積み木を積み上げる仕事は 今後もなくならない。
「レンガ職人」が「大聖堂」を作るのに必要なように、積み木を作る人も この業界では必要なのだ。

ただ、私は むしろ、ヘンリー・デイヴィッド・ソローのような生き方に憧れている。
ドラッガーのような生き方には憧れていない。
ハイレベル資格の為に、人生をある程度消費して、今の業界というエリアでより よく生きるか、もっと原始的なサバイバル術を学ぶべきか

今回のハイレベル資格は私のような ポンコツでは1年勉強し続けて、受かるかどうかも、怪しい。

そして私は、プレイングマネージャという 現代の奴隷身分である
メンバを管理しつつ、チームの課題を管理して、現場の仕事を行う。
チームを強化するために ハイレベル資格のために時間を使うのは勿体ない、とも思う。

たしかに、リーダの私がハイレベル資格を取ることで 効果もある。効果がゼロということはない。
ただ、その効果がどれほどあるというのか。

しかし、近々リーダーを降りたいと感じている私は、次の積み木工場に移動したときに 50個パックを作れる立場に行けるという効果はある。
しかし、私は もう この積み木を作る仕事は疲れたのだ。
数多くのレンガ職人の中で「大聖堂を作っているのです」と言えるのは ごく一部だと思う。それにはまず、大聖堂に対する信仰が必要なのだ。

大聖堂かどうかは もはや重要ではない日々…


ただ、そんな事はメンバの前では言えない。そんな事を言ったところで、会社に対する信仰が揺らいでしまうからだ。

私はどの生き方を選ぶのか?
私は このまま この会社にいながら、息切れしながら走り続けるのか。

これから「ハイレベル資格取得!」をキーワードに メンバのケツを叩かなければならない。

全員がハイレベル資格取得をしなければならないというのは 会社に対する「信仰」を試させる試練だ。
自分の人生を、会社のために捧げることで、利益の高い事業を成し遂げられるような組織にする。
理にかなっていると[も]思う。
理にかなっていると[は]思う。
ただ、私はどう生きたいのか。
この会社の方針でみんなと一緒に 苦しい集団マラソンを走る事は 楽しくない。

メダカや、イワシなどの魚は集団で泳いでいたほうが他の大きな魚に食われる危険性は減る。
私のような小魚はただ、集団から離れないよう切磋琢磨が必要だということもわかっている。
私は 私という個人ではなく、会社という集団になるための努力が求められているのだ。

資本主義社会で飯を食うためには、変化は必要だ。
ただ、私は今の生活で求めているものは何か、そして将来に対して望んでいるものは何か
この会社で人生(命)を金に変換する錬金術をどこまでやるのか。
もう、どうせ人生(命)を金に変換するなら、楽しんでやったほうが良い、ということもわかっている。

踊るアホウに見るアホウ、同じアホなら踊らにゃ損、損。

つまり、どれだけ喜んで自分の命を会社や業界、ひいては社会に捧げることができるかだ。

■屁が出る

先週末に気まぐれで 小麦粉と水でパンを作った。200gの小麦粉は1人前としては多すぎた。

失敗作のパンも、ちゃんと食べました。

それ以降、頻繁にオナラが出るようになる。
一人暮らしのリモートワークなので気にしないが、やはり 腸の状態がいつもと違うのだと気づく。
ヨーグルトは毎日食べているが それでもよく屁が出る。
しかも、体重が増えた
たわむれに パンなど作るんじゃなかった。
市販のパンじゃないから大丈夫ではないかと考えたのだが 糖質は糖質。
しかも、さほど美味しいパンでもなかった。
こんなことなら じゃがいもを調理して食べたほうがまだマシだ。
1kg 400円の小麦粉。まだ800g残っているが、使い道は思いつかない。
台所においておくのもスペースの無駄だ。
1kg400円の小麦粉を200g(20%)を使用したので、残り320円。
320円をずっと台所に保存して、ジリジリと 小麦粉の使い道について考えるべきか、さっさと捨てるべきか
少し考えて後者だなと気づく。
残りの小麦粉(320円)を捨てるものの、日記に失敗談として記載すれば320円の価値はある

結論:(私の場合は)パンは太るし、オナラがよく出るようになってしまう。そして、市販のパンが旨いのはバターやら砂糖やらを入れて味を整えているからだ。
パン以外に食べ物はたくさんある。それらを楽しむ方法を私は学ぶべきだ。


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