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誰かを嫌うのが苦手だ。

人を疑うのが苦手だ。余計なエネルギー持っていかれるから。「人にされていやなことを人にしちゃいけません」って、小さい頃に言われてたし。

「誰かを嫌いになることがない」って言うと、たまに偽善者って言われるんだけど、事実なもんだから訂正しようがなくて。

生きてきた今日までの中で、「嫌いな人」は多分いない。今でも。


【好きな人ができたから別れて】とメールをよこした中学校時代の初カレ。一方的なお別れに、友人たちは憤った。
「何か事情があったのかもしれないし、私みたいなのと付き合ってくれただけでも奇跡だから。彼は悪くないよ」
泣きそうな顔して笑いながら、私は心に蓋をした。


「もう好きじゃなくなった」とこちらを見ることもなく振った、大学時代の元彼。
もう終わりなんだな、というのは明確だったけれど、消せない好きを抱えたまま静かに離れた。あの日の私は傷を負ったけど、今でも嫌いではない。


「あなたのこと友達だと思ってないんで。知り合いの知り合いくらい。でもあなたの為に言ってあげてるんだから聞きなさいよね」とメールをしてきた趣味友達。あぁそっか、友達だと思ってもらえてなかったんだ、私が悪いんだ、だからこの人は怒ってるんだ、わたしがわるいんだ、あやまらなきゃ、このひとはわるくないし。


人を嫌いになれない理由って何だろう、と考えて

ああそうか、人を嫌う自分が怖いんだ、と思った


人に嫌われるのが怖いから、その行為を他人にしてしまう自分が怖い。


誰かのせいにするのが面倒で、自分のせいにした方が楽だから
誰かを嫌わず自分を嫌ったほうが

面倒じゃなかったから。


大人になって、大切な人ができて、
大事にしたい人たちができて、

「誰かを嫌いたくないから」と自分を傷つけ嫌うことは、大切な人を傷つけてしまう可能性があるのだと身に染みて知ってしまった。

それでも誰かを嫌いだという感情はどうにも湧かないようで。もうそれはそれでいいか、と受け入れつつひとつだけルールを定めることにした。

「自分を傷つける人からは距離をとること」

近くにいて誰かに傷つけられ「私が悪い」と自分を傷つけてしまいそうになるのなら、傷つけられない距離まで離れてしまう。嫌いにならなくていい、でも傷は負わない。近すぎて悪いところが目に付くなら少し離れていいところを見ていたい。単なるわがままですけども。


嫌わずにいられるのなら、そうやって生きてたいから。

私はこうして折り合いをつけるだけ。


だから私は誰も嫌わない、嫌いにならない。


ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。何かあなた様の心に残せるものであったなら、わたしは幸せです。