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夏休みと子どもの逃げ場と

9月1日はこどもの自死が多い日だからと、子どもたちに「逃げ場がある、選択はひとつじゃない、なにかひとつだけがすべてじゃない」と伝えようとしている大人をたくさん見た。

それらを見ながら、「私がいま子どもだったとして、その訴えは自分までとどいただろうか」と考えれば、残念ながら届く気がしない。

やはり自分に逃げ場や、そこへ行ってもいいと許可を出してくれるのは、身近な大人でしかないと思うからだ。

子どもの時は、いじめられたことやつらかったことはひたすら隠していた。だって嫌なことだし、落ち度だし、弱みだし。

「こんな風に言われた。学校に行きたくない」って誰かに言ったところで、結局は「おまえが弱くてダメな部分があるからそういうことが起こっているのだ、負けるな、恥ずかしかったら・相手が悪いなら戦え」 と言われたり、一度弱音を吐いた時の相手の反応から「たぶん大人は私が悪いんだというだろう」と学習してしまっていた。


でも、なんだろうな、私がいままで生き残っているのは、結局ずぶとかったんだろう。小学5~6年の時はたびたび死ぬことを考えてたし、どうやって「あいつとあいつが悪い」とみんなに知らせてから死ぬか……とか考えてたけど。


夏休みはとても短かった。7月25日ぐらいから、8月18日ぐらいまで。

だから9月1日とかがどうとか思えない。東京はいま24日までぐらいのところも多いらしいし、そしたら25日とか、夏休み明けに特異日は変わっていくのかな。


小学生の私がやってた、「つらい今を乗り切る技」を書いてみる。

大人が「人生のうち、子どものころや学生のころなんて短い時間で、あっという間に終わるから死んだらもったいないよ」とよく言うでしょう。しかし正直、未来になってからこの「現在」をどう思うかなんてわかんないから、そういわれても「そうかもな……そうなのかな、よくわかんないな」って「???」脳内にはてなが飛び交うばかり。

あと、意外と具体的なんですよね。

「今週末は運動会だ。またみんなにお前のせいで負けただの、だれかさんとは一緒にやりたくないでーすだの言われていちいちキツイんだ……」って、具体的に近未来の予定が嫌で、無くしたくてしょうがない。


もっと相対的な時間に変えてみる

「週末、日曜日は運動会。いまは水曜日だ。先週の水曜日から今日までを思い出してみよう。なんかあっという間だったな。ふむ、じゃあつらくとも、同じぐらいの速さで、また水曜日が来るか……その時にはもう運動会も終わってるな……」

こんな感じで自分を説得する。「1日我慢すれば終わる」みたいな絶対的な時間じゃなくて、近い過去など「昨日から今日までの時間と同じ速さで過ぎる」となにか目安を思い浮かべると、ちょっとほっとする。


大人になってからも結構やっている

つらい、行きたくない仕事、うまくできるか不安なこととか、そういう時は

「どう転んだって来週の今頃には終わってるんだからな~」

と思うとちょっと頑張れる。「それまでにやらなきゃいけない○○」とかだとこの手が使えないから、それはまた別のご褒美などを用意しなくてはならない。



※大人たちの声が子どもに届かない。とは描きましたが、大人たちの声が大人たちに届き、その受け取った大人たちが身近な子どもたちに届けることはできると思う。だから決してむだじゃないし、大人の中にも「逃げ場なんて甘いんじゃないか?」と迷っている人がいるだろうから、そういう人たちに考えるきっかけができていると思う。今後も発信を続けてほしい。



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