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ルサンチマンを燃料に出来ない男

ルサンチマン【ressentiment】

〘哲〙 ニーチェの用語。被支配者あるいは弱者が、支配者や強者に対してため込んでいる憎悪やねたみ。この心理のうえに成り立つのが愛とか同情といった奴隷道徳であるという。怨恨。


出来ない。どうしても出来ない。生来の人柄というものなのか、父母の教育の賜物なのか、それともこの捻くれた人格を形成するに至った環境なのかはわからないけれど、どうしても怒りや怨みをエネルギーに変換することが出来ないのだ。

私はルサンチマンを燃料にする事ができる人が羨ましくて堪らない。ズルいとさえ思っている。

コナクソ!チクショウめ!後で吠え面かかせてやる!なんてのは口が裂けても言えない。筋金入りの臆病な人間なのだ。私という人間は。いっそ腹が立ってきた。

私は父や母と快い関係を築く事が出来なかったのだけれど反抗期らしい反抗期も無く、さざ波の様な穏やかな思春期を終え、今も社会人として真面目な顔をしながら生きている。

怒られる、叱られるという事は人並みかそれ以上に体験してきているのだけれど23年間生きてきて「チクショウ」「見返してやる」なんて感情を感じた事が全くないのだ。

誰かの為、の方が気持ちが入るというか、今の仕事でもプライベートでも行動の根幹には自分以外がいる。でもソレはとても危うい事だと自分でも思う。自分を押し殺しているわけではないからギリギリセーフだと思っているけれどやっぱり良くはない。人を思いやるのはとても良い事だけど。

他人を巻き込んだ欲求が全く無いのが良くない。○○さんと××に行きたい!とかその手のものが一切無い。我ながら退屈な人間だなと思う。

聖人のような事は言いたくないけれど誰かが自分のやった事に感謝してくれるって凄く良くないですか?笑顔って最高じゃないですか。ありがとうって言われたら無敵になった気分になりませんか?

良い事は良い事だし悪い事をするよりもずっと素晴らしいけど、自分の存在意義(というと少し大袈裟すぎるが適当な言葉が出てこない)を他人の感謝に委ねるのはとても危うい事だと思う。

カフカの「変身」を思春期の内に読んでおけばこうはならなかったのかもしれない。いや、そんな事はないな。どちらにせよ私は退屈な人間だな。

ルサンチマンから随分と話が逸れてしまったようだ。でもコレだけは言いたい

課長、私を褒めて伸ばしてはくれないだろうか。

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