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僕にとって書くということ

大学に入って以来僕は友達が出来なかった。といっても友達が欲しくなかったわけでは全くないし、むしろ僕にとって友達は必要不可欠な存在だったはずなのだ。1人でいるとものすごく孤独を感じてしまう性格だから、人と会って話をする時間はそれを紛らわしてくれる有意義な時間だった。だから、友達を作ろうとして話しかけたり、飲み会にも参加したりしていた。でも何故かそうしていた方が孤独をより鮮明に捉え認識してしまうようになった。端的に言うと、心を開きたいと思える人間が居なかったのだ。大学で新たに出会う人とする話は授業がめんどくさいだとか、サークルで誰々が付き合ったとか、ワンナイトをしたとか、そんな世俗的なものばかりでうんざりしてしまった。僕はもっと人生にとって意味のある話を出来るような人間と会いたいのだ。もっと哲学的な話をしたい。もっと僕を知って欲しくて、あなたを知りたい。それもたまにでいいから、そのくらい許してくれる人と話したいのだ。

神は死んだというニーチェを、ユングの言うペルソナを、無意識を捉えたフロイトを。人間の根底にある暗闇を学んで何も感じるものがないのか?考えずに生きていけるのがお前らなのか?それならそうと早々に教えてくれ、考えずに輝かしく生きて、僕を安心させてくれ。残念ながら僕はそういう人間にもう興味がないんだ。お前らを受け入れることはできても受け入れてもらおうとは思わない。いっそのこと僕のことを無視して輝かしく人生を全うしてくれ。その方が自殺していった先人達も報われることだろう。

こうして僕が文章を書くことすらお前らは笑ってお終いにするんだろ。お前らが楽しんでいるそのサークルだとか、飲み会だとか、そういったものと僕が書くことは同等なものに過ぎないんだよ。自分の位置を、価値を知りたくてこうして書くんだ。考えを整理して、それなりに整えられた文章にすることで僕の心は掃除をした後の本棚みたいになるんだ。見ていて気持ちよくなれるものへと昇華していくんだ。そういう心の支えみたいなものがお前らにもあるんだろ?そういうことを聞かせてくれよ。こんなに生きづらい世の中なのだから、支えがないと立って歩けやしないはずでしょ?醜くていいじゃないか。笑われながら文章を書くよ。孤独と向き合わずに生きていけるような強さはないから、見て見ぬ振りをできるほど人として成長していないから、いつまでも続く時代遅れの思春期なのだから。僕にとって書くということは世俗的でしかないのだ。

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