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何が言いたいのかあまり分からない

僕はしばしば名言というものを自発的に見ることがある。それは過去の偉人のものであることも、漫画やアニメのセリフであることも、今まで出会ったことのある人からの肉声であることもある。最近でいえば、大谷翔平が「憧れを超えろ」と言い放ったらしく、世の中はそれを胸に留めているそうだ。そういった名言たるものを眺めていると、基本的に名言はポジティブで前向きな言葉であることが多いなと思った。人々は人生で前に進むためにそれらの言葉に縋るのだろう。ただ、僕はそう言った言葉はあまり心に残らない。記憶には残ってもそれを噛み砕いて自分の人生に落とし込むことはない。そういう作業を行いたいと思うのは、どちらかといえばネガティブというかその場凌ぎの言葉であることが多いのだ。やはり僕はネガティブ思考な人間なのだろう。過去の恋人と喧嘩した時に言われた言葉や友人にお前はここが良くないと言われたことの方が酷く胸に残る。僕はそういう人間なのだからと戒めるように。

「狭い世界で生きているのに開き直っている感じが嫌いだ」過去に言われた言葉で1番僕を苦しめている。誰から言われたかなんてもう覚えてすらいないが、この言葉だけは鮮明に覚えている。恐らく自分でも思っていたことなんだろう。でもそれを僕は言語化出来ずに葛藤していて、そんな時に言われた言葉だった気がする。確かに僕はあまり人間関係が広い方ではないし、多種多様な価値観に触れることなく生きてきた。僕が生きてきた世界は比較的同じ境遇にいる人間達ばかりで埋め尽くされていて、視野が広がることはないような世界だったと思う。それでも僕は映画だとか本だとかドキュメンタリーだとかで他の世界に触れてきたつもりだった。しかしそれらは経験という形で自分の中に落とし込めず、あくまでフィクションなんだという認識があった。そうでなければ僕は今頃無限大の価値観を携えた人間になっていたはずだ。僕よりも広い世界で住んでいて、価値観を変容しながら自分を持って生きていける人にとって僕は酷くつまらない人間なのが今なんだ。

今になって自分の過去を振り返り、後悔することが増えた。何も考えずに生きてきたことを自覚して頭を抱える時間が増えた。将来のことを考えられるほどの余力はなくて、いつまでも過去に引きづられる。昔の自分が助けてと今の僕の手を引っ張っているみたいなんだ。自分の過去を素直に認められず、これからに活かせない。悪い夢を見ているみたいで自己嫌悪に陥る。

人生で1番自由だと言われる大学生活ももう半分以上過ぎた。時間もあって、ある程度成熟した人間で、色んなことを経験できるこの期間で僕には何が残ったのだ。曖昧な格好で生きてきてしまった人間は輪郭を失って、肉体しか残されていない。

だから、少しずつ何かを変えようと思う。2024年は沢山の人と関わろう。完全に過去に閉ざされる前に少しだけ抗おう。そうすれば少しは過去も美化できるだろう。これまでの人生がなにか僕に残してくれるはずだと祈ることはもうやめよう。今はまだ思考の中で自分を殺しているだけなのだから。暫くの間その場でずっと前転をしている感覚なのだから。進むこともなく後退することもなくその場でグルグル蹲ってるだけだったから。次こそは前に進もう。人生には往々としてそういうことがあるのだから、あまり悲観せずに少しは前向きになろう。

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