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本荘幽蘭評伝 企画書

企画書大公開、第二弾!
2021年10月に出版した『問題の女 本荘幽蘭伝』の2013年頃の企画書です。
提出した出版社からは結局出すことはならず、2019年に平凡社に決まるまでに他から2冊、幽蘭の本が出ました。
が、企画書時点では出ていないので先行研究には入っていません。

本荘幽蘭評伝 企画書
《タイトル案》
謎解き本荘幽蘭 本荘幽蘭放浪記 本荘幽蘭冒険記 噂の女、本荘幽蘭
本荘幽蘭百話 誰も知らない本荘幽蘭 問題の美人、本荘幽蘭

《企画内容》
明治大正昭和を通じて常にマスコミ賑わせた破天荒な女性、本荘幽蘭の足跡を辿る一書。幽蘭は明治一二年に久留米市に生まれ、生存がわかっている昭和二三年までの間、新聞記者、女優、喫茶経営、尼僧、馬賊の頭目、講談師など数十の職業に就き、二十人近い夫を持ち、日本全国及び満州、朝鮮半島、東南アジアを股にかけて活動した規格外の人物である。とくに明治半ばから大正時代には新聞・雑誌に一挙手一投足を取り上げられるほどの有名人だったが、本人の大言壮語も相まって事実確認が非常に困難なためか、評伝の一冊もないまま今に至っている。そんな虚実入り交じった本荘幽蘭という奇特な女性を、現在入手できる情報の破片を集めて虚
実ごと追っていくのが本書の目的である。
明治期に破天荒な女性は「莫連女」といわれ、大正、昭和期には「モダンガール」「モガ」と言われた。異性関係が乱れていたり、お洒落にうつつをぬかして軽佻浮薄に振る舞う女性の意味だ。しかし、幽蘭は異性関係こそ奔放だったものの、彼等を欺いたり利用することなく(むしろ大抵は損をして)常に自らが手に汗して働き、恰好も構わなかった。また、自慢が大好きながら、実際に才能があった筆跡と漢詩については一切自慢しなかったというところも筆者が幽蘭に惹かれるところである。このような複雑な二面性を持つ幽蘭を当時のマスコミは「狂人」「白痴」「淫婦」など口をきわめて罵ったが(未知なものへの畏怖であろう)彼女の言動を現代に置いた場合にどう見えるか、あらためて問うてみたい。その意味でも、「事実」を突き合わせることのみに拘泥するのではなく、幽蘭が自筆原稿などで語るセルフイメージや、面白可笑しくとりあげる当時のマスコミの姿勢をあえて受け入れ、彼女を取り巻く当時の雰囲気を丸ごと掬いとっていきたいと考える。
また、流行に敏感だった幽蘭は、救世軍、神風会、大本教などの当時のおもだった宗教家や、頭山満、松本君平などの政治家、大手新聞社の主筆たち、演劇関係者、社会主義者などとの交流があり、彼女を追うことで日本の近代史のある種の見取り図が出来上がるのも見所である。本書によって、不世出な女性本荘幽蘭と、明治大正昭和のあらたな一面が眼前に開けることと考える。

《本荘幽蘭とは》
本名本荘久代。明治一二年、久留米市生まれ。父は久留米藩士で後に大阪商業会議所の理事や弁護士などを勤めた本荘一行(ほんじょうかずつら)。十代で父のすすめるままに結婚したものの夫の逮捕などもあり、離縁。上京して学校に通うも寄宿先の男性に悪戯されて精神を病み巣鴨病院に入院。退院後の1900年ごろに明治女学校に入学した。学費に窮し学校玄関の受付や賄いの手伝いをしつつ、自作の文を朗読したり、演説したり、俳句をひねったりと才気煥発なところを見せる。師である青柳有美によると「総体に均整のとれた美人型」で「宗教的顔(レリジュアスフェース)」 と形容される美人だったようだ。卒業後に手を染めた職業はわかっているだけで、五社の新聞記者、女優、救世軍女兵士、喫茶「幽蘭軒」オーナー、ミルクホールオーナー、辻占いの豆売り、在日欧米人の日本語教師、外妾(ラシャメン)、活動弁士、看護見習い、講談師、浪花節語り、尼僧、娘子軍(からゆきさん)など枚挙に暇がなく、「正当に結婚した男の数だけでも十八、九人、八十人以上の男と関係」(高田義一朗『らく我記』)したという。「錦蘭帳」と称するノートに関係した男性や今後関係したい男性の名を記していたといい、良妻賢母教育を受けた明治の女性としてはあり得べからざる行動である。幽蘭の幅広い人脈のなかには社会主義者の福田狂二や堀岡良吉、折口信夫、出口王仁三郎、頭山満、松本君平、伊井蓉峰、曾我迺家五九郎、岩谷松平、木村駒子、鳩山薫子、羽仁もと子、相馬黒光な
どの名がある。そして足取りも神出鬼没、東京にいたかと思えば四国におり、満州、台湾、ロシア(これは計画のみの可能性あり)、シンガポールなどあちらこちらを飛び回っている。昭和初期に一旦行方が途絶えるが、昭和八年末にハルピン行きの列車に乗っていたところ匪賊に人質にされたと新聞に大きく報道される。後に救出され、翌年には意気揚々と「匪賊遭難更生記念講演会開催」などをぶち上げるが、なぜ満州にいたかはわかっておらず、先行研究者の横田順弥氏は幽蘭密偵説を唱えており、筆者もそうではないかと睨んでいる。現時点でわかっている最後の一九五三(昭和二三)年には『講談研究』というパンフレットに七五歳にして講談
師まだ続けている旨を書いてあった。この時点で75歳だった幽蘭が、いくつまで生きたかは手がかりはない。

《幽蘭に関するおもな書籍、テキスト(先行研究)》
江刺昭子『女のくせに 草分けの女性新聞記者たち』インパクト出版会(1997年)
雑誌『日本及び日本人』「早く生まれすぎた女傑 本荘幽蘭抄伝(一)~(五)」 横田順弥(2002年)
雑誌『Fukujin.』「本荘幽蘭ノート」柏木隆法(2012年)
雑誌『群像』「折口信夫の起源」安藤礼二(2012年5月号)

《著者》
平山亜佐子
挿話蒐集家、音楽家、エディトリアルデザイナー。著書に『20世紀 破天荒セレブ ありえないほど楽しい女の人生カタログ』(国書刊行会 2008)、『明治大正昭和 不良少女伝 莫連女と少女ギャング団』(河出書房新社 2009)が、共著に『SNSの研究 あなたはまだマイミクこのことが好き?』(翔泳社)、『KAWADE 道の手帖 尾崎翠 モダンガアルの偏愛』『近代ナリコ責任編集 鴨居羊子の世界』(河出書房新社)がある。また、歌のユニット2525稼業(かぎょう)では、オリジナル曲をはじめ、口承伝歌、端唄・俗曲、明治の演歌、民謡、戦前ジャズなど古今東西の音楽をアレンジして演奏、中世から近代の音楽・言語感覚を現代につなげる活動をしている。
著書『20世紀破天荒セレブ』や『明治大正昭和不良少女伝』で常に世間のはみ出し者にスポットを当ててきた著者が、はみ出し者の大元締め「本庄幽蘭」の初の評伝に挑戦する。


【本日のスコーピオンズ】

33曲目「Polar Nights
4th アルバム『Virgin Killer 〜狂熱の蠍団〜』(1976)より。

北風のSEからのガチャガチャした(語彙力)前奏。
ぐにゃぐにゃしたギターが気持ちいいのう。
と思ったら、ヴォーカルがいつもの人と違う。
そしてちょい下手……なぜこの人にした?
あとエコーのないヴォーカル処理はわざとなのかな。
ギターリフがいいだけに気になる。
ヴォーカルの意図が読めませんでした……。

感想は以上です。

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