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お菓子をとっておくには

お菓子の袋を開けたら最後、どうしても全部食べてしまわないと落ち着かない。
もちろん余ったらとっておけるように袋にはチャックというのかジップというのか、プラスティック製の密閉式留め具が付いている。
ご丁寧に「ジッパーをしっかり閉めると、キャンディのベタつきを低減できます」と書いてあったりもする。
でも、低減はしょせん低減でしかない。
チャックを閉めておいていたとしても、隙間をすり抜けて湿気はきっとやってくる。
やってくるのは湿気だけではない。
匂いを察知したゴキブリとか小バエとかタバコシバンムシが潜り込んで、気付かないうちに一大生態系をつくるかもしれない。
お菓子が粉を吹いたり変色することもある。
お互いがくっついて奇妙なかたちになることもある。
カビが生える、腐る、ゴミが入る、ありとあらゆる脅威が待っている。
だから、置いておいたお菓子を次に開けるのは恐ろしい。
お菓子は、工場から出荷されて店頭に並んで手に取ってお会計を済ませ自宅に戻ってまっさらのものを開封するその瞬間で、価値の七割くらいを使い果たしているのだ。
あとの三割は中身の価値。
食べるのをやめてチャックをする、という行為には何の意味もない。
お菓子はもう死んでいる。
この世に存在していないのだ。
だから、置いておいても忘れてしまうし、思い出したときに開封したら、そのときは例の脅威に侵された姿を目にすることになる。

その子は、いわゆる美人じゃない。
目は小さいし下膨れだし鼻も丸まっちい。
唇は厚めで小さく、そこに肌色の(今は薄橙〈うすだいだい〉っていうんだっけ、とにかくその色の)リップグロスを始終塗りたくっている。
付けまつ毛をしてチークも塗っているけれど童顔で、二四歳なのにいまだに酒屋で年齢確認をされることもあるらしい。
自らの容姿をどう評価しているかはよくわからない。
というのも、彼氏のメールボックスからとってきた浮気相手の画像を、見てくださいよ、すごいブスじゃないですか? と言って見せてきたことがあったけど画像の子はその子の何倍も可愛いかったから。
言ってほしい言葉はわかっていたけど現実との乖離に言葉に詰まってしまって、なんかよくわかんないね、この画像、としか言えなかったけど、もちろんその子の期待を満たせるべくもなくその後も何度も、でもほら、顔が長くないですか? 見て下さいよこの目、小さくないですか? と聞かれて困ってしまった。

ちょっと待ってね、なんか急にお菓子が食べたくなっちゃった、とってくる。……それでなんだっけ。そうそう……

でも、その子が不細工かというとそういうわけでもない。
多すぎるほどたっぷりある髪は柔らかくて子犬の毛並みのようにきらきらしている。
この世に生まれてまだ日が浅い証拠だ。
老化っていうのはつまり酸化だ。
地球に生きる以上それなしではいられない酸素に、わたしたちの肌や髪や水晶体や内臓や粘膜はやられてしまうのだ。
シワやシミやひび割れや加齢臭を伴う酸化は醜くて恥ずかしい。
酸素を吸わなきゃ生きられないのに、常に辱められているんだから、地球人は被虐的すぎる。
だけど、彼女は呼吸をしていながら奇跡的に酸化から免れている。
そしてあの年齢特有の、繁殖期の生物だけが持つ肌のつややかさたるや!
身体全体に薄い蝋を引いたような独特の光り方をしている。
「脂が乗ってる」というのはあのことを言うのだとわかる。
わたしにも覚えがある。
二〇歳頃の自分の写真を見ると顔も手も足もつやつやてかてかしている。
化粧を覚えたばかりだったけれど、何を塗ってもホワイトボードに書いた赤い文字みたいにくっきりと映えた。
全部の色が味方で、全部の効果が発揮された。
つまり、この世は自分のものだった。
お金なんかなくたって、知らないことだらけだって、いつでも誰かが助けてくれた。
ときには嫌な思いもしたし退屈なこともあったけど、すぐ忘れてしまう。
たった数ヶ月前の失敗が封印すべき「黒歴史」となって後ろに飛び退っていく。
ともあれ、生物として繁殖期にあるその子は仕事中でもお構いなく生物として正しく繁殖行為の話をする。
曰く、このやり方は変ですか?
曰く、友達が彼氏の友達とやっちゃったみたいなんですよ
曰く、痩せてる男性のってむしろ大きい気がしません?……

あたし、もう三ヵ月ですよ。
何が?
……(含み笑い)…
あ、別れてから?
別れてからもそうですしー。あっちも……(笑い)
そっかあ。寂しい?
寂しいなんてもんじゃないです、もう本当に誰でもいいです。
本当に誰でもいいか?
誰でも……うーん、誰でもじゃないですけど、でもかなり誰でもいいです。
Sさんでも?

職場にやって来るおっさんの名前を挙げてみる。
残り少ない髪が季節に関係なく汗で張り付いていて、丸々太ったお腹は起き上がり小法師のように前に張り出している。
シャツの端っこがいつもズボンから出ていて、煮染めたような色のつっかけをご愛用。
書類を手渡すときににゅっと突き出す腕は熊みたいにもじゃもじゃに毛が生えていて、とにかく誰の身代わりでこんなに酷い条件ばかりを背負わなきゃいけない羽目になったんだろうと同情するような人だ。

S……さんは無理ですね、さすがに。
じゃあ、Tくんは?

これはその子が一度ドライブデートをした男子。
同じ職場の外回り担当なのでたまにしか会わないが、それでも後悔するくらいに二度と顔を合わせたくないらしい。
Tくん……もきついですね。
全然誰でもよくないじゃん。
いや、でも相当誰でもいいですから!
じゃあ女でも?
相手によっては。
Nさんはどう?
全然いけます。

Nさんは一回り上のパートの主婦だ。
中学生と小学生の子供がいるが、ピンクとミニーマウスとキラキラしたものが好きで、若いと言われるのが大好物。
ときどきおかしいくらいに長いまつ毛エクステをしたりチークが真っピンクだったりするが、それがかえって彼女の痛々しさ、か弱さを際立たせている。
二人がつきあうところを想像してみる。
Nさんは痩せているからきっとお腹はぺったんこだろう。
その子はムチムチしているけれど、触ると意外に筋肉質のはずだ(筋肉の組織が多い? か何かで日常生活をおくるだけで鍛えられてしまうと言っていたから)。
二人が蔦みたいに巻きつきあったら色白のNさんと地黒のその子はいい対比になるに違いない。
その子の蝋引きのような滑らかな肌をNさんのジェルネイルを施した指が滑るところを思う。
二の腕から脇の下に手を入れたときに、爪に付けたリボン型のラインストーンが薄い皮膚を傷つけてしまうかもしれない。
Nさんのエクステの髪とその子の絹のような髪が絡まってどちらがどちらかわからなくなる。
二つを合わせて三つ編みにする。
二人でいるときにはその子はNさんを特別な名前で呼ぶだろう。
Nさんの夫もNさんの子供も聞いたことのない名前。
まだ誰も聞いたことのない名前で。二人は仕事を辞めるだろうか。
ううん、それでは暮らしていけない。
素知らぬふりで今のままの生活を続けるのだろう。
世の不倫カップルと同じだ。
二人でいるとき以外は今まで通りの暮しをする。
Nさんは朝は家族のパンを焼き、娘のダンスレッスンに付き合い、母とエステに行き、大型スーパーで晩ご飯の材料を買う。
その子はピアスを付け、犬のトイレを掃除し、友達とLINEでうわさ話をして、テレビを見て笑う。
だけど仕事場で会ったらきっと目で合図を送るだろう。
密かに会う約束をし、更衣室でキスするかもしれない。

じゃあ、Oちゃんは?
Oちゃんもいいですね。

その子の三つ下のOちゃんはバイトで来ている目鼻立ちの整った女子大学生で、背はその子より二〇センチほど高い。
その子もOちゃんももの静かで受け身のタイプだ。
こういう場合はデートやなんかはどういうふうに進行していくんだろう。
二人してレストランを決めかねてうろうろしたりするのだろうか。
決まらなくて喧嘩してそのままお互い帰っちゃって夜中にビールを持って家に謝りに行く。
Oちゃんは整形したようなかわいらしい小さな鼻を鳴らして少しムッとした顔をするけど、泣きそうなその子を見て半分くらい許してしまい、家のなかに入れてあげるのだ(その子が泣いてすがるところは容易に想像できる。元彼に道の真ん中で背負い投げされて、それでも何度も追いすがってその度に投げられたという話を聞いたから)。

Fはどうよ?
やめてくださいよ、あるわけないです。

大好きな「axes femme」のワンピースの背中のボタンに手をかけていた小太りのFは却下されて引き下がった。

っていうかなんで女子ばっかりなんですか、男がいいです。
やっぱりそうか。でも、周りに適当なのがいないんだもん。
ですよね。わたしだって必死で探してるんですよ。それでもいないんだから。だって考えてもみてください、三ヵ月ですよ!

彼氏との三年間の同棲を解消したその子は三ヵ月も相手がいないのは長期間だと強調したいらしい。
だからなんだと言いたいような期間だ。
だいたい彼氏と暮らす前は誰ともつきあったことがなかったのだから、元に戻るだけのこと。
けれど、二四歳の女の子には元に戻るという感覚がない。
時間は常に前に前に進んでいる。
巻き戻ったり、同じところを廻ったり、たわんだり、ねじれたり、伸びきったりはしないのだ。
常に張りつめ、前進する。
新しいものや人やことに向って突き進む。
傷は癒え、失敗は忘れられ、恥は笑い飛ばされる。
笑いは……笑いは蒸発する。
空気の粒子に混ざり合い、ふわふわ漂ってそのうちに上昇気流に乗って見えなくなる。
愉快なことを片端から貪り散らかす。
なんてつまんない毎日なんだろ、なんでこんなに面白くない男なの。
どうしてわたしだけ彼氏がいないの?
喚きながら男と飲みにいき、いい気分で朝帰りして財布を落とす。
そんなことを繰り返しながら何か新しいことに挑戦しているような気になるのが若さだ。

もうこのままじゃ塞がっちゃいますよ。
塞がるって……セカンドバージンってやつ?
いや、むしろバージンです。

バージニティが開閉自由なら、一度開封されたその子に変化は訪れるのだろうか。何かが忍び込んで生態系を築いたり、気付かないうちに変形して怪物のような姿に変わるとか。
ああ、この世にお菓子を安心にとっておく方法さえあれば。
そう、安心さえできれば変化なんか怖くない。
久しぶりに開けた袋を覗き込むと、双子になったチョコが見える。
わたしは微笑む。
時間の流れに、その子の薄橙〈うすだいだい〉のリップグロスに、二〇歳のわたしに、生物の繁殖期に。
結局、当たり前のことを言っているにすぎないのだ。

あ、お菓子全部食べちゃった。

『Urinorm(ユリノーム)』 より randam_butter 2012.12.24 発行



【本日のスコーピオンズ】

22曲目「Evening Wind
3rd アルバム『In Trance 〜復讐の蠍団〜』(1975)より。
不穏なイントロから、延々咽び泣くギター。
なんだかわからないけど、しみじみとやるせなさだけは伝わる。
なるべく情報を入れずに音楽と向き合うつもりでいましたが、あまりにやるせないのでどういうことだってばよ、と検索してみたら「もう若くはない自ら、或いは薬物などで男性器の機能不全に陥ったことを歌っ」ているという解釈を見つけて、なるほどそれはやるせないなと思いました。
え、でも本当にそうなの?

感想は以上です。

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