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大地に立つ 2024.09.11


…とても濃厚だった、昨夕の、魂の会話。
その余韻にひたりながら、
今日は、朝6:50登校(社会科見学でいつもより早い集合♪)の息子を小学校へ送り届ける。
その後、一度帰宅し、7:50登校の娘を中学校まで送り。



その後に、いつもの神社へご挨拶に。
昨日のお礼も込めて。


車の流れが一瞬止まり、
静かで穏やかな時間が一瞬。


昨夕に授けていただいたコトへのお礼や、いつもサポートいただくことへのお礼を届ける。

メッセージがあれば、いただけるように…と、
チューニングを合わせてみる(なんとなくの、そんな感覚)。

…んー。
なんとなく浮かんだ?おりてきた??コトバ、
今日は短いひとこと。

足で大地に立つ。



ワタシなりの解説をすると…

グラウディングをしっかり。
ワタシたちは、いま大地に生きていることを、いつでも覚えていて。
大地とつながっていること。
地球の意識の存在を知り、地球意識とつながっていくこと。


今朝の神楽殿



あ!!!!!

…ここまで書いて、いま気づいた。

今日は、9.11ではないか!!!!!!


…そうか。。
9/11でした。
あの、一瞬にして、なんの罪もない大勢の人々が命を奪われた日、2001年9月11日。

被害に遭われた方やご家族や、関係したみなさまの
ご冥福を
引き続き心からお祈りするとともに、

この地球上にいま在るワタシたちが、
誰もがそれぞれに幸せに、温かい愛に満ちて生きてゆけることを、
強く願っていこう。
ワタシたちひとりひとりが、この地球に立っている、生きていることを意識して、
愛を循環させてゆこう。



そして。
のちほど、
友人が調べて送ってくれた。
せっかくなので、以下にメモを転記しておこう☆

ちなみに、この説明文は、
境内入口の看板にも書いてあり、これまで何度か読んでいたのに。
まったくピンときていなかった。
(然るべき時期がくると、ちゃんと理解できるようになるってまさにこのことだなと)



そう。
いつもご挨拶に伺っている最寄りの神社は、
諏訪大社の下社からの分社だったのだ。

まさに。
諏訪大社の中で、ワタシが唯一伺ったことがある場所が下社の春宮。
息子のサッカー大会が近くで行われたことがあり、
これまで2回伺った春宮。


ご縁あり、呼んでくださっている…とのこと様だ。

近々、伺ってみようと思う。


まるで謎解きのような。



写真はもう3年前!!!初訪問のとき。

もう3年前になるとは!!



ワタシがいつもご挨拶に伺う、地元の最寄りの神社。
ワタシにとってのパワースポット♡


【案内 メモ】
………………
霧降宮切久保諏訪神社(白馬村)
概要: 霧降宮切久保諏訪神社の創建は不詳ですが鎮座地である千国庄は平安時代末期から鎌倉時代初期に成立した事からその時期を前後して産土神として諏訪大社下社(長野県下諏訪町)の分霊を勧請したと推定されます。

時代が下がると切久保地区(塩島村・新田村)の鎮守として信仰され、江戸時代には松本藩四大社に選定され藩主の崇敬社として篤く庇護されました。

現在の本殿は明暦4年(1658)に再建されたもので大町出身の宮大工金原周防定兼とその弟子横田喜平次が棟梁として携わり、江戸時代初期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から平成13年(2001)に白馬村指定文化財に指定されています。

毎年9月の敬老の日は例祭(七道祭り)で七道の神事が本殿で行われ、平和を祈願する浦安の舞、五穀豊穣を祈願する尾花踊りが神楽殿(入母屋、鉄板葺、外壁は素木板張)で奉納され、当時は七道が被る7つの木面があり行列の参道を祓い清めていましたが現在は神面、獅子面、猿田彦面のみが残されています。

往時は諏訪大社で行われる式年薙鎌打ち神事(長野県指定無形民俗文化財)の際に下社から大祝一行が、薙鎌を捧持し「境の宮」又は「小倉明神」に参向する際、霧降宮切久保諏訪神社の神主宅で宿泊する事が常とされ重要視されていた事が窺えます(現在は大宮諏訪神社で奉告祭が行われています)。

霧降宮切久保諏訪神社は雨降宮嶺方諏訪神社、霜降宮細野諏訪神社と共に白馬村諏訪三社に数えられています。祭神:建御名方命、八坂刀売命、手力雄命、八縣宿祢命、天照皇大神。

霧降宮切久保諏訪神社の文化財
・ 本殿-明暦4年(1658)-三間社流造、こけら葺-白馬村指定文化財
・ 月光寺鰐口-至徳3年(1386)-銅製-白馬村指定
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