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ひだまりのように笑うおばあちゃんへ

拝啓 日中の空には早春の息吹が感じられる頃となりましたが、いかがお過ごしですか?
窓から差し込む陽の光がやはらかく、ついほのぼのとまどろんでしまいます。

最近になって、昔のことをよく思いだすようになりました。
うつらうつらした頭のまま、お父さんがわたしたちを運んできてくれた車から降りて、大きな荷物を抱えながらカラカラと扉を引くと、
ひだまりのようにやさしいおばあちゃんの笑顔に頭がぱぁっと晴れて、離れていた時間ときを確かめ合うように抱き合うどの瞬間も、大切な宝ものとしてずっと胸に仕舞ってあります。

いつかおばあちゃんの背丈を超えてしまったとき、
うれしいような、ちょっぴり物寂しいような思いをしたものですが、あっという間に22歳となりました。

食卓のうえで瑞々しく膨らむ蕾の憂いに目を向け、
インクに乗った物語の狭間にたゆたう呼吸を拾う、
もわもわとせわしなく湯気立ったフライパンの中身をひょいと摘まみ食べ、
急須のなかで開く茶葉ちゃようを眺めては、嘆声を洩らす日々。希望ばかりです。

一見混沌とした世上にみえますが、この命ある限り希望の欠片がたんとあふれている気がしてなりません。
うつくしいだけでは済みませんが、枯れおちた花弁も、割れてしまった食器も、星のみえない宵も、ぐったり起き上がれない朝も、自由を憚る身体の痛みも、どうしようもなく生きているということです。
どうしようもないのならば、どうしようもなさをも認めて、悠々と生きていたい。

この世に生を授け育ててくれたお母さん、お父さん、
そしてお父さんを産み育て、お母さんに出会わせてくれたおばあちゃんに、めいっぱい感謝しなければなりませんね。

お父さんは、
どんなに生活が苦しくても、心ない言葉が降りかかっても、いつだって笑って冗談言ってました。みてるほうが痛々しいくらい。でも、誇らしかった。
お酒がのめるようになってから、幾度も杯を交わしてきましたが、お父さんとの晩酌は幸福そのものです。
人よりほんのばかしお酒がつよいわたしを、お酒のよわいお父さんもなんだか誇らしげにしていて、いつも笑ってしまいます。

お母さんは、
かたちは歪でも、いつだってわたしたちを守るために必死でした。
たてついてばかりだった学生時代のわたしは、随分と傷付け落胆させてしまいましたが、
うつけたように呆れ返りながらも、いつでも栄養あるおいしいお弁当を作りつづけてくれました。
自分で料理をするようになってから、毎日お弁当を用意することがどれほど大変か、身をもって知ることとなりました。
お弁当は目に見える無償の愛だったんですね。

今となっては、時間が合うと毎週のようにカフェへ足を運んだり、ミュージカルを観に行ったり、そんなお母さんと過ごす何気ない日常の一頁が、生活の潤いとなっています。

ふたりともほんとうに不器用で、空回りばかり。
でも、ふたりから受けた愛は、わたしから淀みをなくし、いつまでも強く、這いあがるたくましさをもって、私を守ってくれるのだと思います。
そして、わたしも大切な人たちにありったけの無償の愛を届けられる人間でありたいものです。

ふたりの子どもでよかった。


最近ぬか漬けをはじめました。
おばあちゃん、知ってる?青パパイヤのぬか漬けってすっごいおいしいのよ。あと、意外と相性のいい食べものは、酢豚にカリフラワー、春菊と花椒、銀杏とからすみ。
わたしの4倍以上長く生きてきたおばあちゃんにとっては常識かしら?

わたしはお台所に立つと、なんだかすごくホッとします。
大切な人と食べるごはんは、焦げたハンバーグでもおいしいし可笑しい。
お父さんも時々、作ったごはんの写真を見せてくれます。
おばあちゃんもお父さんの手料理たくさん食べて、すっかり良くなりますように。

いつか、
おばあちゃんがおばあちゃん・・・・・・ではなかった頃の話、たとえば亡きおじいちゃんとの出会いの話、お父さんが幼子だった頃の話、家の隣で開いてた喫茶店の話だったりとか、
今叶えたい夢の話、最近みたなかで一番うつくしかった野鳥の羽色、花の艷色の話を聞かせてください。
わたしの将来の夢は、
世を去るときまで夢を持ちつづけることです。

それでは、 近いうちにお目にかかれるときを楽しみにしています。どうかお元気で。 敬具

                         旦

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ぐっと想いを込めた手紙を書くとき、noteの下書きを使わせていただくことがあり、
今回も例によって、先日うっかり転んでうまく歩けなくなってしまった、耳の遠い94歳の父方のおばあちゃんへありったけの想いをのせて手紙を書いていたのですが、
決して忘れたくない想いの数々でしたし、ええい、投稿してしまえ!と至ったまででございました。
以前書いたエッセイの続きにもなりますね。

両親が会話をしているところをもう何年も見ていませんが、
わたしはふたりを愛しているし、なにも心配いらないよ、という気持ちを伝えたかったのですが、伝わったかな。

まだまだ元気に笑っていてくださいね。
次会ったらぎゅうぎゅうに抱きしめて、もういいよって言ってもやめてやらないんだから。

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