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日本酒をすきになったとき、くるおしいほどにきゅうっとした

 日本酒をのんだいつかのとき、間のある風味の心地よさに思わず言葉を呑み込んだ。声をあげてはいけないと思った。
 この風味が頭のてっぺんからつま先まで抜かりなく行き渡るように、ゆっくりと鼻から息を吸って、つま先まで滑り込むのをしずかに待った。

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 日本酒ソムリエ検定 sake diplomaの資格を取得してから半年以上がたった。
 試験がおわった頃から、日本酒と過ごした日々のことを綴り、たくさんの音を閉じこめた海辺の貝殻のようにその想いをぎゅうっと抱きしめていくつもりが、滝の水が落ちるように容赦なく過ぎゆく時間にその流れ抗うことなくじっとしていたら、あっという間に桜の木に若葉が芽吹き、空に向かって青々と生い茂っている。

 今書き損ねたら、きっと一生書けないだろう。


 去年の春頃、成人を迎えてすぐのこと。何の気なしにsake diplomaの試験を受けることに決めた。

 心の深い深い奥底から全身を巡って「ああ、すきだ」と実感したとき、のどがきゅうっとせりあがってくるような、泣きたくなるようなきもちになることがある。
 私は日本酒をすきになったとき、そして改めてその愛を実感したとき、「ああ、やっぱりすきだ」と、くるおしいほどにきゅうっとした。

 20歳で日本酒に魅かれた私だけが伝えられること。
 目に留まった人のちっぽけな架け橋をつくれたら、という思いで稿を起こそうと思う。

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「どうしてわたしは日本酒がすきなんだろう」

 「合格」というかたちで手中に届いたときから、目標に向けて手繰っていた糸が途絶えて宙ぶらりんになってしまっていた。

 試験に申し込んだときはただ、「成人したことで可能になること」に手をのばしたかっただけなのかもしれず、
偶然sake diplomaの資格の存在を知ったあのとき、もしもビールやウイスキー、ワインの資格であったならば、そのお酒にのめり込み、酩酊していたのではないか。学ぶために身を寄せ合ったことで日本酒に情のようなものを覚えているだけなのではないだろうか。
 掴みどころのない決意からはじまった日本酒との時間にとうとう胸を張れなくなり、揺れ動くきもちを確かめるべく、ビール検定取得を目指して勉強した。

 実際に扉をたたいてみると、ビールは日本酒よりも日常のなかに多くひそんでいて、勉強していても生活に近しい部分がしばしば姿をみせるので飽きのこないものだった。
 多種多様なビールのゆたかさに喉を唸らせ、夢のなかでもビールの名称を発声し、連夜ジョンソンヴィルのソーセージとピクルスを咥えながらビールを飲んだ。

 晴れて検定合格をしたその日の晩、乾杯の手元に置いたのは日本酒だった。

 からからに乾いた身体を、ひんやりとした泉水に潜りこんだような潤いをもたらすのがビールなら、冷え冷えと背中を丸めた体に、じんわりと染み入って心肝までやさしくあたためるのが日本酒だ。

 ビールの冴え渡る清々しさよりも、日本酒の陽だまりのようなぬくもりに祝杯をあげてもらいたかった。
 それまで、資格取得に向けて寄り添ってきた時間の余韻のままぼんやりと日本酒を掴んでいただけだったような感覚が、この瞬間にがっちりと、どうしても手放せないものに変わったのだった。
 

 思えばsake diplomaの勉強中は、合格に向けてひもすがら日本酒に寄り添っていて、学ぶこと、学ぶたびに訪れる出会いがいとおしくて、がむしゃらに追いかけていたような気がする。
 これまでも、愉快な日本酒に出会うたびに胸がきゅうっと締め付けられるし、だいすきな銘柄の日本酒を流し込むと、身体中がじんわりと熱を帯びてあたたかなきもちになった。

 日本酒を飲む人たちはみなあたたかい。ほかの何にも代えられないだいすきなあたたかさがある。ひとりひとりがわが子の素肌をなぞるように、それぞれのかたちの愛を注いでいる。
 日本酒のことを褒められると、わが子を褒めてもらったようなきもちになる。そうでしょう、うちの子すごいでしょう?やったねお父さん(蔵の人たち)って。
 なぜだろう。日本酒には人をあたたかなきもちにさせる何かがある気がする。

 酒屋さんで日本酒を眺めている私をみて、「おもちゃ屋でおもちゃを眺めるこどもよりも生き生きとしているね」と言われたことがある。
 だって、わくわくする。淀みなく透き通る透明の液体に、重層的で奥行きのある味わいを造り出すまでに込められた、熱くひたむきな想いの数々が詰め込まれてここに並んでいるのだ。
 泣きそうなほど、わくわくする。

  世界にはひとつもかぶりっこない、人々と同じ数だけの繊細でゆたかな味覚があり、好みがある。
 同じ日本酒を飲んで持つ感想はみな異なりがあるから奥が深く、正解はあってほしくない。本を読んで感じる想いが読み手によってまったく異なるように、日本酒もそうであってほしいのだ。
 日本酒を普段飲まない友人に感想をきくと、清新で飾り気のないゆとりある表現が飛んできたりして、おもしろくてうんと為になる。もっとたくさんの人の声がききたいと思う。
 だれがのんでもおいしいと思える日本酒は存在しない。「おいしい」も「おいしくない」もあなただけのものだから、じっくりと、自分だけのおいしさを噛み締めていればいい。

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 はじめて日本酒をのんだときの、口に含んだ瞬間から余韻が消えていくまでのぴりりと痺れるような衝撃はぼやけることなく、いつでも引き出せるようずっと胸の奥に大切にしまってある。

 よどみなく奥を透かす日本酒の、静寂のなかの凄み。20歳でこのうつくしさに気がつけたことを誇りに思う。

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