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栄光に輝く日

7月17日は、創価学会の「大阪大会記念日」にあたる。

1957(昭和32)年のこの日、創価学会にとって重要な節目となった大阪事件を受けて、「大阪大会」が開かれました。
大阪事件は、この年の7月3日、学会勢力の台頭を恐れた当時の検察権力が、池田大作先生(当時青年室長)を、不当に逮捕・勾留した事件です。同年4月の参院大阪地方区の補欠選挙では、一部の学会員が選挙違反容疑で逮捕されてしまいました。これを、学会に打撃を与える絶好のチャンスと捉えた当時の検察は、逮捕した会員たちを恫喝したり、騙したりして、池田青年室長の指令で選挙違反をしたという虚偽の供述を引き出し、ついに無実の池田室長を逮捕するに至ったのです。引用:創価学会公式サイト「7月の広布史」https://www.sokanet.jp/kaiin/kofushi/07.html

よくわかる公式サイトの説明だ。

学園では、正義が不当な権力悪に打ち勝った日として、毎年記念式典(全校集会)が行われる。

一体、関西校の全生徒の何割が創価学会員なのだろう。公なデータは見たことがないが、感覚的にはほぼ全員だったと思う。

でなければ、こんな学会史への知識ありきの行事などできないだろう。

一方、創価学園は、仏法思想をベースとした教育機関であるようなことはHP等に公には書いていない。

あるのは、創価教育の体現を理念とする、という趣旨のこと。

それもそのはず、創価学会の始まりは、元々は教育者の集まりだった。

創価教育の淵源は、1930年、「創価教育学体系」を発刊した教育者、牧口常三郎先生と戸田城聖先生の教育理念に遡ります。創価とは「価値創造」の意味です。
当時、日本の教育が次第に日本軍当局への盲従を植えつける手段とされる渦中で、彼らは一貫して”教育とは子どもの幸福のためにある”との姿勢を貫きました。
1943年、二人は軍国主義に反対したため”思想犯”として逮捕され、牧口先生は獄中で亡くなりました。引用:創価学園「創価教育の原点」https://soka.ed.jp/introduce/origin/

牧口常三郎先生と戸田城聖先生はその後日蓮仏法と出会い、創価教育学会は創価学会と名を変えた。90年の創価教育の歴史は、もはや創価学会の歴史と切り離しては語れない。

理屈としては、わかる。

ただ、幼かった私は煮え切らなかった。

行事が近づくにつれ、ホームルームで、放課後に有志のグループで、冒頭の創価学会の歴史を「人間革命」を読み学ぶ。

休み時間には、希望者は校内の共用仏間で唱題(南無妙法蓮華経の題目を唱えること)をし、唱題表なるものに、お勤めをした時間のマスを塗りつぶしていく。(希望者の自主的なものではあるが、学校内でお勤めをする習慣は個人的にかなり衝撃だった)

創価教育は現在は海外でも研究がされており、論じる際には、牧口先生の日蓮仏法と共に歩んだ生涯を語らずにいることはできないだろう。

ただ、それを生徒にも求めるのは、納得ができなかった。

なぜなら、私は題目を唱えるために入学したのではないから。

栄光の日には共通で具体的な目標はないが、めいめいがそれぞれの課題(勉強や部活)に打ち込み、やりきった姿で迎える記念式典、という共通理解は今も健在だろうか。

そして、打ち込むためのベースのエンジンとされているのが、私たちにとっては題目だった。

題目をあげろ、と全校集会で言われたりはしないが、それを求められているのは明確だった。(教師によっては、教室で上記のフレーズをそのまま言う人もいたが)

私の心は、益々憂鬱になった。

おそらく、紛れのない親切心なのだろう。叶わざるなしの信心、と言うように、題目を唱え努力をすれば必ず道は拓ける、との自身の過去の経験から、若い私たちにアドバイスをくれている。

ただ、だからこそやっかいで、私にはそれは早くから「やらないといけないもの」になってしまった。

例えば吹奏楽部で楽器の練習をたくさんしているだけでは、「やりきった」とは言えない。

頑張りを「頑張り」と認められるためには、題目が必要だ。

そして、7月17日は、それを毎度突きつけられる日だった。

式典の終わりには、学会歌の「常勝の空」を皆で大合唱する。希望者は舞台に上がり、拳を振って独特の指揮を取る。

孤独と嫌悪感で、吐き気がした。

私一人だけが、この学園の中で異端児なのだ、そんな風に感じて、でも吐き気がするなんて絶対に言えなかった。

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