うつくしいそうかのにわで

私は関西創価高校(以下、「学園」)を卒業した。

卒業してから随分経つが、たまに当時のことを思い出すと未だにモヤっとすることが多い。

過去のモヤモヤに囚われているのもいい加減嫌になってきたので、時間があるときにそのモヤモヤを言語化することにした。

ただ、これから書くことは学園生や母体の創価学会を否定することが目的ではない。

また、全て私個人の感想、感情であって、学園について一般化するものでも、決してない。

それでも、中学までは公立に通っていた者から見ると、ちょっと変わった風習や「それ、古いんじゃない?」と思う考え方に出くわすことは多々あった。だが、当時はそれをそのまま口には出来なかった。

「おかしい」と思うこと自体がおかしいのだと思っていたくらいには影響されていたし、随分悩んで辛かった。

でも大人になって、当時の自分の感覚は間違ったものではないと思えるようになった。だから強いて言うなら、当時の私と同じようなモヤモヤを持っている人がもしいたら、その人に向けて綴りたいと思う。余計なお世話かもしれないけれど。

私は2010年代に関西創価高校に入学した。

もともとの志望理由は二つ。吹奏楽部が強いことと、制服が可愛い(苦笑)こと。

母がOGなので存在はもともと知っており、一度中学校を受けて落ちている。

高校は公立に行く予定だったが、中学で始めた吹奏楽を本格的にやりたく、ただ強豪だと私立が多い。結果、他の私立を選ぶなら既にどんな学校か知っている(と思っていた)、しかも制服が可愛い(苦笑)学園を選択。

ロクな理由じゃないのでそりゃそうだという感じだが、やはり入学後、思っていたのと違うことが多く色々とモヤモヤと葛藤を抱えることになる。

ただ、学園には優しい人がたくさんいた。

クラスメイトは、私がいたときは基本皆下の名前で呼びあっていた。

これは公立上がりの私からするととてもびっくりで、でもすぐに溶け込むことができたから、すごく助かった。

一方、その純粋さゆえに、「必ず池田先生のご期待にお応えします!」と大多数の学園生が色んなシチュエーションで言っているのを聞くと怖くなったし、言い様のない脱力感が襲った。

風習や習慣に、正しいとか間違いはきっとない。

だが、皆が自分の頭でそれについて吟味しないまま、考えることを放棄し、同じ方向を見ているように見え、生意気だけどちょっと苛立っていたし、反面怖かった。

こんな目に見えない習慣だけではなく、目に見えるところでも、あれ?と思うことはいくつもあった。

次回以降、それらの違和感のピースについて、一つ一つ書いていってみようと思う。

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