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共感性が低いのよ私、という友達の不思議。

先月、久しぶりに友達とランチをした。

同じこども園のママで、子どもの学年は見事に違うのだが、感染症が流行する前、学級委員のつながりで一緒に仕事をしてから意気投合し、気づけば年に数回ランチをする仲に。

彼女はもともと大学の事務職で働いていたが、私の在宅ワークの話を聞いて、そんな働き方いいね、と経理の仕事を在宅でできる会社に転職した。

私が彼女に一番惹かれるのは、
『まともで健全な自己肯定感の持ち主である』という点だ。

もしかしたら落ち込むこともあるのかもしれないが、くよくよしている姿を見たこともないし想像もできない。たぶん落ち込んでも1日寝たら回復するタイプのように見受けられる。

また、人間関係で悩むことがないらしいことも憧れポイントである。
曰く、『私、この人には近づかない方がいいっていうアンテナが働くんよね』
羨ましい…!欲しい、私もそのアンテナ。

それと、私はHSPの人とじゃないと分かり合えない部分があると自己分析していたのだが、彼女はおそらく非HSPだ。それなのに居心地が良くて何時間一緒にいても疲れない。

その上彼女は、先日こう言っていた。
『母親に、“あんたって本当に共感性低い”って言われてるからね、私』と。これには驚いた。いつも私の話に共感してくれていると思っていたから。

聞けば、お母さんと弟さんは、共感性が高くてちょっとメンタルやられやすく、友達とお父さんは、共感性が低く、鋼の精神らしい。
笑いながらそんな話をする。

そんな私も、メンタルやられたーって話を彼女に聞いてもらうことが多いのだが、確かに、共感というよりは、彼女は好奇心丸出しでニヤニヤしながら話を聞いているかも。

書いてて、おかしくてたまらなくなってきた。これじゃあまるで友達がサイコパスみたい。笑

だけど彼女に話して元気になれるのは間違いないのだ。嫌な思いをしたことも一度もない。彼女ははっきりと物を言うけれど、嫌なことは一切言わない。言葉選びが賢いんだろう。

いや、言葉選びの前に…やはり健全な自己肯定感を持っていることが大きいのだろう。

そのおかげで、相手と自分との間に、明確な太い境界線をしっかり引いているから、私がうまくいっていれば『ええやん、良かったやん』と言ってくれるし、
私がうまくいかなくて悩んでいたら、否定も肯定もせず、彼女の見解を淡々と述べてくれる。

人の嬉しい話に凹む、妬む。
人の落ちこんでる話にひっそり喜ぶ。
急に上から目線でアドバイスする。

そういう不安定さを持った人って意外に多いと感じているので、揺らがない自己肯定感を持った友達は、とても貴重な存在に思える。

思い返してみたら、私が助言を求めて、彼女から出てきた言葉は、私が言って欲しいと思うことばかりじゃなく、気づきのあることが多い。

それは共感や同調を超えた、私の世界を広げてくれるものだ。

ということは、共感性がなくても心地よいコミュニケーションは築けるんだ。

私は共感性の低い夫の態度にイライラすることが多いけど、問題は別にあるってことか。笑

相手の話に興味を持つ
話を最後まで聞く
考え方を否定しない

こんなことを守るだけでも十分なのかもしれない。

これから、自分のコミュニケーションの主軸となっていた『共感性』を抜いて、他の人とも心地よい関係性を維持できるか、ちょっと実験してみようかと思う。

そうすれば、自立した、依存性のない、疲れ知らずの関係を構築できるのではないか?と思えてきたからだ。

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