「なんにも習い事してなくてズルい。」
小学1年生の次男が、ある日公園で遊んでいたら、小学2年生の男の子に、そう言われたらしい。
少ししょげて帰ってきた次男を見て、私は「おおぅ、そう来たか・・・」と軽く天を仰いだ。
どうやら、その男の子は、習い事のほかに、塾にも行っているらしい。は、早ぇ…
いや~私の時代は、「習い事させてもらってありがたい。むしろ申し訳ない」だったけどなぁ~(貧乏なうちだけ?)今は、そんなことをいう子がいるんだな。
「ズルいってことは、その子はきっと行きたくない習い事にも行ってるのかもしれないね。行きたい習い事があれば行く、行きたくなければ行かない、それがいいよね?」
そう聞いてみたら、次男は「うん、それでいい」と言いながら、すでにお絵描きを始めていた。
習い事。
我が家は、長男だけが小学校入学直前からそろばんをやっているが、次男も長女も何もしていない。本人たちが興味を持ちだすまではいいや~と思っている。(「私は、自然体の育児を目指しています」とか言いたいんだけど、ズボラでめんどくさがり説が濃厚)
先月、次男が「自分もそろばんやってみたい」と言うので、長男と一緒に行かせてみたところ、教室に入った途端、身をひるがえして玄関に戻り、1時間、長男の終わるのを待っていたらしい。
帰宅後にそんな話を聞いて驚いたのだが、次男曰く「なんか違うって思った」。
動物的な勘が働いたのかなぁと思い、おかしくなった。それに、開始前でよかった…専用のお稽古バッグを買ってからすぐ辞められたらもったいないし、とドケチな私は安堵した。
後日、そろばん教室の先生にお詫びに伺った。
先生もそのとき次男のことを気にして、何度も玄関に声をかけに行ってくださったらしく、申し訳なかった。
習い事に関しては、本人がやってみたいと思えばやってみて、楽しければ続けたらいいなぁと思う。
もちろん子どもが知らない習い事もあるから、親が、「この子に合っているかも」「好きかも」という可能性を感じて、体験や見学に連れて行くこともあるとは思う。長男のそろばんもそうだった。
ただ、その先は、「やらされている」「やらなきゃ」ではやってほしくないなぁと、我が子にも、全ての子どもたちに対しても切に願う。
でも、目標や夢があって、それに繋がる習い事なんだと子ども自身が信じているのだとしたら、簡単に諦めていいわけでもないしな。そのあたりは慎重な対応が必要だ…。
長男は、そろばんの3級に挑戦しているときに、なかなか合格しなくて、一時期行きたがらなくなったことがあった。行きたくないと半べそをかく日もあった。
「どうする?やめる?」と聞くと、「いや…1級までは頑張りたい」と言うので、ひとまず合格を応援することにした。どのような手順でそろばんをはじいているのかは私にはわからないので、ただ長男の横について、タイムを計ったり、間違えたところだけをもう一度やってみよう、などと声をかけたりすることしかできなかったのだけど、ほどなくして長男は3級に合格した。
そのとき、この子のあと一歩に必要だったのは、親の関心や伴走だったのかもしれないと思った。
それにしても、「なんにも習い事してなくてズルい」というセリフは、昨今の、経済的には豊かでも心が満たされていない日本人が多い象徴のようにも思えてしまう。「たくさん習い事しててズルい」のほうが100倍夢があるよなぁ。
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