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【小説】「共性する私たち」第2章

第2章

悪くない合コンだったな、と千弥子は思った。
男性陣は、話の面白い人と、聞き上手がバランスよく混在し、佳奈の同僚たちもよくしゃべる子が多かったので、非常に盛り上がった。特に幹事の信二さんは、面白いうえに、聞き上手で、さらに、ツッコミ上手な万能選手だった。まだ結婚していないとはいえ、彼女くらいはいるだろうと千弥子は推察した。

千弥子は、あまりしゃべらず、所在なげに何度もグラスを持ち上げる幹夫に対し、異性としての興味だけでなく、アウェイな飛び入り参加同士の親近感も加わって、席替えタイムで隣の席に座った。千弥子は初対面の人とも臆さず話せるほうだが、多弁な男性よりも、口数の少ない男性の方が、落ち着いて話せると常々思っていた。

少しの時間話しただけだったが、千弥子は幹夫の表情や話し方が好きだと思った。口数は少ないけど、暗いわけではない。幹夫は、千弥子の問いかけや話題に、終始親切に、言葉を選びながら優しい口調で応じてくれた。彼は、吉祥寺で美容室を経営していて、33才。住まいは武蔵境だという。中央線沿線で、たった4駅なら会いに行きやすい!と千弥子は自分勝手な想像を膨らませた。美容室のある吉祥寺だって荻窪からは2駅だ。失恋でちょっとおかしくなっているかも、と思いながらも、千弥子は幹夫にうっすらと縁を感じていると自覚した。

海鮮居酒屋を出たのは21:20頃だったが、もう一軒行こう、と信二さんと香さんが言い、誰も異議を唱えず行くことになった。
しかし、幹夫だけ、このあと用事があるとのことで、二次会には行かないという。千弥子は、幹夫と連絡先を交換したいと思い、他のメンバーが二次会のお店をスマホで検索しながら相談している間に、幹夫にこそっと話しかけた。「今度、お店に行っていいですか?」
幹夫は「喜んで」と言って連絡先交換の申し出に応じた。

幹夫が去ってしまった後、男性5人、女性6人で二次会へ行き、新宿の夜を彩るネオンに終電ギリギリまで溶け込んでいた。
千弥子は、幹夫のことが頭から離れずにいた。

次の日は日曜日だったこともあり、千弥子は、丸ノ内線の終電で、佳奈の住む新中野の部屋に一緒に帰り、2人だけでまた飲みなおした。

「今日は私たち、3時から飲んでるから、もうこれ4次会だね」と佳奈は笑いながら、新品のパジャマを千弥子に渡した。

「佳奈、今日は楽しかったわ。急だったのに香さんに頼んでくれたりして、本当にありがとう」裏起毛のパジャマを受け取りながら、千弥子は佳奈にお礼を述べた。

「いえいえ、ちょうどよかったよね。…それよりチャコは、あの熊野幹夫って人が気になるの?なんか意外なんだけど」
佳奈が興味津々な様子で尋ねる。

「あ…なんか自分からガツガツ行って恥ずかしいんだけどね、実は、彼の顔を見たときに、ヤリたい…じゃないや、抱きたいって思ったの。びっくりじゃない?」

「うそっ!えーそれはちょっと…いつものチャコじゃなくない?享と別れておかしくなってんのかな…ていうか、チャコってそんなに性欲強いほうだっけ」

「もう4次会だからとことんぶっちゃけるけど、私、結構性欲はあるほうだと思う。でも享とは、あ、まだうまく行ってるときの話ね、自分からあんまり積極的にならなくても、享がリードしてくれるっていうか、なんでも享のタイミングで良かったというか…えぇと、意味わかる?」

「つまり、モラ男の享がやるぞと言えば素直に従って、彼のやる気がない時は、チャコも自ら誘ったりはしない的な?」

「はは…うん…まぁそういうことか。受け身だったつもりはないんだけどね、でもあまり自己主張もしてなかったような気がする。でも熊野さんには、この人を抱きたい、なんか、守ってあげたい、みたいな気分にもなったの。ハッキリ言って、ムラムラした。しかも顔見た瞬間にだよ。私、男にでもなったみたいな。ちょっと変だよね?」

「そうなんだ…そういう感情になったことないからわからないけど、でも、今まで作動したことのない感情のスイッチが、いきなりONになったりすることもあるのかな、そういう出会いがあってもおかしくないのかなって、今チャコの話聞いててちょっと思った」

「感情のスイッチか。いいこと言う。そうだね。そういうこともあるのかもしれないね。熊野さんが私の秘境のパンドラを開けちゃったか」

「パンドラって。だけどさ、気を悪くしたら、ごめんね。私、熊野さんって、ちょっとゲイっぽいなと思ったんだけど、チャコは感じなかった?」

「えっ、うそ…?あーやだな、佳奈にそう言われたらそんな気がしてきちゃう……うーん、いや、中性的ではあるけど、ゲイとは思わなかったかも。でも、今の自分の感覚にちょっと自信ないかも。なんか何でもいいからふかふかのソファがあったらもたれかかりたい、って思ってる可能性もある。熊野さん、すごい優しい雰囲気で、なんかすごく癒されたんだよね」

「なるほどね。まぁ、私たちはまだ31才だから。焦らずいこうよ」

「まだ!って言っていいの?私今年中に結婚する気でいたよ~また振り出しだよ」

「さっぱり断捨離できてよかったじゃん。31なんてまだ全然余裕でしょ」

佳奈はそう言うと、大あくびをした。ソファに横になり、目を閉じて、そのまま寝息を立て始めた。

佳奈みたいに、仕事に夢中だったら、私もこんなに結婚にとらわれないで済むんだろうか。そうぼんやり思いながら、千弥子は佳奈に毛布をかけ、借りたふわふわのパジャマに袖を通し、佳奈のベッドにもぐった。

日曜日、朝10時過ぎに2人は目覚めながら、互いに、ベッドとソファから起き上がることなく怠惰に過ごした。

「佳奈はさ、結婚したいとは思わないの?」
千弥子は昨日聞けないままだった疑問を、口にした。

「うーん、そうねぇ、年取っても一緒にいたい、って思えたら結婚したくなるのかもしれないけど、そういう人も今いないし、今のところあんまり興味ないのかもね」

「へぇぇ、そうなんだ。私もそのくらい冷静でいたかったな。今、享のこと思い浮かべてみたんだけど、年取っても一緒にいたい、って思える人じゃなかったわ。ただ楽しいだけ、今だけ、だったのかも。なのに、なんで同棲までしちゃったのか」

「“今が楽しい”だって、もちろん大事だと思うよ。先のことばかり考えてたってつまらないし、今好きじゃなかったら、将来好きでいる可能性なんてもっと低いもんね。実を言うとさ、私は、好きだなぁって今思えることと、生涯添い遂げたい、って気持ちを1人の人間に対して同時に感じられるのが不思議でしょうがないんだよね。そんなふうに思える人に私も出会えるのかな?世の中の結婚してる人たちって、そこをどうやって判断してるんだろう。実はすごいことだよね?」

「うん…私もわかってないのかも。年取っても一緒にいたいってどんな感覚なんだろう。よく恋が愛に変わるとか言うけど、私はもしかしたら愛ってやつをまだ知らない可能性があるな」

「え、じゃあ、享のことはどう思ってたの?結婚してもいいなと思えてたのは、何がポイントだったの?」

「いやー…冷静になってみたら、付き合ってるし、いい年だし、もうそのまま結婚するよね、って。思考停止状態だよね。母からもまだ結婚しないのかって急かされてたのも、ちょっとあったのかなぁ。まぁ彼自身、仕事も真面目にやってるし、見た目もタイプだし、大事にしてくれるし、結婚相手として悪くない、と思っちゃってたかな。モラハラが隠れたままだったら、うっかりそのまま結婚してたかもしれない」

「…そうか。いや、ホント別れてよかったよ」

享からの連絡は相変わらずなかった。
千弥子は、本当にこの2年は一体なんだったんだろうと愕然とするが、とにかく間違って結婚しなくて良かったと思うことにした。明日職場で会うのかと思うと気まずいが、同じ営業部でデスクは近いものの、顔を合わせないでいようと思えばいられる配置だ。そのことに少し安堵していた。

佳奈は、トーストと目玉焼きを用意し、コーヒーを淹れてくれた。
ありがたい存在、佳奈様様だと噛み締めて、千弥子は昼過ぎに、自宅へ帰った。

自宅に戻ると、なんだか無性に何かを変えたい気分になった。模様替えでもしようか、買い物に行って新しいテイストの服でも買いに行こうか———。

とりあえず、千弥子は気分のおもむくまま、昼間から湯船にお湯を溜めて、ゆっくりと浸かった。じっとりと汗をかき、自分の中の毒素———浅はかな
結婚への焦り、万能な男に愛されているという幻影、さらにそんな状況にただ酔っていただけという疑惑———を自分の中から綺麗さっぱり洗い流したくなった。

そして、千弥子は、幹夫のことを考えていた。
別れてすぐにまた誰かが気になるなんて、恋愛で頭がいっぱいみたいで、恥ずかしいような気もするが、たとえばこれが恋じゃなかったとしても、享の記憶を薄めてくれる存在があることが、ありがたかった。

昨日、彼は合コンの後に用事があるって言ってたけど、本当に用事なんてあったのかな。補欠で呼ばれた人なら、彼女がいてもおかしくないよね。それとも、早く帰りたかっただけかな。となると、自分は脈なしじゃないか。
そんなことを千弥子は頭の中でぐるぐる考えていた。

そしてふと、思い立った。
そうだ、彼の美容室、行ってみようか。
ちょうど鎖骨あたりまで伸びていた髪を短くしたかったし。
予約してみよう。

千弥子は湯船から立ち上がり、大急ぎで体を拭いた。


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