フランキー堺『続あゝ軍艦旗 女護ケ島奮戦記』(1957)|配信で観たい!?最も笑った映画紹介(ネタバレ有)
この記事では、まだ配信サービスで観られない映画『続あゝ軍艦旗 女護ケ島奮戦記』について語ります。
※一映画ファンの感想です。これを読んでご自身で調べられるのは自由ですが、当記事を根拠とした不確かな情報拡散はご遠慮ください。
※思い切りネタバレします。ご注意ください。
◇数年前VHSで購入した最も笑った映画
旧作日本映画を取り巻く環境は、2020年を堺に変わりつつあります。自分が好きな日活映画は、一昨年から配信サービスに力を入れています。
これは、名画座に簡単に通えない地方にとっては、今までDVD・BDやCS放映のみであった選択肢が増える、言い換えれば”とりあえず観る手段ができた”という事が大きいように思います。もちろん、コレクションしたいのであれば、今まで通りDVD・BDやCS放映、VHSなど集めるのもいいかもしれません。
そういう意味では、今から日活映画を見ようという若い世代は入りやすいと思います。
自分の場合は、DVDが出ていない作品はVHSで購入していた訳ですが、その必要もないという事ですね。この『あゝ軍艦旗』シリーズもそうです。
今思えば、高い買い物でした。別々に中古で買って合計10000円以上した記憶があります。ちなみに発売当時の価格は一本で14800円、合計でなんと44400円。これが配信で観られるいい時代になったものです。
ただ、今回紹介する『続あゝ軍艦旗 女護ケ島奮戦記』は、まだ配信サービスに登場していません。
そこで、自分なりに面白さを語っていこうと思います。
◇配信サービスで観られる『あゝ軍艦旗』シリーズ
『あゝ軍艦旗』シリーズは、江戸っ子育ちで要領の良い門馬(フランキー堺)と東北生まれのお人よし間々田(市村俊幸)による新兵コンビの戦争喜劇三部作。(門馬はトンマのもじり、間々田はマヌケをもじった名前と思われる。)彼らに振り回される上官の酒巻兵曹(小沢昭一)も重要なキャラで、シリーズ皆勤賞。
現在(2022年12月)配信されているのは、一作目の『フランキー・ブーちゃんの あゝ軍艦旗』、三作目の『フランキー・ブーちゃんの 殴り込み落下傘部隊』。
○フランキー・ブーちゃんの あゝ軍艦旗
シリーズ一作目は、『フランキー・ブーちゃんの あゝ軍艦旗』。
○フランキー・ブーちゃんの 殴り込み落下傘部隊
シリーズ三作目は、『フランキー・ブーちゃんの 殴り込み落下傘部隊』。
これら二作は、主に軍隊生活を面白おかしく描いた内容。簡単に言うと、松竹の『二等兵物語』の焼き直しのような印象を受けた。フランキー堺が同じ喜劇俳優として伴淳三郎に影響を受けたのか、他社で当たったシリーズなので意識していたのか…
お涙頂戴な笑いあり涙ありといった喜劇で、自分が期待していたものとは違っていた。
◇テコ入れ大成功?漂流生活は夢か幻か
例えば、日常ギャグがバトルものになったり、あるいはバトルものが異世界ファンタジーになったり、そんな漫画のテコ入れ。皆さんも心当たりあるはず。
二作目の『続あゝ軍艦旗 女護ケ島奮戦記』はテコ入れ成功の部類と個人的に思う。軍隊生活を中心とした他二作に対して、孤島を舞台とした摩訶不思議な冒険。まるで夢か幻かのように荒唐無稽…いい意味で馬鹿馬鹿しいのだ。
○続あゝ軍艦旗 女護ケ島奮戦記
①「鯨か魚雷か」揉めて仲間が全員戦死
物語は、敵との戦闘から始まる。前作で船出した門馬と間々田も戦闘に加わるが、自分の船に向けて爆弾を投げて、敵の攻撃よりむしろ大きな損害を出してしまう。戦闘後、二人は罰として連続勤務の雑用を命じられる。
見張りを任された二人は、捕鯨砲で鯨を取ろうとするが、水面にから近づく物体が鯨か魚雷かで揉めている。
「鯨だろ」「魚雷だべ」「鯨だろ」「魚雷だべ」…
「ドカーン!」
画面がフェードすると、船の残骸に乗って漂流する二人が映る。
ええ…今ので他の船員は戦死!?しかも、この船は横須賀港へ帰る途中だったのだ。序盤にして怒涛の展開。トンデモシーンその1。
②”空飛ぶ絨毯”で南海の孤島へ
友軍機に撃ち落された米兵のジョー(岡田真澄)が空から降ってくる。二人は捕虜にしようとするが、反対に縄で縛られて捕虜にされてしまう。
機雷が船に近づいてくる。「ああ、機雷だ、機雷」「大嫌い!」
しかし、機転の利くジョーは、機雷を使って魚やタコ、イカなどを釣り上げて何とか食料を確保する。
日本軍の戦闘機が上空を飛ぶのが見えると、二人は助けを求めるが、ジョーは戦闘機に向けて捕鯨砲を撃つ。
「カーン!」
見事に命中し、戦闘機に引っ張られた板がまるで空飛ぶ絨毯のように空を飛ぶ。第二のトンデモシーン。そして、戦闘機は孤島に不時着する。
③捕らえた一行、疑似コキュ展開
戦闘機に乗っていたパイロットは、偶然にも一作目で上官だった酒巻兵曹。酒巻はジョーを捕虜にするよう二人に命じ、ジョーもそれを了承した。
一行は島の探検に出るが、原住民の仕掛けた罠にかかり、酒巻とはぐれてしまう。
捕らえられた一行は、間々田の妻にそっくりな原住民の女性サーナ(中原早苗)と出会う。どうやらここはかつて源義経が漂流した島で、住民は武士のような日本語だが、多少言葉を理解できるらしい。彼女は女酋長(清川虹子)に助けるよう命乞いをしているようだったが、助けられたのはジョーだけ。サーナは彼に一目惚れしたのだ。
一作目では、間々田と妻の夫婦愛が終盤の感動に関わっていた訳だが、今作では妻に瓜二つの女性が憎き米兵と相思相愛になるという…フランス語でいうコキュ(浮気された夫の意)展開。喜劇として描かれているけど、結構キツイ。
猛獣のいる檻に閉じ込められる門馬と間々田。ここで挿入される猛獣の資料映像とチャチな着ぐるみのギャップが凄い笑。その後、謎の類人猿?が登場したりする。
ジョーはサーナと結婚、門馬と間々田は女酋長と渋々結婚する事でひとまず命は助けられた。
④訓練シーン・小沢昭一のモノマネをするフランキー堺
女酋長と結婚した二人は、夫というより召使いのような扱いで尻に敷かれ、部族間の争いに備えて軍事顧問に任命される。
門馬は、前作で教育係であった酒巻兵曹の指導や口調までをそのまま真似る。つまり、小沢昭一のモノマネをするフランキー堺が見られるのだ。この訓練の場面は前作と比べると、とても面白い。海軍ではダメダメで上官を困らせていた二人が原住民相手に威張って、言葉が通じずに反対に振り回される上官ポジションになっている。
「鉄条網もトーチカもあると思え!」「どんな障害も乗り越えて進め!戦友が倒れたら、その屍を乗り越えていくんじゃ~、進め~!」
「誰だ、上官を踏んづけてったヤツは!しかし元気があってよろし~!」
このセリフは前作の小沢昭一そのままなのだ。
⑤敵部族との争い
実は、対立する部族の指揮を執っていたのは酒巻兵曹だった。日本軍式に鍛えられた二つの部族による疑似的な戦争。竹槍で攻め合うが埒が明かない。そこに機雷が登場する。海で漂流したとき、食糧難を救った”あの”機雷。
海岸に流れ着いたらしく、ジョーを中心として地雷のように仕掛ける。敵は一網打尽にされ、みごと勝利。
その夜に勝利の宴が行われた。縛り上げられた酒巻兵曹が生贄として現れ、釜茹での用意がされる。思わぬ再会。戦に負けた部落が神に生贄を捧げる風習だという。という事は、こちらが負けていたら…?怖…
宴が終わり、皆が酔い潰れた隙に酒巻を救おうとするが失敗。女酋長は怒り、門馬と間々田が代わりに生贄にされてしまう。と、そこに日本軍が島に上陸。島に飛行場を作るため、原住民との交渉に現れたのだった。
⑥島からの脱出
命拾いした一行だったが、軍隊生活に逆戻り。門馬と間々田は再び酒巻とは上官・部下の関係になり、雑用でこき使われる。部族間の争いに貢献したジョーは捕虜として原住民に捕らえられた。
飛行場建設のための駒として、門馬と間々田は女酋長に再び差し出される。サーナからはジョーを米軍に帰すため、酒巻兵曹の戦闘機に乗せてほしいと頼まれる。
酒巻との説得の末、脱出計画が始まる。ジョーは島に残るサーナと別れを惜しんだ。どさくさ紛れにコッソリ門馬と間々田も戦闘機に乗り込んで島を脱出する。
⑦クライマックス・意外と出来のいい空中特撮
米軍基地の上空まで到達し、ジョーは基地と無線で連絡を取る。ともに島で摩訶不思議な体験をした一同は「戦争がすんだらまた会おう」と誓い合う。敵同士ながら友情を感じる場面。
それに水を差すように、戦闘機から落ちそうになった間々田が、誤って米軍基地へ爆弾を落としてしまった。米軍は反撃を開始、ジョーはイチかバチかパラシュートで離脱し、負傷した酒巻兵曹の代わりに門馬が戦闘機を操縦する。
しかし、戦闘機にしがみついた間々田の重みで操縦はままならず、海に不時着する。
この一連の場面は、意外と出来のいい空中特撮となっている。
冒頭のように、海を漂流する三人。戦闘機の残骸に軍艦旗を立てて、前作のように敬礼し、「海ゆかば」が流れる。しかし状況は真逆。これからどうなることやら…というところで終。
…ここまで内容を書いてみたけど、どうだろう?ついてこられたかな?
◇考察・なぜ配信サービスにないのか?
自分の考える大きな問題点は、まず「人食い土人」などの現代では不適切なワード・表現が多数使われている事だと思います。
また、原住民の女性たちが踊る場面で、言葉を濁して言うと”上”が見えます。当時でも成人指定などなかったのでしょうか?
とにかく内容が非常にセンシティブなのです。この作品は前作あってこその面白さであり、逆に一作目だけ観ても物足りなさを感じると思います。
『続あゝ軍艦旗 女護ケ島奮戦記』は、海で漂流する場面で始まり、海で漂流する場面に終着します。結局のところ、この作品がなくても「なんやかんやあって船出した二人は海を漂流していたところを助けられました」というあらすじで、問題なく一作目と三作目が繋がってしまうのです。
まるでこの作品自体が夢か幻だったかのように。
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