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宍戸錠『ろくでなし稼業』(1961)|「入社7年、出演77本目にして初主演」記述の謎

この記事では、宍戸錠の初主演作『ろくでなし稼業』は”入社7年出演77本目”(三つのラッキーナンバーの縁起を担いだ)なのか?について語ります。

※一映画ファンの調査です。これを読んでご自身で調べられるのは自由ですが、当記事を根拠とした不確かな情報拡散はご遠慮ください。



 事の発端は、今年(2020年)1月に宍戸錠さんが亡くなられた際の新聞記事に始まる。様々なメディアの報道で追悼の意を表していたが、追悼記事のひとつにこんな一節を見つけた。

“「エースのジョー」は、昭和36年に「ろくでなし稼業」が封切られる際、日活の社員が宍戸さんにつけたニックネーム。入社7年、出演77作目にして初めての主演作だった…”


石井健『【悼-いたむ-】俳優・宍戸錠さん 生涯「エースのジョー」』.産経新聞. 2020年1月30日

 これは、少し前に自分がツイートした内容と似たような記述だった。

 まさか新聞社が一ファンのツイートを記事に取り入れる訳がないので、他に何かしら情報の裏取りがあるのだろう。しかしながら、(一部のファンくらいにしか興味のないであろう)この真偽を確かめたいと思い、自分でも少し調べてみた。


◇『藝能画報 1961年4月号』

 件の過去ツイートの出処は、自分が所有している一冊の古本『藝能画報 1961年4月号』からだった。

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「エースのジョー初主演」『藝能画報 1961年4月号』.1961.日本文化通信社.p11-12

”…ダイヤモンドラインに昨年暮仲間入りした”エースのジョー”こと宍戸錠さんが、入社六年、出演本数七十七本目にして、射止めた金的、『ろくでなし稼業』の主役を、彼独特のニヒルな表情をもって楽しそうに演じている。”

「エースのジョー初主演」『藝能画報 1961年4月号』.1961.日本文化通信社.p11-12


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「エースのジョーという男」『藝能画報 1961年4月号』.1961.日本文化通信社.p67-68

”…俳優になった以上、だれでもが思うことは“自分の作品”を持つことでしょう。彼の場合、そのチャンスが“七十七(本目)”というラッキー・ナムバーでやってきました。”

「エースのジョーという男」『藝能画報 1961年4月号』.1961.日本文化通信社.p67-68


 以前に読んだとき、この記事の小見出し「むくわれた七年目」“七十七(本目)”というラッキー・ナムバーというワードが妙に印象に残っていたのをツイートしたのだと思う。


◇日活公式サイト

 しかし、確認すると『ろくでなし稼業』は錠さんの出演77本目ではなかった。日活公式サイトにや出演作をまとめている雑誌を調べて数えても、どれも77本目ではなかったのだ。ちなみにクレジット表記が確認されている作品を数えると73作目の出演にあたる。惜しい。

 宍戸錠・著『シシド 小説・日活撮影所』では、三國連太郎主演作『泥だらけの青春』、北原三枝主演作『女人の館』など仕出し時代(デビュー前)に出演したエピソードが載っているが、それらを考慮したとしても77以上の数になってしまう。

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◇『日活映画 1961年4月号』

 さらに調べてみると、また新たに情報が見つかった。日活株式会社事業部の発行していた機関紙『日活映画 1961年4月号』。ここには、錠さん自身がデビューから『ろくでなし稼業』までを振り返った小さなエッセイのような記事を寄せている。

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宍戸錠「ろくでなしものがたり」『日活映画 1961年4月号』.1961.日活株式会社事業部.p15-16

”…この『警察日記』が、忘れられないボクのデビュー作品でした。それ以後、七十六本の映画に出ました。撃ったり撃たれたり、エースのジョーも苦労しました。そして、七十七本目。ボクは『ろくでなし稼業』に主演させてもらいました。"

宍戸錠「ろくでなしものがたり」『日活映画 1961年4月号』.1961.日活株式会社事業部.p15-16

 うーん、錠さん本人がそう語ったのであれば文句なしか?

 かと思えば、こんなことも…

”30年にデビューして7本くらいやって、ホサれたりして。(中略)『第8監房』ってタイトルに名が出てますけど出演してませんよ。『沙羅の花の峠』でノイローゼになった。...”

「宍戸錠インタビュー」『ムービーマガジン No.18』.1978.ムービーマガジン社.p12-17

追記

 2022年、CSで『第8監房』が放映されました。当初、衛星劇場のHPには出演者に宍戸錠が掲載されていましたが、実際の作品を観てみるとオープニングクレジットには名前がありませんでした。その後、HPでも訂正されたようです。


◇まとめ

 いくつか情報の出処があることはわかったが、実際のところ(繰り返しになるが)『ろくでなし稼業』は錠さんの出演77本目ではない。
 前述の通りクレジット表記がある作品では73作目の出演にあたるが、3,4本くらいの誤差など気にしない昔ながらのおおらかさだったのか?あるいは、同じく宍戸錠主演『早射ち野郎』でいうところの「抜き射ち世界第三位 0.65秒」のような公開当時の宣伝文句として使われただけかも?

 もし気になって自分も調べたいという方がいれば、『ろくでなし稼業』が公開された1961年3~4月あたりに発行された雑誌・書籍から探すと手がかりが見つかりそうじゃないかと思います。新たに情報が見つかり次第、この記事に追記していきます。



※一映画ファンの調査です。これを読んでご自身で調べられるのは自由ですが、当記事を根拠とした不確かな情報拡散はご遠慮ください。


【参考】
1)『藝能画報 1961年4月号』.1961.日本文化通信社.p11-12,67-68
2)宍戸錠『シシド 小説・日活撮影所』.2012.角川文庫
3)『ムービーマガジン No.18』.1978.ムービーマガジン社.p12-17,18-19
4)宍戸錠「ろくでなしものがたり」『日活映画 1961年4月号』.1961.日活株式会社事業部.p15-16

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