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非現実の日常

 私の住む街には立派な公会堂がある。大正デモクラシーの最中に建設を望む声が上がり、昭和6年(1931年)に竣工した、国の登録有形文化財となっている貴重な建造物である。外観はロマネスク様式を基調とし、中央には大階段が設置されている。窓は優美な楕円状のアーチを描き、建物上部には半球ドームとその周りを囲む4羽の鷲がシンボリックな印象を残す。滅多にお目にかかることのできないこの建築様式は、見たものに必ずや強烈な印象を残すだろう。現に幼い頃の私はこの建物が怖くて仕方がなかった。何だかそこだけぽっかりと非現実の世界が開けているというか、異世界に連れていかれるような不安に私は駆り立てられた。ドームを囲む鷲も心なしか私を睨んでいるようである。それは日常の中に潜む穴のように感じられた。

 その重厚でフォトジェニックな建造物は時折り映画やドラマの撮影で使われた。『陽気なギャングが地球を回す』(伊坂幸太郎)を原作とした映画の撮影ではこの建物は銀行として使われており、あの大階段を佐藤浩市や鈴木京香が降りたということで撮影当日は人でごった返したそうである。4人の天才たちが銀行強盗を企てるこの物語は、著者特有の軽妙な会話劇もあいまって、おしゃれなクライムサスペンスに仕上がっている。私は、人間よりも動物が好きな天才スリ師の久遠くんが好きだった。実際の強盗は困るけど(彼らは人を傷つけることだけは是としていない)、彼らみたいな陽気な悪党にならこの世の嘘と欺瞞を晴らしてもらいたいと思えるから不思議である。

 その日私は市外で友人と遊び、夜の9時頃にこの公会堂の前を通りかかった。(私の家は公会堂の近くにある)そうしたら、夜も遅いというのに公会堂の階段に人が集まっているではないか。彼らは先ほどから階段の上り下りを繰り返している。こんな時間に集団で階段昇降でもしているのだろうかと見守っていたら、その近くにはカメラをかまえた人影が。さしもの私もそれが何かのテレビ撮影であることにようやく気がついた。よくみると階段に集まっている人々は皆金髪の外国人ばかりである。その中に2人の日本人の姿が。船越英一郎と高橋克典。この2人が会話しながら階段を降りてくる場面を撮影しているらしい。周りの外国人は皆エキストラだったというわけである。それにしてもたったワンシーンをとることが、これほど大変なのかと感心するぐらいリテイクを繰り返している。長身の2人はテレビでみるよりも何倍もカッコよかった。時刻が遅いこともあって私を含む見物客はあまり多くない。その時間を狙って撮影しているのだから当たり前か。家に帰って早速ネットで何か情報があがっていないか調べてみる。そうしたらそれらしきものがみつかった。TBSの夏ドラマ『官僚たちの夏』(城山三郎)というタイトルが。高度経済成長を推進した通産官僚たちを描く物語である。その中であの階段はワシントンD・Cにある日本大使館の階段として映し出されていた。しかも後から画像処理を施したのか、昼間という時間設定で。ドラマの放送を指折り数えてその展開を見守ったが、本当に一瞬で終わるシーンで、ドラマの撮影というのはこれほどまでに大変なのかと改めて思った次第である。

 私はもう長いこと公会堂をみていない。見慣れた人がみたら全く違和感を感じないあの光景が妙に懐かしく感じられる。私たちが見落としているだけでそういったものは身近に結構潜んでいるような気もするのだけど、どうだろう。

 

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