親は正しく私は悪役そんな茶番劇は降板します
昨日は、自分が親色に染まっていた事に気づかなかったという記事を書きました。そのせいか、そもそも親の方が変じゃない?いう事にも数年前まで気づきませんでした。
今日は書きながら、考えているような記事なのでただずらずらと書いています。
前半は、なんで親の方が変だと思わなかったのかを考える内容。
後半は、親をかばってきた子どもの頃の私に、もういいんだよと声をかけるつもりで書いています。
今は、親はその程度の人達だった、私の気持ちを考えている人はいなかった、だったら自分が自分に寄り添おう、そんな風に少し冷めた気持ちで見ています。
ずっと親をかばい守っていた
私に悪い所があるんじゃないか
何か理由があるんじゃないか
今思えばですが、あれ?と思う様な親の行動があっても、なんとか正当性を証明しようと一生懸命だったような気がします。ずっと嫌っていたつもりだったけど、いい親だと思いたかったのかな。
もしくは、その部分は麻痺させて感じないようにしていたのかもしれない。細かい事に気づくHSPの私が、親に関しては鈍感なのってちょっとおかしい。あえて麻痺させていたか、かなりひいき目のフィルターをかけていたと思う方がしっくりくる。
本当は、じわじわと「変だな?」は溜まっていました。特に自分が親になってからは。それまではそんなものかと思っていたことが「いや、それはないわ」と思うことが増えていきました。
それでも、ひどい親と思いたくない、嫌われていたと思いたくない、そう思う自分が必死に親をかばっていたのかもしれません。いつか私の気持ちに気づいて欲しいと、諦めきれなかったんでしょう。
私は、小さい頃からずっと、親をかばって守ろうとしてきた。
自分が我慢しても、悲しくても、ずっと、必死に守っていたんだな。
*
親を守っていたのは、小さい頃の私。
小さいあなたが、頑張って守ろうとしなくてもいいんだよ。
あの人達は、ああやって生きていたいんだよ。
辛い、大変、どうしようと愚痴ばかり言い、嘆き、同情を買おうとする。そして自分では何もせずに、何かしてもらうことばかりを待っている。
人の批判や文句ばかり言って、自分はすごいかのように見せる。それはただ、すごいね、さすがだねって自分を称賛して欲しいだけ。
私はずっと、親を不憫に思っていた。可哀想だと思っていた。
そんな親を守ることが、嬉しくて楽しいならいいよ、でも私は、疲れて苦しくなった。
だからもういいよ
後ろを見てごらん、親はあの頃から何一つ変わっていないから。いつもイライラしていたあの頃から、生き方は何も変わっていないんだよ。
小さい私は、親がいつか幸せを感じるまで守ろうと頑張ってきた。だけど、いくら与えても満足はせず、私が思う様なゴールはやってこなかった。
彼女はどんなに恵まれた状況だとしても、不安と不満を探すのが趣味。不安で、不安を探さずにはいられない。
彼はいつまでもいくらでも、自分を褒め称え続けて欲しい人。そのために批判する対象を探し続けている。
そこに元々ゴールはなかった。
彼らは大丈夫、今までもこれからもああやって生きていく。
少しは気持ちよかったでしょ?だからもう十分だよ。
一緒に遊びに行こう!
彼女は無自覚無意識に愚痴ばかり言っている。それを聞き、私は罪悪感を抱く。ある人は悪者を探す。それは私になる。正義が大好きな人たちは、お前が悪いと文句を言う。そんな構図が私の育った家にはあったのかもしれない。
守ってもらいたい母親
批判することで自分がすごいと錯覚する父親
両方使う妹
悪役 私
私からすれば、こんな茶番劇だった様に思える。
そして、不機嫌になればなるほど、悪役に磨きがかかった私。
あーあー馬鹿馬鹿しい
もうやめだやめだ!
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