最高のものじゃなくても、楽しかったらオッケー
先日、投稿しなかったのですがこんなつぶやきを書いていました。
すぎたことをウジウジを悔やんでしまうのは私の良くないところ。
気持ちの切り替えが苦手です。
その日もずっとウジウジと考えてしまい
つぶやきを書いたものの、投稿もできずにいたところ
こんなつぶやきに出会いました。
これだけではよくわからずになんとなくリンク先のブログを読んでみました。
そこには「ベストって、自己ベストを毎日出そうとすることじゃない。」という記事がありました。
私はとってもうまくできた日が、自分の実力だと思っていつでもそれができると思っていたけど、そうとは限らない。
偶然、ものすごくうまくいってしまっただけで、いつもできる訳じゃない。
私の頭には、スケートのジャンプのことが浮かんでいました。
練習で1回成功したぐらいでは、本番では失敗するかもしれない。
いつも成功していても、本番では失敗するかもしれない。
昨日できても、またできなくなるかもしれない。
そうじゃん、一回できたからってそれが自分の実力って訳じゃない
成功する制度を上げるために何度も何度も練習して、成功することが当たり前になるくらいまで練習して。それでも本番で失敗することもあって。
悔やんでいるのは、できるはずって思っていたから。
陸上や、水泳のタイムだって同じで、今日出せた自己ベストがまた出せるとは限らない。毎日ベストを更新していけるわけじゃない。できたことができなくなることだってある。
そう思ったら、できないこともしょうがないと思え、やっと悔しさが引いてきました。
そして結果は自分の力だけじゃないと、野菜作りを例に出していました。確かに、いろんな条件があっての結果です。
できることは、ただその日のベストを尽くす事だと。
前に出した結果は出せないかもしれない、でもその日のベストを尽くす。
いろんな条件が重なってその結果になる。
自分ができるのは、その時にできるベストを尽くすことだけ。
思ったような結果にならなかったとしても、
自分がベストを出したのなら、もうしょうがないじゃない。
他の条件も色々重なっての結果だし、
自分のベストだって毎日変わる。
この記事を読んで、やっと気持ちが切り替えられてきました。
なんなら、ベストを尽くさなくったって、
気持ちよく楽しくできたなら、それでいいじゃない
最高のものじゃなかったとしても、楽しかったならそれでいいじゃない
私は料理人じゃないんだから、最高のものを提供することを目標にしなくてもいいじゃない。
みんなで楽しい時を過ごせたのならいいじゃない
そんな風に思えてきました。
そうでした。私はついつい最高を提供したくなって、眉間に皺を寄せて、真剣に必死になりすぎてしまう。今回も、何度か真顔になっている自分に気づき、あれ?と思っていたんです。
私が求めているのはそれなの?って。
そうではなく、みんなで楽しい時を過ごす。
楽しい時を過ごせていたら、それでオッケー。
それでいい
肩の力を抜いて、楽しい時を過ごす。
めざす所はそこにしよう
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