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自己紹介

ようやく重い腰をあげて、noteデビューしました。(ドキドキ)
宜しくお願いします。
accoと申します。

まずは自己紹介をさせていただきます。

現在、大学で教員をさせていただいておりまして、看護師や保健師を目指して頑張っている学生の皆さんのサポートをしています。
実は自分が看護学生だった頃から、「いつかなれたらいいなぁ」と温めていた目標だったので、学生時代の自分からすると夢が叶った、と言ってもいいのかもしれません。

「言ってもいいのかも」という微妙なニュアンスはなぜかというと、キャリア迷子になり迷走を重ねた結果、今に至っているためです。
きちんと積み上げてきて教員になったぞ、今後も教員としてのキャリアを積んでいくぞ!という自負は…恥ずかしながらほんのちょっとしかありません。

ここに至るまでの道のりを簡単にお示ししますと…
教員になる前は、行政で非常勤(週5ほぼフルタイム)保健師として約3年勤めていました。
その前は、病院で少しだけ遺伝カウンセラーをしていました。
その前は大学院修士課程で遺伝カウンセラーになるために、2年間学業に専念しました。
進学する前は、行政保健師をしていました。(一応ペーペーの主任まで勤めました)
ちなみに、行政保健師になる前に看護師として病院で勤務していました。
※遺伝カウンセラーを目指した背景についても、今後お話できたらなと思っています。

修士課程を出たら病院で遺伝カウンセラーとして精進するぞ!と意気込んで修士に進みましたが、遺伝医療を学ぶにつれて、
「あれ…?行政保健師の仕事と通ずるところがないか?」
「学んだことが、保健師活動にも活かせそう!」
「医療と地域保健のネットワーク化の余地がありそう!」
などと思うことが出てきました。
しかし、なかなかうまく言語化できず、モヤモヤとしたまま、まずは現場で遺伝カウンセラーとして修業することにしました。

しかしトラブルに遭ってサクッと退職。
そこで泣きついたのが、進学するまで勤務していた、古巣の自治体(保健センター)でした。
ありがたいことにすぐに非常勤として採用していただくことができ、働きながら認定試験と就活に励みました。

…時代はパンデミックの最中。
しかも家族が倒れ、自分の行動範囲にも制限がかかりました。
自分の持てる経験・技術を鑑みて就活に励むも、とにかくうまくいきません。
古巣自治体の社会人採用試験も不合格(自己都合退職して進学したので当然かもしれません)、もはや自分は何がしたいのか、何ができるのか…迷宮入りです。
保健師として働こうとすると「せっかく遺伝カウンセラーなのに勿体ないですよね?」と言われ、
遺伝カウンセラーとして働こうとすると「保健師さんは国家資格ですよね?そっちで働いた方がいいと思いますよ」と言われたりもしました。
結局は、自分の心の揺れが相手に伝わって、就活がうまくいかなかったのだと思います…。
ただ、確かに、片方だけの仕事をして、もう一方をお蔵入りさせるのも勿体ないと思うようになったのも事実です。
保健師として仕事をしながら、出生前検査に関する相談に対応したり、遺伝性疾患のある地域住民の方への支援に活かしていただこうと地区担当保健師に疾患についての情報を噛み砕いてお伝えしたり、あまり前に出過ぎないように気をつけつつ、保健師×遺伝カウンセラーとしてできることを模索した3年間でした。
(前に出ちゃってたと思いますが…反省)

そこに、たまたま教員を探しているとのお話をいただいて、今に至ります。

模索は今後もまだまだ続きそうです。


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