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19歳根暗貧乏大学生単身イラク旅行記 後編

はじめに

この旅行記は一度も一人旅したことない19の大学生が勢いだけでイラクに行ってしまうお話です。
ご指摘沢山あると思いますが、ゆる~くご覧頂ければ幸いです。

ファースト・コンタクト

空港の近くでは、度々車が止められトランクを開けられるという日本では殆ど目にしない光景が何度かありました。
言われてみればですね、ここはあれだ。
かなり有名な危険な道路じゃないですか。だから壁があるわけだ。
グリーンゾーンまでの何キロか自爆テロとか民兵の攻撃対象として有名だったわね。ルートアイリッシュとか呼ばれてるそうな。
Danger zoneって友達が言ってて、頭の中ではケニー・ロギンスのDanger Zoneが一瞬にして流れました。
Highway to the danger zone Ride into the danger zone じゃないんですよ。ホントに危険地帯に向かってるんですよ。

ルートアイリッシュ


昔の治安だったら横を走ってる車が爆発するかもしれんのだぞ。今はないだろうけども。
友人曰く「空港の近くはこうなんだ」と。そりゃあそうか。
まぁ空港でテロとかあったら大変ですからね。あと2020年にバグダッド国際空港周辺で車で走行中にスレイマニ司令官らが米軍無人機に爆撃されてますし。
そんなスレイマニ司令官ですがバグダッドの各所で看板としてムハンディス副司令官とセットで、結構目にするんですよね。
スレイマニ司令官もムハンディス司令官もやっぱこのお二方、イラク人の心なんだろうなと思います。写真は撮りそこねました。
ちなみにですが、こちらは帰りの空港で見た看板です。
Victory leadersだそうです。かっこいいね。

こんな感じの看板が、街のいたるところに

バグダッド国際空港を出まして、そのまま最初はSave Iraq Culture Monumentに連れてってもらいました。めんどくさくてGoogle Mapsのやつまんま貼ってるのはお許しください。そして、一旦ここでお父様とはお別れ。またお家で会おうってなりました。ここの像の真ん中には古代の楔形文字が。世界史でやったやつですね。

デケェ!

これを見た後はイラクの国立博物館に行こうとします。
友人が入り口の軍人としばらくやり取りをしててどうやらなんか閉まってたっぽくて入れなかったです。残念。
ちなみに私の友人は英語を話せて、私と友人は英語のコミニュケーションが取れました。簡単な通訳みたいなこともしてくれたので、私自身がアラビア語を使うことはあまりなかったです。
まあ言うても本とか大学の授業でやった程度の内容ですが。
にしてもアラビア語って素晴らしいと思うんですよね。こんにちはとして使われる挨拶が「あなたの上に平安あれ」ですよ。あって初対面の人にでもその人の上に平安があるように祈る言語や宗教はそうあるでしょうか。
こういう面含めてアラビア語がかなり好きです。いつかマスターしたですね。
現地の人ともっと話せるようになればどれだけ楽しいことかと思いました。
さあ、そして次はまた別の博物館へ。
ここは入れましたが中から治安部隊の人が出てきて門を開けてました。ここにもいるんだって感じです。
そこでは歴代の大統領の写真や昔のイラクの人々の暮らしぶりをかなりリアルな人形で再現された展示が見られました。
観覧が終わり、その博物館出て通りに出ると馬が荷物引いてましたね。未だに車じゃなくて馬なんねー。

お馬さん。道路で見るのは初めてかも。

マジかい。その次ですが、イラクに来たら是非とも見たかったスークに連れて行ってもらいました。

すーーく。雰囲気最高です。

スークのあの雰囲気とっても好きなんですよね。
やっぱ中東来たなって思うんすよね。でも少し残念だったのがお店の至る所で簡体字を見るんです。
そう、中国製の輸入品の物ばっかなんです。パッケージとかダンボールのままの商品なんてモロ簡体字が。
ここでも少し買い物します。
私の友人はスークで筆とか塗料買ってましたね。ここでのお値段は結構良心的。そんな高くなかったですね。
ここでなんですが、スクーター二人乗りしたやんちゃなお兄さん方が、横通る時に「你好 !你好!」と言ってきました。黄色人種と言ったらやっぱ中国人なんでしょうな。
でもベトナムの空港で中国人には嫌な思いしてて、同類に見られたくないのもありイライラしてしまい彼らの後ろ姿に向け中指立てて
怒鳴り返してしまったのです。この行動アメリカなら死んでます。
やめておいてほうが良いです。危ない危ない
そしてスークを通り過ぎ次はムタナビー像を見に行きました。お二人の女性が記念撮影してましたね。

ムタナビー像です。

階段を下りるとなにやら停泊所が。
停泊所の寝ているお兄さんに声をかけて、少しお金払えば小型ボートでツアーのようなものをしてくれました。
もちろんそんな体験めったにないのでお願いしました。そしてその川こそが、ティグリス川だったのです。
いやティグリス川って知ったときの感動は言葉にできないものでした。
何せ世界史でも結構最初の方にやる、あのメソポタミア文明発祥の地ですよ。

ティグリス川上から見る時計塔。

世界史選択者ならば興奮不可避です。
短いツアーでしたが「今、俺はティグリス川の上にいるんだ」と思うと実に幻想的な瞬間でした。
その後はキッシュラビルディングに。
ティグリス川の沿いに立っているでっかい時計塔です。
人は全然おらずなんだか不思議な空間でした。そこのベンチにて軽く休憩をした後に再びスークに入り、とあるお店に入ります。
それがこちらのお店。退店時にカードくれました。

メアドとか下に書いてあったからそれは隠しとく。許して。

アンティーク品売ってるお店でして店主のおじさんが色々教えてくれました。もちろん英語も堪能で日本から来た旨を伝えるとかなり驚かれており、2.30年前は本当にたくさん来てくれたが、今は珍しい。とても嬉しい。と言ってくれました。イラク含め日本人の評価結構良いんですよね。従軍経験もあるという店主のおじさん。サダム・フセインが相当好きでこれはサダム・フセイン時代の勲章だとか、イラク・ディナールだとか色々見せてくれました。あと普通に剣までも置いてありました。

全部カッコいい。欲しかったなぁ

他にはいかにもアラビックなツボとか置物も。剣はめちゃくちゃ欲しかったのですが、多分飛行機に持ち込めないしどっかで没収されそうなので断念。そこではフセイン大統領時代の勲章とストラップを買いましたね。
ホントにすいませんが一つ一つ紹介させて下さい。


これはサダム・フセインのキーホルダーですね。フセインキーホルダー。
イラクでしか売ってないっしょ。友達への土産に。


コーランを形取ったアクセサリーですかね。キーホルダーにできそう。
ズルフィカールのアクセサリーかな。

これはイマーム・アリーが使ったとされている剣を形取ったアクセサリーですね。ズルフィカール。アリーが使ったものとされていて、剣にはアラビア語で「There is no sword but the Zulfiqar,and there is no Hero but Ali」(ズルフィカール以外に剣はなく、アリー以外に英雄はおらず)的なことが書かれています。イスラム圏では伝統的な剣だそうです。

フセイン政権での勲章

こちらはサダム・フセイン時代の勲章。大学のアラビア語教わっていた教授に聞いてみたところ「文字が潰れててわからない…写真撮らせて。ネイティブの先生に聞いてみる」と。上の国旗は旧イラク国旗とバアス党のでしょう。

フセイン政権下の勲章②

こちらもサダム・フセイン時代の勲章。
こちらも教授に聞いた所だと「高度ななんとか」と書かれている…とおっしゃってましたが、後半の単語がイマイチ分からないらしく、こちらもネイティブの先生に聞いてくれるそうです。感謝。この辺は判明したら編集していきます。
当時のイラクの制服系に詳しい方が見れば一瞬で分かるんでしょうけど、当方では分かりかねるところが多いですね。
すません。勲章系はちょっと高いけど、イラクでしか手に入らんやろってことで散財してしまいましたね。
そうして、こちらの店主さんとその後もしばらく雑談。写真まで引き受けてくれました。先程画像を載っけた、住所?が書いてあるカードをもらって「また来てねー」と言ってもらえました。
このお店を去り次はムスタンスィリーヤ学院へ。ここに入るのにまた友人が交渉してくれて入れました。感謝です。名前通りにここは学院、つまりはマドラサです。

空が高い


これはワクフによって作られる学院、学び場になります。
1番古いマドラサは859年に設立されたものというほど非常に歴史が深いものでもあります。
ちなみに、ここはまだアッバース朝の時に建てられたみたいです。
アッバース朝と言えばかなりデカいイスラム帝国を築いた王朝ですよね。
都はここバグダッド。ハールーン・アッラシードとか言えば思い出す方もいらっしゃるのではないでしょうか。
こちらは二階建てて一応二階にも行けました。柵とか無いので普通に落ちます。
先程のスークがたくさんある場所とは異なり非常に静かな場所で落ち着けました。ここで一休みし、滞在地である友人の家へ。
なんとホテルまだ決まってないんだよねと、到着前に話していると泊めてくれるというのです。
なんと心が広いことか。ティグリス川を渡りタクシーをキャッチし友人の家までバグダッドをドライブです。
しばらくすると、何やら見覚えのあるモニュメントが。イラクに行ったら行きたいと友人には言っていたモニュメントです。
友人曰く時間が足りないから見られない。ごめんね、と言っていたのですがなんと道中で見られるとは。

夕陽もあっていい感じだ。

こちらはヴィクトリーアーチと呼ばれるモニュメントですね。
でっかい剣とそれを握る拳で作られたアーチです。正式にはカーディシーヤの剣と呼ばれるそうです。
イラン・イラク戦争に勝利したときのモニュメントで色んな時代において軍事パレードはここで行われていますね。
私も軍事パレードがきっかけでここを知りました。中国でいう天安門広場みたいなもんでしょうか。タクシーの運転手さんが、わざわざ気を遣って車を近くにまで泊めてくれて外で写真とるかって聞いてくれたんですが、そこにもイラク軍の方が。
しばらくやりとりしたものの結局降りて写真は撮れず、車内からの撮影でした。
しかしずっと画面の中で見ていた場所を、肉眼で見られるとは本当に感動的なものです。
アーチのふもとにあるヘルメットとか見たかった。
そうしてタクシーを降り、今度は原付のタクシーらしきものに乗りました。みんなすげえクラクションならすのね。
あと道路が舗装されてない箇所多いですし、野菜やドリンクを売る屋台の数が多いものです。
ジムも目にしました。あとは国旗を結構見ますね。
あと2分に1度は軍人や治安部隊の方々を見ますね。ベストを着たお兄さん達が道端掃除してたので道もそれなりに綺麗です。
しばらくすると友人の家に着きました。
門が鉄なんですね。しかも3mくらいある。そして玄関は網戸になってました。暑いもんね、夏は。

ブレイク・ファースト

まず家に着くと友人の家族にご挨拶を。
先程会ったお父様とお母様。空港からの車内にはおらず、どうやら家で勉強をされていた妹さんとお会いしご挨拶をしました。
ここでベトナムで買った土産はファミリーにすべて渡しました。なんの足しにもならない手土産だけれども。ごめんなさい、日本のじゃなくて。
そしてここでシャワー浴びないかとお母様に言われます。
一泊しかしないしダイジョブよって言ったけど、フライト長かったし浴びなと言われお言葉に甘えることに。
イラクの民家に泊まるというまたとない機会。
ここでシャワーするという更にレアな体験です。ここのお家はトイレと風呂、一緒でした。
これもイスラム教の教えで礼拝前は排泄部を洗えってやつの影響でしょうなと思いながらシャワーを。あと湯船がなかったです。
ベトナムの空港ぶりのシャワーで若干生き返りました。
その後、この旅行最後となる着替えを済ませリビングでダラダラと。
その際に妹さんと私の友人、お母様はラマダン明けの食事を準備してくれてました。
準備手伝おうとしたけどお母様は「ゲストなんだからゆっくりしてなさい」と言ってくださり、リビングに再び戻ると同時に痛恨のミスに気付きます。帰りのチケット取ってなかったのです。
もし何らかのミスでイラク行けなかったら、無駄になるから着いてから取ろうと考えていた自分がおり、片道切符で行ったのでした。アホすぎます。
急いでチケットを調べ、決済を行おうとするとまたここでトラブルが。
なんとクレジットカードが使えない。
別のカードで試すも使えないのです。イラクからチェコのサイトで決済をしようもんなら確かに安全上の理由でストップかかるのだろうけど、ホントにこの時だけは焦りからか少しイライラしました。
またPayPal支払いをしようとしてもそもそもPayPalのサイトにつながらず。「403 Forbidden」と。

えっっっ。なんで。
PayPalって米国企業だよな、もしやアクセス制限かと思い、イラクからアメリカのVPNに繋いでみることにします。
するとあっさりとPayPalに繋がり決済が完了。
後に少し調べた感じだと、イラクを含めて隣国のシリアやイラン、トルコの他ミャンマー、バングラデシュではアカウントの作成すら出来ないようです。
そりゃ繋がらんわ。
こうして成田までのチケットを予約した私は、リビングでぼーっと現地のテレビを。なんだか断食明けのお祈りをでっかいモスクで読み上げてるようでした。
にしても滞在したお家のリビング、大きく肖像画と斧が飾られてるのです。日本ではあまり見られませんよね、歴史上の偉人の肖像画をリビングに飾るなんて。


リビングの壁。斧までありました。


お母様から聞いた話によるとイスラム教の三代目イマームであるアリーだそう。友人の一家はシーア派でありこのアリーはシーア派にとってかなりの偉大な人らしくこうして肖像画が飾ってあるそう。この辺ちゃんと勉強しておけばよかったと後悔。
その後アザーンが流れます。お母様は玄関付近でマットを引いてお祈りされてました。
そうこうしているとリビングに料理が運び込まれてくる。イフタールってやつですね。
しかもかなりな量。断食明けだからかすげえ豪勢でした。
お母様は何かこちらでもお祈りをされていました。
シュクランなんとかは聞き取れました。日本のいただきますのイスラム版でしょう。

ご飯。また食いたいですこれ。いい店ないかな。

黄色いのが野菜のスープ、左手のが焼き飯?みたいなの。
中央がお肉でその右隣がピクルスとか刻んだのでその上は焼いたトマト。
お肉の左隣はミントの葉っぱと大根の漬物みたいなやつ。
あとはマカロニのクリーム煮みたいなの。という内容です。ケバブ作るセットでしょうかね。
そしてドリンクのコーラまでも。ここはちゃんとペプシでした。
大学の教授いわくコカ・コーラはユダヤだから。なんでメッカコーラなんてできるほど中東では飲まれないんですね。だからペプシなんですと。
あとは反米的な運動からもメッカコーラなんて出来たんかななんて。
ここでも中東味を感じるとは。
ナン生地の更に薄い物にお肉とトマトとミントの葉を巻いて食うのです。
これがゴリゴリに美味い。他のピクルスとか焼き飯みたいやつも超美味いけどこれがかなり美味かったのです。
結構食う体質なのでお母様が非常に喜んで色々食わせてくれました。
腹がいっぱいだと言っても「これ食え。腹すくぞ」ってミントの葉っぱ渡されました。実際にお母様はミント食いながら、俺よりも食ってました。
ミントすげえ。
そうして40分くらいしてブレイクファーストの時間はおしまいに。
お父様はご友人と外で食事をされたそうでお家にはいませんでした。
ラマダン期間中はお父様は結構外食されるそうです。
食後はイラクのお茶を。デザートで果物まで出してくれました。
なんだかゲスト扱いが良すぎて非常に申し訳なかったです。

ムーン・ライトバグダッド

夕食も終わりゆっくりしているとお父様が帰ってきました。
そしてしばらくテレビ見ていると、どうやら断食明けのお祭りに連れて行ってくれるということです。
前々からこのお祭りもかなり興味がありました。
ここでなんですが、外務省からはこうしたお達しが出ております。

HP見て頂ければ分かるのですが、ラマダン期間中はテロが起こりやすいと。
去年はダーイッシュがテロを呼びかけて実際に発生したと。
断食明けの祭りなんて滅多にないだろうし、これは行くしか無いなと思いつつ、何かあった時に大使館に迷惑かかるのでは….と多少葛藤するもまあ現地の人いるし。
家族で行くんやし危ないとこいかんやろうしええか~と夜のバグダッドに出るのでした。
ここで拉致とかされたらマジで国に迷惑かけることになるのに軽率すぎます。今になって結構反省してます。無責任でごめんなさい。
妹さんはお勉強するために家に残るそうです。すごいですね。歯科医になりたいらしいです。
そしてお父様、お母様、友人と私で車に乗り夜のバグダッド市内に。


冰淇淋(ビンチリン!!)

まずはアイスクリーム食いましたね。結構中身が濃密で美味しかったです。

スクエア広場?Google Mapsの情報まんま。


その後、ミュージアムスクエア広場内にある銅像を見ました。
ライトアップされてて美しい。結構街の至る所がライトアップされてて美しい景色が見られました。
失礼ですけど、イラクに勝手なバイアス持っていてダーイッシュの国内混乱とかであまりインフラ整備とかされていない国家かと思っていました。

動画で撮ったからブレてんの許して


ですが、滞在中は停電とは無縁でした。
再び車に乗り昼間に友人と来たキッシュラビルディングの広場へ。
広場に来るまでの道には昼間見た、ムタナビー像の近くの通りであるムタナビー通りがありました。
ここの通りはかなり有名らしく、断食明けのお祭りということもあり非常に人が多かったです。子供もたくさんいてなんか安心しました。
通りの入口では治安部隊の方々がボディチェックを。
黄色人種である私はなぜかされずにそのまま入れましたが。
女性は女性用のテントみたいなのがあってそこでチェックをしていましたね。
あとトラックが侵入できないようなぶっといポールとバリケードが。銃を所持した治安部隊の方もおりかなりテロ対策してんだなと。
そりゃあんだけ人の集まったとこでテロなんてされようもんなら何人が犠牲になるか分からないですからね。
昼のスークの比じゃないくらいの出店の数でした。

人が多いですね。

もともとムタナビー通りは昼間から出店の数は多いそうですが、飲食物が特に多かったですね。焼いたひまわりの種ですとかコーヒですね。
何より人も多く、断食が明けたので皆ここで飲んで食ってお祭りのように騒いで帰るのらしいです。
ラマダン期間中は毎日やるそうです。すごい活気で少しビビってしまいました。

ここも人が多い。木がエモい。


出店の他にも、ギター弾いてる人がいてホントに祭りって感じで。日本のお祭りとは少し違った感じのイベントでしたね。
卓球やってる人がいたり、ベンチで歌ってる人のまわりに人々が集まっていたり、でっかいステージが用意されていたりもしました。

舞台かな


子供達は風船持って騒いでる他、みんなでセルフィー取ってる若者の集団がいたり。
お母様は結構出店で色々買われてましたし、お父様も色々食べてましたね。私は先程の食事で結構腹いっぱいになってしまったのでコーヒーを一杯だけ飲みましたね。
ポッドぶら下げてコップ2つカンカン鳴らしながら歩いてるお兄さんがいて買う感じです。
小さい紙コップに出されて飲んでみたのですが、なんとすっげえ美味いのです。なんだか濃厚な味というか匂いというか。酸味が少なめの味でしたね。未だにあのコーヒーが飲みたくなります。豆買ってけば良かった。
あと喫煙者が結構多い。鼻に刺さるくらいのタバコのニオイと、排気ガスの匂い。そしてコーヒーの匂いが混ざってるあの感じが好きになっている自分がいたのでした。
もちろん出口にも治安舞台の人は多数。
黄色人種珍しいのか話しかけてくれました。日本人だと伝えると写真まで撮ってくれたのです。

ぼかしは許して。
こっちもぼかし入れとく。許して。


イラクでの日本人の対応意外と良くて驚きでした。てか、二枚目後ろの人銃持ってんじゃん。
あとは祭りから友人の家への帰りに橋の上から写真を撮りましたね。
撮影後は友人の家に帰宅。
ここで少しリビングで皆で話しましたね。
この時にお母様が土産を色々と持たせてくれました。
最初はでっかい時計を持たせてくれようとしていたのですが、流石にこれほどのものを頂くのは申し訳無さすぎると伝えた所、スブハ(イスラム教の数珠)を2つくれました。
そしてフィルスコインをくれましたね。

250.500フィルスと1IQDのコイン。(おそらく)


フィルスは今廃止されてもうほぼ入手できないのでこれは嬉しい土産です。
あとはコーランの一部が刻印されたプレートを頂きましたね。

今はチェーンに繋いでます。


Throne Verseと呼ばれる節で、帰国後友人に聞いてみたところ悪霊から守ってくれるみたいです。
寝る前に読むと神があなたを楽園に導くとも。
注釈付きのコーランが家にあったのでその訳と一緒に是非どうぞ。
今ではほぼ毎日首からぶら下げてます。お守りみたいなもんです。
その後も少しお話をして就寝の準備を。
ここで私はリビングで布団を敷いて寝かせてもらいました。
ほんとに到れり尽くせりで申し訳ない。ごめん、ごめんなさい。って気持ちがずっとありました。
そんな思いを胸に下手ながら、アラビア語で手紙を書いて置き手紙をしておきました。


決別 バグダッド

朝になり、アザーンで目が覚めました。
私は事前に10時のフライトで出発することになっていたので出発の準備を。するとなんと朝食が作ってあったのです。
カップケーキにいちごのスムージー。
これは友人が作ってくれたようです。
またしても感謝しかできない。そしてもっと観光したいという気持ちを胸に友人の家を去るのでした。
その際に再びお母様が私に色々と持たせてくれました。
昨夜に続き、何かフルーツですね。これは帰国後判明したのですがデーツでした。
あとこの時に置き手紙挟んでおいたIQDなんですが、即効で見つけられ返されました。
泊めてもらって、空港から市街地までの送迎までしていただいたのでその足しになればとチップのつもりで置いていたのですが、お母様やお父様曰く「もうあなたはゲストではない、もうファミリーなのだから。これはあなたが持っていなさい」と。
なんでこんなに優しくしてくれるのでしょう。
本当に人の優しさに触れて、涙を堪えるのに必死でした。
お母様は「是非また来てね。再び会える日を待っている」と言ってくださり玄関でお別れしました。
そして、タクシーで行こうと思っていた空港まではお父様が送迎を。
友人も付いてきてくれました。もう去らなくてはいけないと思うと非常に残念ですが、私のスケジュール的にも、金銭的にも、もう帰国しなければなりませんでした。
モスルとか行きたかったなあと思い、そしてちゃんとアフマダーバード乗り継ぎのビザ取っておけば二泊できたのにと後悔しながらの車内。
全部自分のせいですね。
するとチェックポイントがあり、ここで私たちは全員降りるのです。
お父様は私に「また会おう。GOOD LUCK」と言い握手を。
友人も「また来て。待っている。」といい写真を一緒に撮りました。
まだチェックポイントじゃないの、空港までまだまだじゃないと思っていると、軍人の人が「パスポート見せて」と。荷物はこれだけかと聞かれました。これだけだ、と言うと私のバックパックは軍のランクルのトランクに。私はなぜか二人のイラク人と共にランクルの後部座席に乗せられられるのです。ここで知ったのです。テロ防止か分かりませんが、どうやら途中からは軍の車に乗って空港に到着する必要があるのです。
まさかの出来事で、こんなとこでお別れかいと思いランクルから友人とお父様に手を振り別れを。本当に優しいご家族でした。
いつかちゃんとお礼したい。
非常にしんみりした気持ちでバグダッド国際空港に向かいます。
イラク到着時にお父様と友人は私を車で迎えに来てくれたので、到着のフロアに行くにはこの手順は必要ないっぽいです。
しかし、出発カウンターに向かうには必要みたいです。こんなん初めての経験過ぎて結構衝撃でしたね。恐るべしイラク。
ちなみにイラク人のお兄さん方もどこから来たの、みたいな感じで話し掛けてくれました。この肌の色で顔平族少ないんでしょうな、アフガニスタンだとハザラ人とかいるけど。日本っていうと結構皆さん驚かれるのです。
中国人が多いそうですね。 
ま、そんなこんなで空港着きました。チェックイン時間の少し前に着いてウロウロしてましたがなんか到着カウンターよりも鳩の数が多かったです。あとベンチの色んなとこに鳩のうんこが。MARSとかよりも鳥インフルの恐怖が勝りました。

空港。天井いい感じだ。


チェックイン時間になりチェックインを。
やっぱりここでもムンバイでのビザあるか聞かれました。アライバルビザ取るんだみたいな話すると、一瞬「????」って顔されましたが横のお姉さんが「日本人だから」みたいなこと言うと納得してチケットくれました。「ヤーバニーなんたらかんたら」は聞き取れました。出国検査を終えてゲートへ。
ターミナル名がなんかイラクって感じでしたね。

バビロンターミナルですか。バビロンってバビロン捕囚のバビロンだよね。多分。


またここのトイレで遂に我慢できなくなり用を足すのですが、ここで備え付けのケツ拭き紙が無いことに再び気付きます。
便座の横にちっさいシャワーみたいなんがついててですねそれで洗えと。
なんか便座びしょびしょでティッシュで吹いたんですよ。
そしたらティッシュが結構なくなってしまって。ケツ拭く用が残り結構少なくてつらみでした。
イラクというかイスラム圏に行く方、もしもいらっしゃいましたらですね、ティッシュ結構多めに持ってくことオススメします。
国によってはケツ拭き紙が無いです。
国によってはありますけどあとこれ流したらダメですよ。多分詰まります。
又、ターミナルで土産を買おうと思ってDuty freeの店を見つけて色々買おうと思ったのですが輸入品ばっかりて、イラクっぽい土産はなかなかなく少しだけ買って退散。
スークでもっと買っておけばよかったですね….。
また空港ぶらぶらしてるとシェルターを見つけました。

指入ってますね。爺さんかよ。


何故に空港にシェルター!?って思いましたが結構ここ色んな組織の攻撃対象になってるっぽいですね。そりゃシェルターも出来ますわ。

ゲート内。鳩多くないっすかホントに。

その後シャールジャ行きの案内が、イラクをあとにすることになりました。
さらば、イラクよ。

バイバイ・バグダッド

シャールジャ行き機内へ。
結構ガラガラなのでフライトは快適でした。

空からイラクを見てみよう。


ちなみにこちらは上空からのバグダッド。きれいですね
2時間くらいのフライトの後にシャールジャへ。
また同じくタラップ移動の後に乗り継ぎゾーンへ。
結構楽な検査の後待機。ここで土産買おうとしますが、ここは物価が高くてかなり驚き。
いいやインドとベトナムで買おうとなりそのまま通過。
そしてここの充電ポートにて初めて変圧器を使うのでした。
今までインド、ベトナムと両国とも日本のコンセントでダイジョブなんですけども、ここはそうは行かず変圧器が必要に。
わざわざ2000円近く出して買った変圧器がようやく約に立ちました。
南アフリカ以外ならどこでも使えるっていう便利モノです。良かった使う場所あって。
充電後は適当に飲料だけ買いムンバイ行き機内へ。
ムンバイ行き飛行機ですね、当たり前ですけどインド人ばっかなんですよ。そこはいいんですが、彼ら機内をふつーに裸足で歩き回ってて…
なんかウケる。あとラマダン期間中ってのもあって飛行機の座席のヘッドレスト部分も変わってました。

ラマダンなう。


ムンバイへのフライト。エアアラビアに乗るのはラスト。
毎度機内で酸素マスクとか救命胴衣の使い方とかが流れたあとに
「Travel Prayer」というビデオが流れるのですよ。
うん、イスラミック。なんか良いっすね。
画面に表示されていた英語ここに書いておきます。

一部分だけど。

Travel Prayer

Glory is to Him Who has provided this for us
though we could never have had it by our efforts
O Allah , we ask You on this journey for goodness and piety.
and for works that are pleasing to You
O Allah, lighten thsi journey for us and make its distance easy for us
O Allah, You are our Companion on the road and the One in Whose care we leave our family
O Allah, I seek refuge In You from this journey's hardships
and from finding our family and property in misfortune upon returning

これの音声がアラビア語で放送される訳ですね。
初めてのエアアラビアでは結構これに驚きます。
四回も乗れば慣れたものですが。
追加でエアアラビアの機内メニューにはコーランがありましたね。
コーランの音読ですね、多分。確かイラクのタクシーでも流れてました。
そしてこちらでは、この旅行初となるプチ機内食のようなものが出ました。
小さいお水に果物でしょうか。デーツですね恐らく。旨し。
またこちらも隣の席は誰もおらず快適なフライトでした。
もうかなり疲れてて爆睡していたらムンバイについておりました。
二度目のムンバイ。再び夜の到着です。

再会 

行きは深夜到着で、何故かビザを取らずに通れたムンバイ。
流石に深夜ではないのでそうはいかず1番奥のカウンターに行くことになります。

日本人はまっすぐ進んで1番奥のカウンターへ。


こちらでは日本人、韓国人、UAEの人間のみアライバルビザが取れるようです。日本のパスポートやっぱ強いですね。
やっぱ夜ということもありここのカウンターは1人。紙を渡されるのでここにイラクの時と似たように名前やパスポート番号等を記入します。
なんかここの欄で祖父母かパキスタン国籍かとか、パキスタンに住んでましたかみたいことを聞かれました。
何その中東諸国のイスラエル渡航罪みたいなんは。
両親の名前と国籍も聞かれましたね。トランジットなのに厳しいっすね。もちろん高祖父母の代まで日本人の日本生まれなので余裕でパス。
そこで待機中なんですけど、後ろの椅子とテーブルがあるとこで空港のスタッフ達が夕食食い出しました。少なくともここ空港のビザ申請所ですよ、あなた達。何呑気にディナーしてんですか。
確かに人少ないですけど。日本人韓国人くらいしか来ないから暇なんでしょうけど。
困惑しながらも、右手の指紋取って別のお部屋へ。
ここで、なんでイラクいたのよとか聞かれました。荷物も結構見られました。そりゃそうだ。わざわざ日本人が行く国じゃないもんな。
その後またここでも両替しインドルピーに。ビザ代を払いインドのトランジットビザを取得しゲートへ。
ビザ取得してたら結構時間消えててカウンターに行きベトジェットにてチェックイン。ここの土産屋で色々買いました。UAEに比べて物価安い。当たり前か。
天井が戦鎚の巨人の硬質化みたいでオシャレです。


ここでウロウロしていたら、行きの時に私にボーディングチケット持ってきてくれたヒゲがかっこいい空港スタッフのお兄さんと再び会いました。
まさかまた会うとは思ってなかった上にお兄さん、私のこと覚えてました。
ちゃんと渡航先まで。「バグダッドどうだった?」みたいな話して「次は是非インドに来てね」って言ってくれました。
なんかこの旅行通して人の優しさに触れ続けて、バグダッドぶりに泣きそうでした。
インドもいつかトランジットじゃなくてちゃんと遊びに来たいですね。
まさかの出逢いに感激しながら、充電しながらぼけーーっと待ってたらハノイ行きの案内が。
混雑緩和でしょうかね、シート番号○~△の人来てください。って感じのアナウンスでした。
その時のアナウンスしてたのがさっき話したかっこいいお兄さんでして。
自分の番号が案内された時にまた少しお話を。
この旅二度目の「GOOD LUCK!」を頂きました。また会えるといいな、あのお兄さん。
少し寂しい思いで機内へ。あと乗り継ぎは一回。
ラストの乗り継ぎ地点ハノイへと飛び立つのでした。

出逢い 

この機内では窓側だったのですが、隣2つとも空席でした。
人少ないな。と思いつつ離陸後にリクライニング倒そうと思い、後ろの方に声を掛けようとします。すると我と同じアジア人ではありませんか。
もしかしたらと思い日本語で「すいません」と言ってみると、後ろの方も「あ、日本人ですか」と。
インドベトナム間のフライトでまさかの日本人に出逢いました。
今までたった1日ですが完璧にマイノリティーになったのでもうすごく安心しましたね。同郷の人がいるだけでこんな安心するものなんだなと。
行きにベトナムを出てからというもの日本語を喋っていなかったのもあり、母語が通じる人を見つけてなんか感動してしまいました。
その後色々お話しましたが、どうやらその方は30代で今まで70カ国以上を旅されている旅人さんだそう。今日は彼女さんに会ってドバイからの帰りなんだと話していました。
私と同い年の時には東南アジアをバックパック一つで旅したそうです。
その時に英語の大切さを学んだとおっしゃってまして、実際にCAさんだかと話されている時の英語はめちゃくちゃうまかったです。
こういう人になりたいなと思える瞬間でしたね。
イラク行った帰りだとお伝えするとかなり驚かれてて、バックパック一つで行った旨伝えると「良き旅人になりますね」と言ってくれました。嬉。
どうやら帰路のハノイ成田間も同じ便だそう。ご縁ですね。
こうした方に出会えるのも旅行の醍醐味かな~と思います。
お話のあとはCAさんに聞いて許可もらってから横になって寝ました。
また、気付いたら着陸の30分前に。
寝てばっかりでダウンロードした映画、全然観られなかったです。
こうして着きました、ベトナム。
あいにく天気は曇りでした。

ラスト・フライト

後ろの旅人さんと話しながら乗り継ぎゾーンへ。
モバイルバッテリーの充電切れた私に貸してくれようとしてくれたりと、ホントに優しい方でした。今でも思うんですが、連絡先聞いておけば良かったです。
タイミングなくて聞き損ねてしまったんですよ。
まあ、それでもいつかはまた会える日が来ると信じております。
土産屋で適当に土産を買ってゲートのところにあるサムスンの充電ポートへ。これなかったら日本まで充電持たなかったと思います。ありがてえ。

青いやつが充電ポート。


充電がちょうど終わる頃に案内が始まりました。
この旅行、最後のフライトです。
最後のフライトにしてやっと右翼側に乗れました。
最後のフライトは成田行きってこともありまあまあな混雑具合。
こうしてラストフライトの離陸となるのでした。
6時間程のフライト、飛行機内では沢山寝たのにまだまだ眠くそのまま深い眠りへ。
成田到着一時間程前に起き映画見ながら着陸を待ち、いざ着陸の時に。

海は青い。

到着した時の天気は晴れ。到着時刻は1600くらいでした。
こうして日本の入国審査に。
日本に限ってはコロナ関連の問題で、すっげえめんどくさい入国審査でした。
ベトナム、インド、UAE、イラクと比じゃないくらいにめんどかったです。
帰り右翼に乗ったのにこの瞬間だけ左翼になりました。
なんか便名と名前入れて、QRコード見せてみたいな。
到着って書いてある方に行ったらそっちじゃないと真逆の方向指されたりと。何よそれ。
結局は自分が臓器の一つも、爪の一つも失うことなく五体満足でイラクから帰れたことをイマイチ実感出来ないまま電車に乗り込むのでした。
出国時は3割くらいの確率で日本の土を再び踏むことは出来ないと思っていたのでにわかには信じがたかったです。
たった5日間なのに、体感時間としては一ヶ月くらい旅した気分でしたし、3つの国を跨いでの旅だったので色んな文化に触れることが出来まして、戦果としては申し分ないかなと。勝手に自己満足しながら最寄り駅へ。
窓から桜が見えて綺麗でした。
5日前に駐輪場に止めた自転車に跨がり、何事もなく自宅へと到着。
こうして私の初1人旅は幕を下ろすのでした。



帰国日談

帰宅した旨を大使館にメールすると、お叱りのメールが。
ですよね。

本当に申し訳ない。いくらなんでも身勝手すぎましたね。
あと、私が渡航する2日前に外国人に対する拉致事件があると知って驚き。
外務省と日本大使館には頭が上がりません。

反省点

  1. 片道切符…行けないかもしれなくても、流石にこれは無いです。

  2. kiwiを使う…大した検索もせずに引っかかったサイトを使う。

  3. ビザのことちゃんと調べてない…これのせいで一泊減りましたし余計な金を使いました。片道切符くらいのミス。

  4. ホテルを取ってない…入国前にホテル取ってないアホはそうそういないと思います。幸運にも友人が泊めてくれましたが、現地でホテル探すのはかなり難しいはず。

  5. モバイルバッテリーの容量が少ない….でかいのもっていくべきでした。

  6. そもそも初一人旅の渡航先としてイラクを選ぶ

あとがき

ここまで読んでくれて本当にありがとうございます。
前編が8000字で後編が16000字というアンバランスなnoteとなってしまいましたが、読んでくださる方がいることが何よりも嬉しいことです。
心から感謝を申し上げたいです。

賛否両論というか、批判的な意見が多いことはもちろん承知の上でこちらのnote公開させて頂きました。
何してんだ、このガキはとイライラしてしまった方は、タダの若気の至りだと思って適当に記憶から消してくれてるとありがたいです。全力で見逃して下さい。

初旅行で、19の大学生がイラクに行くなんて無謀なことを果たせたのも奇跡に近いと思います。

当たり前ですが、私のnoteは全くもって役に立ちません。
個人的になるんですが、イラクに関しては私はYouTubeに動画をあげられているハリドさんをオススメしたいです。
(載せる許可頂いてます。)
イラク以外だとシリアにも行かれてて、知識量も半端ないです。


又、このnoteを総じて見て、kiwiじゃなくてこのサイト使ったほうが安いだとか、空港での過ごし方、その他諸々こうした方がいいだとかのアドバイスがあれば是非教えて頂きたいです。
今後にどこかに行くときに色々と活かしていきたいと思います。

では、また会える日まで。ありがとうございました。

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