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食習慣の話。

先日、お客さんから「たつるさん、ちょっと聞いてくださいよ!」と、ある相談をされました。

以下、お客さん(“客”と略します)と私の会話形式で。

私「どうしたの?」

客「最近、マッチングアプリで知り合った人と良い感じだったんですけど…」

私「良い感じだったってことはなんかあったの?」

客「なんかあったわけじゃないですけど…彼との初めてのデートは串焼き屋さんだったんですよ。お店も素敵だったし彼も紳士的で好感しかなかったんです。その日は普通に解散してまた翌週に会ったんですね。二回目のお店は鉄板焼き屋さんで。その日も最後まで紳士的でメチャクチャ素敵な人で、私の中ではとにかく好感しかなかったんですよ。」

私「良いじゃん!なにがあったのよ?」

客「三回目のデートが居酒屋だったんですけど、お刺身の盛り合わせを頼んだんですね。そしたらその彼、刺身をソースで食べたんですよ!!」

私「えっ?ボトルが似てて間違えたんじゃないの??」

客「違います!!市販のやつをそのままテーブルに置いてある店だったので間違うわけないんです!!普通に醤油みたいな流れで小皿にソースを入れて食べてたんです!!」

私「ふざけてボケたんじゃないの??」

客「それも絶対無い!!そうゆうことするタイプじゃないです!!しかも、わさびを溶かすんじゃなくて刺身に少し乗せて食べるスマートさはありながらのソースなんです!!」

私「マジで??なんでだろうと言うか、なんかゾワゾワする話だね。それに対して彼になんか言った?」

客「あまりのことに頭の中がパニクってしまって何も言えなかったんです!!何かがおかしいですよね??」

私「食べ方は自由と言えば自由だからおかしいかどうかはわからないけど、とにかくなんかゾワゾワする話だね。」

そんな会話があり、あれはこれはと色々と考えてみた。
“お刺身を醤油で食べる派”はマジョリティであることは間違いない。
マジョリティであるからと言ってマイノリティを「おかしい」と言っていいわけがない。
それこそ差別である。

そこで、刺身をソースで食べるのはおかしいのか考えてみた。
例えば魚介を刺身ではなくフライにしたらソースで食べるのは普通である。
または刺身の状態だとしてもカルパッチョなどの洋風にしてもなんかアリな気がする。
しかし、お寿司や海鮮丼(お刺身のやつ)をソースで食べると言われるとなんかゾワゾワする。
この、特に理由はないけど“なんとなく”で決めている区分は子供の頃からの食習慣や社会が作り出している先入観からくるものに他ならない。
“刺身を醤油で食べる”ことが先入観から来ているとするなら“刺身をソースで食べる派”がいてもなんの問題もないのである。
この彼が子供の頃からの食習慣でお刺身をソースで食べているとしたらご家族もソースで食べている可能性が高い。
彼にとってはそれが当たり前の食習慣なのだ。

ただ、自分のこととして考えてみてほしい。
将来を共にする関係になろうとした相手がいて、お相手のご家族とお食事をしたときにテーブルにお刺身盛り合わせがあり、自分以外がソースでお刺身を食べ始めたら…。
誰もあなたに“ソースで食べる”ことを強要してなかったとしてもなんかゾワゾワする。

私「食習慣は人それぞれであるから何が良い悪いではないが、ちょっと色々と考える出来事ではあるね」

こんなことを考えながらお客さんに私見を述べた。

この話は色々と興味深い話だからnoteにも書くし色んな人に話すからと許可をもらった。
許可をもらったから色んな人にこの話をして意見を聞いていたら昨夜、こんなことを言う有人がいた。

友人「ソースで食べる人いるよね!」

私「えっ?いるの?」

他にもなるほどとゆう意見をもらう。
お客さんに会ったら伝えよう。

「思ってるほど意外なことではないかもしれないよ!!素直に聞いてみればいいし、好感しかないなら気持ちに正直に付き合ってみなよ!!」

と。
多様性とは歩み寄り合い理解し合うことである。

サポート頂けたら幸いでございます。モノを書くことを生きていく励みにしたいと思っております。よろしくお願いいたします。