情報量が増える暮らし方

いつの間にか、生きることを忘れていた。
遠い将来の不安を取り除くため、
今は、我慢と努力の時だと考え、
楽しむことを後回しにしてきた。

効率を重視し、無駄を省き、食事はいつもワンプレートにまとめる。
明日の不安を減らすため、十年後の不安を減らすために、
資格を取ったり、勉強したりと自己研さんを続けてきた。


でも、昨年から考え方ががらっと変わった。
きっと、死を身近に感じ始めたからだ。
十年後、生きていないかもしれないのに、
十年後の心配をするのはなんとももったいない。
心、今にあらずの状態で生きているときは、
圧倒的に情報量を絞っていた。
魚を買うときも、スーパーの棚の中から無作為に一つ選択していた。
「魚を買う」というコマンドを実行するだけだった。
しかし、今を生きようとすると、「魚を買う」にも変化が表れた。

魚屋に通うところには至らないものの、
魚の種類や、種類ごとの料理方法、魚の身の色から新鮮さを推測したり、
この魚がどんな一生を終え、流通に乗り、ここまできたのか思いをはせる。

魚や動物や植物の命を頂きながら、毎日おかげさまで生きていられる。
いろんな人たちのおかげで、ごはんが食べられたり、生活を営める。
なんともありがたい。


最近では、本当にしょうもない実験をしている。
手早く切ってぱぱっと作った大根のみそ汁と、
おいしくなーれと念を込めて切った大根で心を込めて作ったお味噌汁、
どちらがおいしいのか比べたりしている。
もちろん、ぱぱっと作るときは、忙しいし、
時間をかけるときは、ゆとりもあるので、
評価者の心の持ち方も全然ちがう。
大根の部位が違ったり、味噌の量も一定ではない。
統制もとれていなければ、サンプル数も十分ではない。
でも、なんとなく、念を込めたお味噌汁の方がおいしい気がする。

「みそ汁を飲む。」という栄養摂取の一種が、
比較的甘めの大根の上部をいちょう切りにして、
柔らかくなるまで煮たことだし汁に溶け出した風味と、
味噌の絶妙な塩気を同時に感じる体験になる。
お味噌汁の中にあるネギの鮮やかな緑や、
お味噌汁をすする音、お椀の柄や、箸の材質も、
5感で感じられるすべてが楽しむべきコンテンツに変わる。

お味噌汁は、本当はこうも鮮やかなものだったのかと、驚かされる。

お読み頂いありがとうございます。記事が役に立てばうれしいです。このエリアまで読んで頂いた方が、これまでもこれからも幸せでありますように。