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ダンダダン153話『頭間雲児』を語りたい

皆さんはダンダダンという作品をご存知だろうか?
ダンダダンはジャンプ+で毎週火曜日に更新されているオカルトSFラブコメバトルギャグ何でもありのてんこ盛り漫画だ。読んだことない人は今すぐこの記事を閉じてから、ジャンプラをインストールして読んでみてほしい。(初回全話無料で読める)圧倒的な画力で描かれる話の面白さに飛ぶことになる。

ダンダダンで語られる要素の中の一つに呪いや都市伝説等の『オカルト』がある。
ターボババアに始まり、いろんな呪いが今作には出てくるが、呪いというのは生まれた時から呪いだった訳ではない。どのようなきっかけがあって呪いに転じたのかというのもダンダダンにおいては丁寧に描かれることがあったり、その呪いを撃退する方法に繋がったりするのもまた面白いところだ。面白いところなのだが……。

今週のダンダダンは重すぎた。
呪いは負の感情から生まれるものなのだということが改めて身に沁みて分かった。


頭間雲児(ズマ)はダンダダンで今連載中の章の重要人物だ。オカルンの金玉を使って傘の能力を発動し、モモと共に人を取り込むボードゲームを攻略していた。そんなズマの願いが世界の滅亡だと語られたのだが、

「いやまあ確かになんかありそうやけど、気前のいいイケメンやしそんなん望むかなあ?」

とか思っていた頃が私にもありました。



ズマの過去編が今回語られたのだが……。

重い……!しんどすぎる……!!

経緯を簡単にまとめると、

①父親が過労死
②その影響で生活が追い詰められる
③兄が宝物の傘のために荒れた川に飛び込み溺死
④母親がついに耐えきれなくなる
⑤母親がズマと心中しようとする
⑥ズマの抵抗で母親のみが駅のホームに飛び込む


………………書いてるだけで泣きそうになるんだが?
実際耐えきれずにXやジャンプラの感想欄は阿鼻叫喚だった訳だが……。個人的に感じた無理みポイントをまとめていこうと思う。


➀どこかで起こりそうな不幸で生々しい

こういう漫画の悲劇って、普通なら悲しい……で済むんだよな。
共感はするのだが、スケールが大きいものだったりすると、どこか遠くの物語のように感じてしまう(実際そうであるし)日本が平和な国である証拠だよな。

でも、今回の不幸はあまりにも『身近すぎた』。
過労死、貧困、溺死、駅のホームでの飛び込み。

どれも、私達の日常のどこかで耳にすることだ。日本のどこかで今、起こっているかもしれない。その苦しみがより鮮明に想像できてしまう。
それが辛い。

しかも、龍先生の画力で、細部まで表現されているのがしんどい。
ズマの家の生活感。
母親の絶望した顔。
死ぬ前の最期の思い出づくり。

「ああ、自分が同じ状況なら、こうなる可能性もあるな……」と思えてしまう。

しんどい。やばい。


②圧倒的画力で描かれる母親の心情

母親の心情が本当に辛すぎる。

愛する夫の死を誰も真剣に捉えてくれない。
生活はどんどん苦しくなる。

そんな中でも二人の息子のために頑張っていた。頑張れてしまった。

読んでて思ったよ?
生活保護や社会保障は?頼るべき人は?って。
でも、そういうのってほんとにしんどい人は思いつかないんだよな。そんな中、耐え続けた。

でも、それが兄の死でついに途切れてしまう。


兄の死因がズマの宝物の傘を取り戻そうとしてなのもしんどい。弟思いの兄なら、ありそうだもの。辛い生活の中で、無邪気な弟が笑顔でいられた理由が飛ばされて消えてしまう。弟の笑顔まで奪われてしまうとなると、駆け出さずにはいられないよ。

「これ以上、俺達の暮らしから笑顔を奪うな」

って思うでしょ。人間だもの。

それ故に死んだ。
物語は非情である。

兄の骨壷の前で拳を握りしめる母親の表情は見えなかったが、きっとこの世のすべてに絶望したに違いない。生活はちっとも楽にならないのに愛する者だけが消えてしまう。それならいっそ……、となるのも頷けてしまうのが辛い。辛すぎる。


③心中前の描写がしんどすぎる

心中前にズマを遊園地に連れ出すのもしんどい。
服装から、数カ月はなんとか生活していたのが分かる。本当に頑張って頑張って頑張って、無理だったのが伝わってしまう。

しかもあれ、母親が引っ張って連れて行ってるんだよな。まだ子どものズマは何がなんだか理解できてない。
きっと母親は突発的に思ったんだろうな。

「あっ、もう無理だ」

「死ぬ前にせめて雲児にいい思い出を作りたい」

って。
冷静な自分たちはそれは親のエゴだとわかるよ?
子どもは生きてるのが幸せなんだよ。
兄の死に絶望こそしても、それでも生きていきたい。それが普通だよ。

でも、母親の気持ちを誰が否定できようか?
すべて奪われた。
このままだといずれ雲児も……。
なら、奪われる前に終わりにしよう。
そう考えてしまうのもあり得るな…って。

俺は辛い。耐えられない。

そうしてズマは楽しい1日を送る。
それが最期だとも知らずに。

最期の遊園地。
最期のスイーツ。
最期の花火。

色鮮やかな景色が全て


駅で電車に飛び込むことで終焉を迎える。


ズマからしたら意味わからんよ。
楽しかったのに、その日の終わりに母親が電車に飛び込もうとしている。しかも自分を連れて。

その時の母親の血気迫る表情がまた怖い。
最早ズマを見ていないのだ。

恐らく、全てを奪った世界を憎みながら死んでいったのだろう。そう感じるのは容易だ。
それぐらい救われない話だったのだから。

救いのない物語ほど読んでいて辛いものはない。
これを描ききった龍先生はどれほど辛かっただろうか。


④時が経っても癒えない傷

心中しようとする母親を振り切った結果、孤独に生きることになってしまったズマ。
この後の展開はある程度予想できる。前回話しかけてきた警察官がズマのことを弟のように面倒見てくれたのだろうな、とか。その中で息の合う仲間に出会えたのだなとか。

だが、それでもズマの心の傷は消えることはない。


兄を喪った。

母親を喪った。


大人になるにつれ理解しただろう。
二人は世界に奪われたのだ、と。

その憎しみは消えることはないだろう。
ズマの心はまだ、幼い日の駅のホームに囚われたままだ。





頼む、オカルン、モモ。ズマを救ってくれ!!!
ズマの物語をここから幸せにしてやってくれ!!

次回まで気になって仕方がない!!!

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