ご縁と巡り合わせのお話
わたしは、普段からスピリチュアル的な思想を好み、本や記事などをよく読んだり実生活にも取り入れることがある。
なにかの宗教に入っているとかではないが、そういう根拠はないものを追求することが趣味みたいな感じだと捉えていただけるとありがたい。
スピリチュアル的な言葉というものは1つ1つそれぞれパワーを持っているような感覚があり、とても魅力に感じるのだ。
そんな考えをもっている私が、今回は個人的に感じたご縁と巡り合わせについて書いていこうと思う。
ある時、何かをやろうと決めて行動に移してみると、面白いくらいに事がスムーズに進む時、みなさんもないだろうか。
それは、そうなるべく時であるから、あるいは、その事柄に呼ばれたのだと私は考えている。
つまり、波動があっているということ。
逆になにか歯車が噛み合わない時であったり、なんか違うなぁってなった時は割り切って、今じゃないなって考えてる。
例えば、行きたかったお店があって、実際に行ってみたけど人が多くて入れなかった、もしくは臨時休業になっていたら、当然多くの人はショックを受けるのではないか。
そういう時私は、もっと別の素敵なお店があるかもしれない。今はここに来るべき時ではなかったんだ。と割り切り、別のお店を探したりしている。
そこで代わりに入ったお店で食べたデザートがとても美味しかったり、お店の雰囲気がよかったり、店員さんの接客が丁寧で良かったり、行って正解だったなと満足したことが多い。
逆に、元々行く予定だったそのお店に入れなかったら今回入ったお店には出会えなかったかもしれない、そこの料理が食べられなかったかもしれない。
ここのお店に私は導かれたんだ、と幸せな気持ちになる。
全ては何かの巡り合わせであり、その時々の私に合った、もしくは必要としている場所や物事に導かれるということなのではないか。
また、物事には必ずその人にとって大きな意味を持っていると思っていて、もしマイナスなことが起きた時にその意味であったり自分自身へ神様が伝えたかった教訓などを考えてみたり、汲み取ろうとするようにしている。
例えば、就職活動のシチュエーションはイメージしやすいと思う。
自分自身の希望した会社に入るために自己分析であったり面接練習など、精一杯できる限りの努力をしたとしても、あっけなくお祈りメールが来てしまうこともある。
その時はもちろんその事実を受け止めきれず、残念だという気持ちになるが、そこの会社以外にももっと素敵な所があるかもしれない、今回は縁がなかったんだな。
と割り切ることも精神衛生上、時には必要だと思う。
このように就職活動のような人の流れもある意味ご縁と巡り合わせの要素があると信じており、就職活動が自分の思うように行かなくても、自分が結局導かれる場所には何らかの意味があるのではないか。
仮にそこが自分の希望する道だったり会社でなくとも、そこで自分が得られることを必死に見つけ、全力で頑張ることで、その業務や経験が未来の自分に活かされ、結果的に自身の目指すビジョンに近づく第一歩になりうる可能性もある。
そういう考え方も素敵ではなかろうか。
あの時、ここでこれを頑張っていてそれが今活かされている。この経験は決して無駄なんかじゃなかった。
私に足りない部分を補うため、鍛えるためにここに呼ばれたんだ。
後からそう思えたらどんなに最高だろう。
そうやって、考え方を好転換されたり視野を広げることで、さらに新たなご縁であったり巡り合わせにも繋がって来るかもしれない。
世の中結局は、ご縁と巡り合わせで出来てる部分が多い。
努力はもちろん必要で、するのは大前提ではあるけども、それだけではなく直感とか成り行きも大事にし、それを受け入れることで物事が好転しうるヒントを得られることもある。
また、その先にそれに見合ったご縁と巡り合わせが着いてくる。その繰り返しなのだ。
私も今後もこのような考え方で様々な事を乗り越え、波動をあげ、より素敵なご縁と巡り合わせに恵まれるよう努めていきたい。
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