お釈迦様の教えが矛盾している?
お経の中には『如是我聞』という言葉が散見されますが、これは書き下しますと『かくの如く、我聞けり』となります。現代語に訳しますと『私はこのように聞きました』ですね。お釈迦様は私にこのような教えを説かれましたという意味の言葉です。
原始仏教の経典はこのように、お釈迦様の言葉をまとめたものが元になっています。お釈迦様の死後、ほどなくして『結集』といいまして、多くの僧が集まり、お釈迦様の教えをまとめるための会議が開かれました。その会議で互いにお釈迦様からの教えを話し合い、確認しながら一つのお経にまとめられました。
そんなお釈迦様の教えですが、対機説法という名がついています。お釈迦様は相手の年齢や理解力、立場、環境などに応じて、説く教えの内容を変えたことから、そのような名前がついています。例えば、同じ数学という学問を教える時でも、中学生に教えるのと、大学生に教えるのでは内容も変わってきます。
そんな風に相手に応じて、説かれる教えを変えていたわけです。そのために、細かな部分を見ていくと矛盾するような内容のことを説かれていることもあるようです。それはとりもなおさず、お釈迦様が教義という形で型にはめたものを人に押し付けるのではなく、相手の心に寄り添って一人一人と向き合われていたという証拠ではないかと思います。
お釈迦様がそうであったように、私もまた同じように、一人一人と向き合いながら、その気持ちに寄り添う僧侶でありたいと思います。
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