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「どっきりカメラ」〜子供の頃の思い出~

こんにちはACです。

今日も、ふと思い出した思い出を書いていく。1970年代のお茶の間を賑わしたテレビ番組の一つに「元祖どっきりカメラ」がある。すぐにわかる方も多いと思うが、現在のYouTubeで見られる「どっきり企画」やテレビ番組の「モニタリング」に通じる内容のものである。

当時小学生だった私はこの「元祖どっきりカメラ」に完全にハマっていた。しかしながら、ただ番組を見ていたのでは欲望が満たされず、ついには自分で企画して実行してみたくなってきた。そこで仲のいい友人を5人ほど選抜して「どっきりカメラ班」を作り上げた。今思うと恐るべき行動力と統率力を持っていたことに我ながら驚く。

人を驚かせたいという抑えきれない欲望の前には、もはや企画会議のようなものはない。動きながら企画を考えすぐに実行するのだ。まずは「歩いている大人の前で急に滑ってコケる企画」だ!

この欲望に満ちた子どもたちが生きる場所は、厚い雪氷が道路を覆う厳寒の北海道である。そのため急に滑ってコケても不自然ではないし、一定の驚きはしてもらえるだろう。

まずは私がやってみた。歩いている大人の後ろを密かに尾行して、徐々に間を詰めていく。頃あいを見て足元付近でスライディング!「おお!」とか「うわっ」という大人の驚き声が聞こえた。決して相手の足にはぶつからないようにするというコンプライアンスは厳守した。まずは成功だ。

友人たちもどんどんやってみた。いまいち大人の反応が薄い時もあったり、全く気づかれないという失敗もあった。中でも小島君は、完全に滑りすぎてサラリーマンの足の下に入り込んでしまい、コンプライアンスもへったくれも無くなって、けっこう怒られていた。隠れてみていた私たちは声を潜めながら腹を抱えて笑った。すみません、サラリーマンの方。小島ちゃんとしろよー!

こんなノリで「木の中に隠れて猫の鳴き声をする企画」「突然保育園に突入してどっきりカメラ風の撮影をしている感じにする企画」「見知らぬ人に知り合いのように声をかけて近づくが、実は後ろの人に声をかけていたことで恥ずかしめる企画」など進化?していった。

しかしそのうちネタも尽きてきて、なぜかだんだんとホラー系に移行していったのである。ふと降りてきた企画は「生首企画」である。幸運にもうちは美容室であり、ヘアーセットの練習に使う生首がいくつかストックしてあるのだ。忙しい母なのであえて軽い感じで生首を拝借する許可をもらい早速実行に移した。

夜も更けてきた20時頃だったろうか、会社帰りの大人たちが点々と暗い夜道を足ばやに家に向かっている。その道路脇に生首を雪にさしておくだけという非常にシンプルな企画だ。暗い冬の夜道にはおぼろげにひかる街灯しかなくそのシュチュエーションは恐怖映画そのもの。さらに私たちは影に隠れて気味の悪い呻き声を微かに出して通行人の恐怖感を高めていく。人間ほんとに驚くとほとんど声は出ないということがその時分かった。皆一様に「はっ」とか「うっ」と小さく発声するだけであった。もっと「きゃー!!」とは「どわーっ!!」など派手なリアクションを期待していただけに少々がっかりした。それに耐えかねた岡山君なんて、ついには奇声を上げながら生首の横に大の字で飛び出して雪に埋まるということまでしだした。コンセプトも何もなくなった。もうやめ時だろう。皆一様にそう感じどっきりカメラ班は撤退することにした。今思うと、生首を持ってトボトボ家路につく子どもたちの姿こそがもっともホラーだった。

こんな思い出である。

数々のどっきりを仕掛けられた大人の方々、特に夜道で生首をみた記憶がある方、この場を借りてお詫び申し上げます。驚かせて大変申し訳ございませんでしたー。

それではまた。

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