祝祭籤

 私がそのお宅にお伺いしたのは夏のよく晴れた休日だった。予告無しの、それもはじめての訪問だったが、老いたご主人はいぶかしむこともなく私を歓待してくれた。
 通された和室でしばし仏壇に手を合わせてから向き直った私は、改めてご主人に挨拶をした。

「突然の訪問にも関わらず、仏前まで上げていただきありがとうございます」

「とんでもない。手を合わせにわざわざおいでいただいた方ですから、上がっていただくのは当たり前のことです。こちらこそ、本当にありがとうございました。それよりも、お茶のひとつもご用意できず申し訳ない。家内を亡くしてからすっかり無精になってしまいまして」

 確かに玄関も廊下もこの部屋も、どことなく埃っぽく雑然とした感があった。やはり年配者の独り住まいだとこうなってしまうのだろうか。

「先日はご苦労さまでした。盛況だったそうですね」

「お陰様でたくさんの方々からお祝いの施しをいただき、本当に有難いことでした。今年は区切りと言うこともあり、普段はお付き合いのない方からも随分と良くしていただきました。おかげで私も何不自由なく暮らしていくことができます。この歳になると仕事先もありませんし、年金だけではとてもやっていけませんから」

「あれのお友だちでいらした、とか」
「はい。高校時代の同級生で親しくさせていただいていました。といっても大学は僕が首都に行ったから別々でしたし、卒業後もそのまま向こうに住み着いてしまったので、めっきり疎遠になってしまってはいたんですが」

 引き戸のサッシは開け放たれ、くすんだ色のレースのカーテンが風に揺れている。外は晩夏の日差しがまぶしい。

「すいません。エアコンの風が駄目なもんで。扇風機でも用意しますか」

「いやいやお気遣いなく。僕もエアコンは少し苦手ですから」

「先日の日付はなんの記念日だったんでしょうか。知る限り、誕生日ではなかったようですが」

「初めて立った日、だそうです。私はそんなこと覚えてませんが、家内がそう言って申請しまして。誕生日は個人情報に紐づくことがあるから使えないと聞きましてね。回復以来、毎年町内会からお祝いをいただくものですから、すっかりそちらの方で記憶に焼き付いてしまいました」

 そう言ってご主人は少し笑った。

「お祝や支度金をいただくのはいいんですが、準備もそれなりに手間がかかるので、独りで手配するのは閉口しました。まぁ市民の義務ですからいたしかたありませんが」

 当たり障りのない話のネタも尽きて会話の無くなった和室の沈黙を埋めるように、ひぐらしの鳴く声が聞こえてきた。ひどく近い。和室に面した狭い庭の植樹にでも止まっているのだろうか。

「今年のが四半世紀祭。あれが連れていかれてからもう三十年になります」

 寄る辺ない部屋の空気に耐えかねてか、ご主人は僕らに唯一共通する話題のことを語り始めた。三十年前の僕は、首都での仕事ではじめての役職につき、それを弾みに新生活をはじめたころだった。日々に忙しく、地元の友人と連絡を取り合うことも無くなっていた。

「あれが逮捕されたと聞いたのもこんな暑い日でした。当局からの通達は電話一本だった、と家内が言うとりました。私は職場にいたのですが、総務から取り次がれた電話口から家内の狂ったような叫び声が聴こえてきまして、急遽早退しました。ええ。その会社には二度と戻りませんでしたよ。入れてくれませんでしたからね」

「あれが何をしたのかは全く教えてもらえませんでした。ただ、国家反逆罪、とだけ。当局から教えてもらえたのはひとつだけ。略式裁判終了後の刑執行日だけ」

「家内も私も刑のことを知ってはいました。はじめて実施されたときは大きなニュースになりましたから。といっても執行内容とか詳しいことは知らず、ただ首都の湾岸にあるなんとかという場所で……」

「鈴ヶ森」

「ああ、そうそう鈴ヶ森。歳を取ると憶えていたくないことから順にわすれていきますね。そう、その鈴ヶ森で毎月行われてるということぐらいで。こんな田舎に住んでおりますと首都でなにが行われているかなどまったく関係ないので、ただ凶悪な人を当局が取り締まってくれてるのだな、としか思っておりませんでした。だから、自分たちの息子がその犯人とされることなど思いもしなかったのです」

 息を継いだご主人は、いつからそこに置いてあるかもわからない湯呑を手に取り、口に運んだ。もちろん何も入ってはいない。ご主人は哀しそうな表情で湯吞を戻し、再び口を開いた。

「当局が知らせてきた日付は電話の十日後でした。身元引受を希望するものは2名という条件で当日現地まで来るようにという話でしたので、私たちはふたりで藁にもすがる思いですぐに上京しました。執行日の一週間前に首都についた私たちは、それから毎日当局に伺い、息子に合わせてもらうよう嘆願しました。が、聞き入れてはもらえませんでした」

「当日の朝、長く続く高い塀の裏門の脇にある簡素な建物に通され、小さな控室で待つよう指示されました。窓ひとつ無いその部屋にはパイプ椅子二脚と水道、トイレだけが備え付けられていました。案内されるときに私たちが入れられたのと同じドアがいくつも並んでいるのを見たので、同じような身元引受希望者が中にいたのだと思います。部屋は外から施錠され、内側からは開けることはできませんでした」

「昼前くらいからなにか地響きのような音というか振動というか、そういったものが始まり断続的に続きました。窓が無いので外で何が起こっているのかはわかりませんが、なんとなく不穏なものを感じ、ふたりでただ身を寄せ合っておりました」

「夕方、五時頃だったと思います。隣の部屋のドアが開けられる音がしました。それから三十分くらいして、私たちの部屋の施錠が外されました。息子のことを尋ねたのですが、刑務官の方は一言も答えてくれませんし目も合わせません。厳重な扉の施錠を外し、通過しては施錠し、それを何層か通過したあと、最後の扉を開けるとそこは塀に囲まれた野球場くらいの広さの未整地広場でした。人影は全く見えません。白っぽい大きめの石が端から端までただ敷き詰められ、私ははじめ、アスファルトを引かれるのを待つ駐車場予定地か何かなのかと思いました。でも私の中の感覚が、すぐにそれを否定しました。匂いが、したのです。鉄錆のような脂肪のような汗のような、それらが入り混じった匂いが塀の内側の空間に充満していたのです。家内は私の腕にしがみついて震えていました。彼女は気づいたのでしょう。私たちは、誰もおらずなんの物音もしないその広場を、刑務官に引率されて進みました」

「地面に直にペンキで『D』と書かれ、その手前にアンカー打ちで固定されている金属の太い輪っかがありました。その周辺だけは黒っぽくなった石畳みが荒れており、ところどころで地肌が覗いていました。そしてそこここに布地の切れ端や何かの屑みたいなものが散らばっておりました。先ほど感じた匂いはさらに強くなっていました。そこで立ち止まった刑務官は、手に持った大判封筒から取り出したビニール袋を私に渡すと、部屋を出る時以来初めて口を開いたのです。ここに散らばってるのがあなたたちの引き取り相手だ、と」

 のどがからからに渇いている。ぬるくてもいい。ただ水が飲みたい。私はそう願った。だが、聴かなければいけない、最後まで。

「なんのことか理解するのに少し時間がかかりました。でも、刑務官は私たちを促すのです。まだあと二組残ってるから、あと十五分しかない、と。慟哭する暇はありませんでした。私たちふたりはひたすら這いつくばり、賢明にあれの身体の破片を探しました。時間切れになる前に私たちは、左耳の一部と右足の小指、どの部分なのかわからない骨の欠片をいくつか、それにいく筋かの頭髪を見つけることができました。土にまみれたそれら亡骸の欠片を渡された袋にとにかく詰め、私たちは追い立てられるように処刑場を跡にしたのです」

「しばらくして当局から小包が届きました。開けてみると、あれが最後に着ていったジャケットでした。今あそこに掛かっているのがそれです」

 ご主人は、仏壇のそばの長押に掛けてある青いジャケットを見上げた。私もそちらに目をやる。見覚えのあるジャケットだった。学生時代に首都に遊びに来た彼にあげた私の古着だった。

「国賊の家族ということで私は会社を馘になり、収入が絶たれました。家内はすっかり気弱になり日がな一日塞ぎ込んでいましたが、食べていくためには私はそうもいってはいられません。幸いなことにまだ身体が健康だったので、市があっせんする清掃作業員の職を得ることができました。それからあとのことはあなたもご存じのとおりです」

 今から二十五年前、彼が思想犯として処刑された五年後に時の政府が倒れ、上層部のほとんどは粛清された。新政府は前政権下での思想犯の名誉復活を宣言し、処刑されたすべての思想犯受刑者を国民戦士と認定して、遺された遺族に対し各コミュニティによる生活補助を行う法律を制定したのだ。今、全国各地で日々行われている『慰霊祭』がそれだ。

「私たちも復権し、前職からも復帰の打診を受けましたが、すでに清掃員の仲間たちができていましたのでお断りをし、退職金だけ受け取りました。それらのおかげで私たちの暮らしも楽になり、家内も元気を取り戻してくれました。子どもはいなくなってしまいましたが、私たちは淡々と日々を過ごし、昨年家内も息子の元に旅だったわけです」
 病死でした、脳溢血であっという間でしたから、と言ってご主人は話を終えた。

 再び沈黙が訪れた。さっきとは別のひぐらしが鳴いている。日が暮れるまではまだしばらくある。次は私の番だ。今、話すしかない。私は姿勢を正した。

「三十年前のあの日、私は鈴ヶ森にいました」
 ご主人の目が丸くなった。私は続ける。

「当時、首都市民には地方在住市民とは違う特典がありました。首都市民のうち十八歳から七十歳までの男女約二千万人のすべてを対象とした『祝祭くじ』です。毎月朔日に行われるその籤の権利は抽選で選ばれた当選者に郵送で通知されました。当選人数は毎回違っていて、二万人のときもあれば三万人のときもある。通知を受け取った者は、決められた日に鈴ヶ森に行ってボランティアを行い、その代わりに豪華賞品が当たる『祝祭くじ』に参加できるのです。一等賞品はエアコンとか乾燥機付洗濯機とか大型テレビとか高級カメラとか、そういった当時の贅沢品でした。それはある意味、首都市民の特権階級意識を刺激する娯楽だったのです」

「三十年前の夏、私の元にもその当選通知が届きました。通知には、私の名前に並んで大きくこう書かれていました。
『祝祭籤 D組当選おめでとうございます。注意書きをよくお読みの上、ふるってご参加ください』
 新婚だった私は、D組一等のエアコンを当ててくるよう妻に命じられ、指定日であったあの日に鈴ヶ森に向かったのです。あの籤は早く行けば行くほど上位賞品の当選率が上がるという都市伝説があり、私も早起きして出かけるつもりだったのですが、前夜の接待が響いて寝坊してしまい、妻に叱られながら家を出たのを覚えています」

「『祝祭籤』には厳格なルールがありました。

・当選通知を受け取った者(以下「受領者」)は、いかなる理由があっても辞退できない。
・通知に記載された期日、場所には、受領者本人または委任状(別記)持参の代理人が出席し『祝祭籤』を引きボランティアに参加しなければならない。
・ボランティアは誰にでもできる簡単な軽作業だが、汚れることもあるので軽快で動きやすい服装(作業着等)で来場すること。
・受領者本人または代理人が欠席の場合、受領者には重大な罪科が問われることになる。
・『祝祭籤』の参加は本通知と引き換えに行うため、出席する受領者本人または代理人は必ず本通知を持参すること。
・本通知の複写等は絶対に行ってはならない。複写行為が発覚した場合は、欠席と同様の罪科が発生する。

 ルールの内容はこんなものでした。複写してないのでうろ覚えですけれど」

 ご主人は真っ直ぐにこちらを見つめながら黙って耳を傾けている。私は生唾を飲み込んだ。

「私が鈴ヶ森に到着したのは午前十一時を回っていましたが、受付締切は午後2時なのでまだ余裕です。少なくとも欠席にはならないで済んだことに私は安堵していました。それに、残り物には福があると言うし。その時の私は、そんな軽いことを考えてさえいたのです」

「受付で身分証を提示し、通知と交換で『祝祭籤』を引いた私に与えられた名札番号は【D-〇二六六八】でした。上位賞品が当たるような番号ではなさそうだな、と少し落胆しました。帰宅後の妻の叱責を想像しながら。そんな私になどお構いなく、受付の担当者は私にボランティア作業の指示を始めます。番号百番ごとに控え室が用意されているのでそこで待機して、のちの指示にしたがうように、ということでした」

「きっかり十×十に並べられた席から二六六八番を探し出し私は腰かけました。すでに七割がたの席が老若男女取り交ぜた人々で埋まっていました。正面の黒板にはこのあとの手順が書かれていました。呼び出しを受けたら全員揃って速やかに第壱準備室に移動し用意されている靴に履き替えること。靴はサイズが取り揃えてあるのでご自身に合った靴を選ぶこと。準備室移動の十分後から名札番号順に呼び出されるので、指示に従って速やかかつ手抜きせずに作業を行うこと。作業自体は十分程度で終了する。終了後は指示された経路を通って第弐準備室に戻り靴を返却する。その後当選賞品をお渡しする(大型賞品の場合は配送の手続きのみ)。その後解散。こんな感じです」

「返却したあと自分の靴はどうやって受け取るんだろうと思っていましたが、第壱準備室に行ったら謎が解けました。壁一面に数百の下駄箱があるのですが、その壁が隣の部屋との仕切りになっていて、両側から靴が取り出せるようになっているのです。ただ第壱準備室自体は廊下の突き当りにあって、隣の第弐準備室との行き来はできないようになっていました。靴は編み上げで、随分と重く頑丈なものでした。工事用の安全靴のさらに頑丈な奴で、底と側面に金属の鋲が仕込んでありました。あちこちに赤黒いシミがついていて、歴戦の軍靴のような禍々しい雰囲気に少し寒気がしました。靴を履き替えていると体が大きく声も大きい指導官が作業の説明を始めました。
『今から十人ごとにチームになって移動し、作業対象物を力の限り蹴ってもらう。作業はそれだけ。対象物は動くこともあるが、こちらに危機が及ぶものではないので、安心して思い切り蹴ること。チームの誰かが手抜きをするとチーム全体の責任となって不具合が起こることもあるので、お互いによくチェックし合ってほしい。年齢性別体格等で蹴る力の多寡はあるだろうが、各々が自分のできるかぎりの強さで蹴ってもらえば問題は無い。説明は以上』
まるで軍隊の下士官みたいな人でした。でも蹴る対象についての説明は最後までしませんでした」

「石敷きの野球場みたいなところ、そうです。先ほどご主人がおっしゃっていた広場です。私の対象物はそこにいました。ボランティアとは蹴殺刑の執行だったのです。そして、すでに数千回蹴り散らかされ肉塊となりつつあったのは、彼、あなたのご子息だったのです」

「私が目の前に立った時、彼はたぶんもう息をしてはいなかったでしょう。衣服はとうに無くなって、体中あちこちの肉は蹴り取られ、頭は変形し眼鼻の部分には穴が開いているだけでした。すでに片腕は無くなっておりました。でも私には彼がわかりました。奇跡的に損傷の少なかった右足の甲に残る火傷の痣があったのです。高校時代に理科の実験で悪ふざけをしていた私が誤ってこぼした薬品の痕です。私は息が止まりました。ですが、蹴らないと、思い切り蹴らないと他の九人に迷惑がかかる。私は彼を見ないで脚を振り上げ蹴りつけました。でもその一蹴は空振りとなり派手に転びました。指導官と九人が私を睨んでいるのがわかりました。もう一度私は蹴り直しました。彼の右足の私の付けた痣めがけて」

「出口で末等のティッシュを渡された記憶は残っていますが、それ以外はどうやって家に帰りついたのかも憶えていません。エアコンを当てられなかった私をなじっていた妻も、私の顔色を見て心配声で尋ねてきましたが、私はなにも答えられず、ただ子供のように彼女に抱きつき震えるだけでした」

 私の話はこれで終わりです。そう言って下を向いた。ご主人がどんな顔をしているのか私は確かめることができなかったのだ。ご主人の立ち上がる気配がした。私は蹴られるのだろうか。いや、それも仕方がない。むしろ私はご主人に蹴っていただくためにここに来たのだ。しかし、ご主人は部屋を出ていっただけだった。
 取残され宙ぶらりんになっていた私の前に戻ってきたご主人が話しかけてきた。

「きみ、顔を上げてくれないか」

 泣きそうだった私は、しかし顔を上げた。いつの間にかオレンジ色になった空を背景に、ご主人は立っていた。逆光で表情はわかりづらいが、少なくと彼の眼には怒りの炎は見えなかった。

「よく話してくれた。ありがとう。私は、そして家内も、きみを恨んだりすることは無い。きみだけでなく、そのボランティアに参加させられたすべてのひとたちのことも。きみたちは、その場で他に選びようのないことをしただけだ。悪いのはきみたちではない」

 穏やかにそう言ったご主人は、これを見てほしい、と言いながら一枚の紙を取り出した。これは……。

「そう。きみも受け取ったという『祝祭籤』の通知書だ」

 私はその紙を覗き込んだ。それは私に届いたものと違わなかった。一点を除いて。そこに書かれている名前に見覚えがあった。高校時代のマドンナ。彼と私がともに想い、彼を選んだ。それがもとで理科室の争いが起き、私は首都の大学への受験を決めた。

「私たちがこの家に帰ってきた数日後の深夜、あの娘はうちに尋ねてきた。この紙をもって。あの娘は『祝祭籤』の実相をきみよりもよくわかっていた。そしてその日処刑される対象のことも。あの娘は無作為の抽選で送られてきた通知をボイコットした。だが、ボイコットしたものは思想犯とみなされ、捕まれば問答無用で処刑される。あの日息子を蹴るために招集されたのは五千人。その中でふたりボイコットしたものが出た。ひとりはあの娘、もうひとりは息子たちの役員時代の生徒会長さんだった。彼もまた不幸な当選者だったらしい」
 知っている。人望のある立派な男だった。確かに彼と一緒にいるところを何度か見かけたことがある。

「あの娘は彼と連絡を取ってボイコットを決めたらしい。ただし逃げるのは別々に。危険を分散するために」

「あの娘は五年間うちで匿った。よくあれとの思い出を話してくれて、心が弱っていた家内を随分と元気づけてくれた。きみの話も出てきていたよ。だが、彼の方は捕まった。あれが死んでから二年後、彼も同じ場所で同じやり方で処刑されたと聞いた。無残な話だ。思想的なことなどなにひとつなかった、ただ友だちを蹴りたくなかっただけだというのに」

 彼女がいるのか。彼女にも謝りたい。俺の罪を、少しでも多くのあいつを知る人に聞いてもらいたい。

「彼女はいまどこに?」

 ご主人は天井を仰いでから吐き出すように言葉を発した。

「死んだよ。もう二十四年も前に」

 え。事故?病気?

「自殺した。世の中が変わって、息子や彼が国民戦士とやらになって、まるでお祭りのようにもてはやされるのに絶望して。そんなことは気にせず、大手を振って自分の人生を謳歌しなさいと言い続けていたんだが、年寄りの言葉はあの純粋な魂には届かなかった」

 シルエットとなったご主人は私を見つめている。いや、私じゃない。私の後ろにある何かを。私は振り返った。仏壇の中には三人の写真が並べてあった。奥さまらしき老婆とあいつの遺影。そしてあいつの隣にひそやかに女性の写真。私が知っている頃に比べ随分と老けてやつれているが、たしかに彼女だった。
 ひぐらしの声は止んでいる。空の色が紫から濃紺に変わっていくのを、私はしばしの間見つめた。あのどこかに彼らはいるのだろうか。私もいずれそこに行けるのだろうか。

 バイクが止まる音に続いて呼び鈴が鳴った。間をおかず、書留を告げる声も聞こえてきた。

 玄関から戻ってきたご主人は部屋の明かりをつけた。何も言わずに封を切って中の書類を取り出す。私はそれをただ見ていた。


 おめでとうございます。
 あなたは厳正なる抽選の結果、国民の祝祭くじに当選されましたことをここにご通知いたします。

 大抽選会とボランティアにご参加いただけるようお願い申し上げます。
 (ボランティアは、竹製ののこぎりを挽くだけの簡単な軽作業です)

 なお、本抽選会にご本人もしくは委任を受けられた方のいずれもご来場なさらない場合は…


〈了〉

初出:カクヨム(2022/01/31)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?