動け!テディ・ラクスピン
「テディ・ラクスピン」というクマをご存知だろうか。
1987年、アメリカの玩具メーカー「Worlds of Wonder」からリリースされた、しゃべるぬいぐるみだ。
クリスマスにまつわるライター同士のアドベントカレンダー企画に、勢いよく名乗り出たのはいいものの、私にはクリスマスの思い出などほとんどかなった。苦肉の策で思いついたのが、このグロかわいいしゃべるクマ、「テディ・ラクスピン」の存在だった。
サンタの来ないクリスマス
小さなパン屋を営んでいた私の実家は、12月になるとクリスマスケーキの予約に追われた。父がホールケーキを焼き、クリームを塗ってデコレーションする。私たち姉妹はケーキを入れるボックスを組み立てたり、ケーキにサンタクロースやらバンビやらのデコレーションを乗せたりと、家族総出で準備する。
しかし、自分たちがケーキの上に乗せている赤と白の老人が何者で、何をしてくれる人物なのかを、私は小学生になるまで知らなかったと思う。
そんな我が家でも、プレゼントの風習はあった。クリスマス近くなると、父は近所のおもちゃ屋さんのチラシを広げ、私たちにその中からほしいものを一つだけ選ばせて買ってくれるのだ。
姉がテディ・ラクスピンを選んだのは、彼女が小学校3年生のときだった。しかし、当時アメリカの最先端おもちゃ会社が製造した「しゃべるクマ」は、我々に割り当てられた予算をオーバーしていた。記憶はあいまいだが、1万円以上はしたと思う。そこで当時、父が姉に出した条件が、「授業中手を挙げて発言すること」だった。
引っ込み思案でクラス内でほとんど発言しなかった当時の姉にとっては、高いハードル。今考えれば、どうとでもごまかせそうな条件だが、それでも姉は頑張った。そして見事、クリスマスにテディ・ラクスピンを手に入れたのだ。ちなみに、その時私が何を頼んだのかは、全く覚えていない。姉もまた、そこまでしてなぜ、テディ・ラクスピンがほしかったのかを、覚えていいなかった。
いざ、テディ・ラクスピンに会いに
姉に今回の件を伝えると、「テディ・ラクスピンについての記憶はほとんどない」と言われてしまった。しかし、後には引けない。話していれば思い出すかもしれないから、と伝え、とにかく実家に向かった。
姉は根っからのディズニー好き。その気質は強く遺伝し、姪っ子もまたディズニー・フリーク。その結果、実家はありとあらゆるテディベアに埋め尽くされていた。触り心地もよく、目鼻立ちもかわいく配置されたディズニーのクマは、ダッフィとか、シェリーメイとかいう名前らしい。どうやら日本でガラパゴス化されたキャラクターらしく、デザインも造りも洗練されている。さすが、「カワイイ文化の国・ニッポン」。
一方、メイド・イン・USAのテディ・ラクスピンはというと、「カワイイ」の洪水の中で、ひときわ異彩を放って最後尾に鎮座している。さすが、カワイイ文化のない国が作ったぬいぐるみだけあって、なんというか、グロ・カワイイというか……。
テディ・ラクスピンにダイレクトバキュームをあてて埃を吸い取り、姉は単2電池4本を彼のお尻に差し込んだ。背中の服を剥ぐと、そこには懐かしいカセットテープが。
「ちょっと前に動かしてみたときは、ちゃんと作動したんだけどね」
動け、ラクスピン!
カセットテープには、テディ・ラクスピン(15)が友だちと気球に乗って大冒険をする、という物語が吹きこまれている。ラクスピンを演じるのは、『キテレツ大百科』の『キテレツ』役でおなじみの、藤田淑子さんだ。正しく動けば、藤田淑子さんの声に合わせて、ラクスピンが口を動かし、瞬きをするはず。
姉、姪、母、そして私が見守る中、カセットテープが物語を紡ぎだした。
テープの劣化による独特のノイズと籠った音が、なんともいえないノスタルジーを運び、当時の記憶を呼び起す。何十年も触っていなかった引き出しを開け、中を覗いているような、奇妙な感覚に襲われた。
しかし、ラクスピンは口も目も、動かさなかった。
「おかしいな」
2時間かけて久しぶりに実家に来た妹を気の毒に思ったのか、姉はラクスピンの眼球をぐりぐりと押し込み、動け、動けと促す。しばらくすると、ギシギシという強い摩擦音と共に、彼は瞬きを始めた。しかし、姉のゴリ押しの影響で、瞼は半目以上に上がらない。物語の進行と全く関係なく、彼は目を閉じて、半目を開けて、を繰り返す。
でも、テディ・ラクスピンは、動いた。
この話、おもしろいかな?
テディ・ラクスピンは役目を終え、元の後列に戻った。
「別の話題にした方がいいんじゃない?」
姉のアドバイスは的を射ている。この奇妙なぬいぐるみのことを、どれだけの人が覚えているだろうか。しかも当時、どれだけ流行っていたかも定かではない。聖なるクリスマスにこのネタをぶち込んで、どれだけの読み手からシンパシーを得られるというのだろう。
すっかりテディ・ラクスピンに飽きた私たち。母が買ってきてくれたお弁当を食べながら、クリスマスの思い出話に花が咲いた。
学校から帰ってくると漂う、父の焼くスポンジケーキのにおい。
店先に飾った、小さなクリスマスツリー。
12月25日の夜に食べる、売れ残りのクリスマスケーキ。
物忘れが多くなった分だけ、母の中で父の記憶は美化されていく。
私はすでに、父の声を思い出せなくなりつつあった。耳の奥のかすかな残像に触れようとすると、「清く正しい聖人のような父親」を捏造してしまいそうになる。だから私は、もう父の記憶をたどることはしない。姉は、どうだろう。聞くのを忘れてしまった。
これが、30数年前の私たちのクリスマスの思い出。
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