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オリ復興記 - 4. 西村体制(後編)

はじめに

本シリーズ(?)は、「なぜオリックスが強くなったのか」に関する自分なりの考察である。前回(いつの間にか第3回)は2019年〜2020年に指揮を執った西村徳文氏をはじめとする現場指導体制をテーマに、2018年オフの就任時から2019年オフまでの経緯を追った。
前回となる第3回はこちらからご覧いただきたい。

第4回となる西村体制(後編)は、2020年シーズンも続投を要請された西村監督が成績不振の結果、シーズン途中で辞任を余儀なくされるまでの流れを追う。その後、「西村体制とはなんだったのか」という問いについて、自分なりの考えをまとめてみたい。
あらかじめ申し上げておきますが、長いです。ごめんなさい。

前回のおさらい

お忙しい方もいらっしゃると思うので、前回のあらすじを端的(当社比)にまとめる。

2018年オフ、成績不振の責任を感じて自ら辞任した福良淳一監督の後任として、ヘッドコーチの西村徳文氏に後継としての白羽の矢が立てられた。当初同氏も監督に殉じて退団の意向を固めていたが、球団がこれを翻意させ、西村監督の就任が実現する。

西村新監督に求められたのは福良路線の継承、すなわち若手の育成を軸としたチームの強化である。契約は単年、編成トップにはGM職が新設(2019年6月)され、旧来の監督のように全権を振える立場にはないながら、現場指揮官として主力選手が抜けた穴を若手の登用で埋め、順位は最下位ながらもやや貯金を減らした程度に留めた。また二軍では中嶋聡氏が二軍監督に就任。若手に多くの機会を割きながらシーズン勝ち越しの2位を達成している。

こうした働きを評価され、西村監督はシーズン終了を待たずに続投が決定。不足した攻撃力を補強するため、大物メジャーリーガー・アダム・ジョーンズ選手を獲得。「育成と勝利」のうち、勝利という側面に求められる期待をやや色濃くしつつも、2020年シーズンを迎えるに至ったわけである。

というわけで、2019年オフ時点における西村監督のミッション・評価・課題を再掲する。

  • ミッション:育成を軸とした中長期の強化路線の継続

  • 評価:2019年は若手の台頭もあり、成績より中身を見て続投

  • 課題:育成路線は継続しつつも、勝利という結果も追求

本稿では、これがどう狂っていったのかを追うこととなる。
辞任の理由を考察するにあたり、投手・野手運用についても検証を行いたい都合上、前編に比べるとやや詳細に踏み入ることとなるが、その点ご容赦いただきたい。

辞任までの経緯

2020年は折悪しく新型コロナウイルスの大流行に振り回される一年となった。
NPBも感染防止を考慮しながら開催を図るため、無観客試合・開幕の順延・変則的な日程といった対策が取られた。球団・選手もこれに応じた対応を取ることとなり、その苦労たるや大変なものがあったであろう。

例年から大きく遅れた6月19日の開幕戦は9年連続の黒星スタート。その直後、6月23日から28にかけて行われたロッテ6連戦に全敗。例年通りの開幕逆噴射をやってのけ、最下位に安住の地を得る。
開幕投手を務めた山岡泰輔投手は脇腹痛で早々に離脱し、攻撃の軸と目されたジョーンズ選手も前評判ほど満足なパフォーマンスを発揮できないことが判明。前述の同一カード6連敗を皮切りにどんどん歯車が狂っていき、福良GM・西村監督の確執を疑う記事も出るようになる。

とはいえ7月25日には借金3まで浮上しているのだが、そこから4連敗・7連敗・4連敗と大型連敗を続けざまに喫し、16勝33敗4分・借金17となった8月20日、西村監督辞任の報がもたらされた。

同日の試合後、西村監督は湊球団社長・森川秀樹球団本部長と3人で会談し、そこで辞任を要請され、受諾したとのことである。会見には福良GMが対応したが、そこに西村監督の姿はなかった。両氏のコメントは以下の通りである。

西村監督(球団を通じてコメント)
「選手たちの成長には手応えを感じていたが、それを結果につなげることができなかったのは指揮官である私の責任」
福良GM
「まだまだ巻き返しができるという判断で、こういう決断になりました。辞任の要請です。本人が判断を仰いだということ」

2020年8月21日、スポニチ記事

事実上の解任にもかかわらず、自ら申し出たような形にした上での辞任であるが、何はともあれ西村監督がチームを離れることとなった。上記コメントを見る限りでは、辞任理由が少なくとも成績不振にあったことが伺える。
西村体制の下で2020年シーズンを戦った期間は、わずか63日間であった。

後任には中嶋二軍監督が代行として指揮を執り、コーチ陣の体制にも大幅な変更が発生した。辻・齋藤の両コーチが二軍から異動した一方、後藤・平井・鈴木の3コーチが二軍または育成へ配置転換されている。差し引き1名の減員となるが、投手コーチの役割は投手運用に定評のある高山氏が担当(事実上の復帰)することで問題はないとしたのだろう。これをシーズンの最中に行ったのである。
一軍における体制変更の内容は以下を参照されたい。

2020年 オリックス一軍コーチングスタッフ一覧(体制変更後)

8月20日は一軍が京セラドーム、二軍は由宇で試合を行っており、中嶋二軍監督への一軍監督代行就任要請は福良GMが電話で行ったとのことである。翌8月21日の代行就任会見で中嶋氏が「不安しかない」と語っているように、前々から準備されていた話ではなく、急遽決まった経緯であるように見受けられる。

後に湊社長が「ターニングポイント」と振り返っていることから、西村監督の途中辞任・コーチ人事の刷新は球団にとっても一大事であったのだろう。もとより途中辞任ありきの計画など組まないであろうし、過去幾度となくシーズン途中で監督の首をすげ替えてきた歴史もあり、失望と批判に晒されるのもわかっていたであろう。しかし球団首脳はこれを敢行した。
そこには敢行するための理由と、将来への展望があったのだと思っている。では、それは何だったのかを考えてみたい。

辞任の理由

前述の通り、基本的なミッションは変わっていないが、もし2019年から2020年にかけて変化があったとすれば、勝利への期待値がやや高くなった点があったかもしれない。
ここに西村監督が応えられなかったことは、成績を見れば明らかである。

ただ、本当に「育成と勝利」の「勝利」だけが辞任の理由だったのだろうか。「育成」に問題はなかったのだろうか。

言うまでもないが、一軍は結果が求められる場所である。この場で求められる「育成」とは、「経験の少ない選手を使って結果を残す」ことと思われる。とはいえ経験の少ない選手が百戦錬磨の選手を相手にすぐさま結果を出せるはずもなく、起用する側には相当の我慢が要求される。また、活きのいい選手をタイムリーに起用することも要求される。そうしたプロセスを経ながら、勝利という結果を得ていかなければならない。
口で言うのは簡単だが、実現することは極めて難しい。

少なくとも、2020年のオリックスは「育成と勝利」における「勝利」の部分では間違いなく失敗している。しかし「育成」についてはどうか。
投手陣・野手陣のそれぞれについて、運用も含めて検証を行い、自分なりの考えをまとめていきたい。

投手運用

2019年シーズン、金子千尋・西勇輝投手の退団によって危ぶまれたオリックス投手陣であるが、蓋を開けてみれば山岡泰輔投手が最高勝率、救援から先発に転向した山本由伸投手が最優秀防御率のタイトルを獲得し、一気に新時代の到来を予感させた。
救援陣ではクローザーの増井浩俊投手が不振に陥ったものの、先発ローテの一角を担っていたディクソン投手を転向させることで対応。セットアッパー候補に神戸文也投手が名乗りを挙げるなど、チーム防御率はリーグ5位の4.05ながらも明るい話題が相次いでいた。

しかし、8年ぶりの勝利を目指した開幕戦、セットアッパー候補であった神戸文也投手がいきなりKO。開幕早々から救援陣が危殆に瀕するが、こちらはクローザーのディクソン投手、代役のセットアッパーに定着したヒギンス投手を軸に、主に中堅〜ベテランと外国人の起用でカバーしたが、今度は山岡投手の離脱で先発陣に欠員が発生。

残った先発陣は山本由伸・田嶋大樹・アルバースの3投手以外が決まらず、榊原翼・山﨑福也・鈴木優の3投手を中心に起用したが、西村体制の崩壊後もローテに残ったのは山﨑福投手のみ。他、村西良太・K-鈴木・張奕投手等を先発起用したものの、いずれも満足な結果を残すことはできなかった。この結果、序盤で先発が打ち込まれ、不利な展開を余儀なくされる試合が増えていく。

以下に2020年の西村体制下における先発ローテ表を示す。濃い赤はHQS(7回以上自責2以下)、薄い赤はQS(6回以上自責3以下)を表す。53試合のうちHQSは7試合、QSは11試合に留まる。

2020年前半 先発ローテーション表

吉田一将投手が先発を務めた2試合はいずれもブルペンデーのため、これを除く51試合のうち、25歳未満の投手(田嶋・山本・鈴木優・榊原・村西)が先発した試合は31試合。全体の60%強を占める。またアルバース投手以外は全員20代であり、若さという点では問題はないように見える。
ただ、その起用法を見ると、結果の出ない鈴木優・山﨑福・榊原の3投手およびアルバース投手をローテから外さず、日程を集中して起用し続けた。

山本・田嶋の両投手が好投を続けており、この両者を続けて登板させることで連勝を狙ったのかもしれないが、この結果実力に劣る先発投手が集中して登板することとなり、これが連敗を生む要因となった。投手陣の不利を覆しうる得点力があればこの戦術は有効だったかもしれないが、オリックスの得点力はリーグ最下位である。この点については後述する。

また、これら投手の起用に拘ったために他の投手に機会が与えられず、改善に向けた取り組みが遅れた点も問題と思われる。
二軍に目を向けると、2019年は救援を務めていた漆原大晟投手や富山凌雅投手も、2020年当初は二軍で先発に回り、一定の結果を残していた。このような候補も居りながら、ローテのテコ入れが遅々として進まなかった点は好ましいことではない。

かたや救援では齋藤綱記・吉田凌投手といった20代前半の投手も登板機会を得つつあったが、主力はやはり20代後半〜30代であった。8/20までの先発防御率4.40に対し、救援防御率は4.36と、こちらも良好な結果とは言えない。

しかしながら、これは救援陣の能力だけに起因するわけではなく、先発が早いイニングで降板してしまうことで救援陣の負担が増加していた可能性が否めない。
西村体制下における先発の平均イニング数は5.29回。田嶋・山本投手が先発した日を除けば4.68回まで減少する。しかもこれが4日連続で起こるのだ。これでは救援陣に負担がのしかかるのは避けられない。2020年にオリックス救援陣が記録した3連投(3日連続登板)は11回あるが、このうち実に8回が西村体制下の2ヶ月に集中している。

これらのことから、全体的な投手起用の傾向としては若手を主に先発で使い、中堅〜ベテランを救援で使おうとしていたように見受けられる。必ずしも若手を使わなかったわけではなく、その使い方を変えようとしていたように見える。

しかし、これが二軍側も意図していたものかは疑問の余地がある。先発を務めていた漆原・富山両投手が中嶋代行の就任直後に救援へ再転向していたり、先発ローテーションも変則的になるなど、体制変更後は明らかにそれまでと異なる起用を見せているからだ。このため、西村体制下における方向性とは異なっていた可能性は否定できない。

投手起用についてまとめると、概ね以下の4点に集約できると思われる。

  • 必ずしも若手を使わなかったわけではない

  • 先発は若手主体、救援は中堅〜ベテラン主体の構成

  • 結果が出ない投手を先発として使い続け、かつ日程を集中させた

  • これが連敗を招き、救援陣の負担を悪化させ、他投手の登板機会を奪った

特に3点目の「結果の出ない先発投手の集中起用を継続した」点こそが、起用において最も問題となった点と考える。

野手運用

オリックス野手陣の得点力は毎年のように低迷しており、2019年の得点数(544得点)もリーグ最下位である。とはいえ打線の軸としては吉田正尚選手がおり、前年の絶不調から復活を期すT-岡田選手もいた。オフには外国人選手として前述のジョーンズ選手に加え、3Aの好打者とされたロドリゲス選手も獲得し、打線の強化を図った。
守備・走塁に優れた選手は数多く所属していたが、中軸に次ぐ強打者が不足していたことは否めない。チームの青写真を描く段階で見れば、この「ポスト中軸層」の底上げが課題であったと言えよう。

しかしシーズンに入ると、早くも当初の構想が瓦解する。両外国人選手が揃って満足な結果を残せず、T-岡田選手もかつての打棒を取り戻すまでには至らない。吉田正選手のみが一人気を吐き、「吉田個人軍」と呼ばれるような状態に陥る。

こういった時こそ、新たな選手の台頭が求められる。そこで二軍に目を向ければ、杉本裕太郎選手・中川圭太選手・モヤ選手がいずれもOPS.900ないしはそれ以上の成績を残しており、西野真弘選手も3割を超える打率を残していた。
中川選手・モヤ選手は一時的に起用したものの、両選手は十分な結果を残せず早々に抹消。杉本選手や西野選手にはお呼びすらかからない。西村監督はなぜかこれらの選手を積極的に起用せず、得点力も断トツのリーグ最下位をひた走り続けた。

西村監督の辞任理由を論じる記事の中には、「盗塁・バントを多用するため、走塁・小技に秀でた選手ばかりを起用し、二軍からの推薦に耳を傾けなかった」とするものがあり、これが高じてか「若手を使わなかった」という説もある。が、果たしてこれは本当だろうか。改めてこの点について検証を行ってみたい。

まず、「若手を使わなかった」という点であるが、中川選手以外の3選手はいずれも30歳前後であり、若手の域ではない。他に将来を嘱望される選手として頓宮裕真選手・太田椋選手といったドラフト上位指名の若手もいたにはいたが、彼らは故障で離脱している。また、宗佑磨・西浦颯大・廣澤伸哉選手といった若手も徐々に出場機会を増やしつつあった。これらのことから、少なくとも「若手を使わなかった」わけではなさそうである。

次に、「走塁・小技に秀でた選手ばかりを起用した」点だが、代替候補となりうる杉本選手やモヤ選手の守備位置は外野両翼(LF・RF)または1Bに限られる。若手が主に担っていたのはその他の守備位置、具体的にはセンターラインの3ポジション(2B・SS・CF)が中心となる。主に守備力が要求されるポジションではあるが、これらを守れる上に打力に優れた選手は当時のオリックスに皆無であったと言って良い。
となると着目すべきはそこではなく、打撃力が要求されるポジション、具体的に言えば1B・LF・RF・DHの4つではないか。

2020年の西村体制下で戦われた53試合における当該4ポジションの選手別スタメン起用回数を見ると、以下の通りとなる。

・1B:ロドリゲス 31、T-岡田 13、モヤ 7、中川 1、小島 1
・LF:T-岡田 25、吉田正 16、ジョーンズ 12
・RF:吉田正 31、ジョーンズ 12、西浦 5、西村 5
・DH:ジョーンズ 25、ロドリゲス 12、T-岡田 7、吉田正 6、伏見 3

上記から分かるように、この4ポジションは吉田正・ジョーンズ・ロドリゲス・T-岡田の4名でほぼ独占されている。4選手がスタメンを占めた割合は、該当4ポジションの実に89.6%を占める。
では、これら4選手の打撃成績はどうだったか。西村監督辞任の8月20日までの期間(53試合終了時)における打率・本塁打数を以下に記載する。データが不十分な点は平にお詫びしたい。

・吉田正:BA.369 7HR
・T-岡田:BA.244 7HR
・ジョーンズ:BA.235 5HR
・ロドリゲス:BA.224 5HR

「吉田個人軍」なのは前述の通りだが、他の3選手は必ずしも十分な成績を残していたとは言えない。つまり、二軍の強打者と交代すべきはこれら3選手だったのではないか。
彼らこそ西村監督がスタメン起用に拘った対象であり、脇を固める存在には若手・中堅をむしろ積極的に起用していた。
実際、これら3選手のスタメン出場機会は中嶋体制に移行してから徐々に減少し、杉本選手・モヤ選手をはじめとする二軍から投入された選手に取って代わられていくこととなる。

確かに西村監督はバントやダブルスチールを多用した。こうした作戦を担ったのは走塁・小技に秀でた若手・中堅選手であった。しかし、最も問題にすべきポイントはそこではなく、機能しない中軸打者の起用に拘り続けた点にあると考える。

中嶋監督代行の就任会見における一問一答において、一軍との連携について非常に歯切れの悪いコメントが残っていることから、二軍からの推薦を一軍首脳陣が採用しなかった可能性は高い。

中軸の不振・および二軍における強打者の台頭は、元々の課題であったポスト中軸層の育成にあたって絶好の機会でもあった。しかし西村監督はこの機会を活かそうとはせず、打順のやりくり・成功しない作戦に終始し、得点力の根本的な改善を行おうとはしなかった。この結果、勝利・育成いずれの面でも成果を残すことができず、後の辞任を招く要因となったと考えられる。

野手起用についてまとめると、概ね以下の4点に集約できると思われる。

  • 二軍の代替候補は30歳前後の選手が中心であり、「若手を起用しなかった」とは言えない

  • 中軸以外のポジションでは若手をむしろ積極的に活用していた

  • 不振の中軸を使い続け、打順のやりくり・機動力を使った作戦に終始した

  • この結果得点力の改善に至らず、また二軍有力選手の活用機会を逃すこととなった

特に3点目の「不振の中軸を使い続けた」点こそが、起用において最も問題となった点と考える。

個人的な結論

投手・野手の運用について見てきたが、それぞれにおいて個人的に最も問題と考えている点を再掲する。

  • 投手運用:結果の出ない先発投手の集中起用を継続したこと

  • 野手運用:結果の出ない中軸の起用を継続したこと

繰り返しになるが、投手・野手のいずれにおいても「若手を使わなかった」わけではない。若手は使っていた。しかし、投手においてはその使い方がよろしくなく、野手においては若手以外の選手の使い方に問題があった。

また、双方に共通して言えることは「一度決めた運用をなかなか変えない」点にある。若手の使用法よりも、そちらに問題があったと思っている。得点が取れなくても、失点を重ねても我慢を重ね、辛抱強く使おうとした。が、それはやせがまんというものではなかったか。
一軍で起用している選手以外にも、二軍で活躍し、一軍での出場機会を心待ちにする選手がおり、また二軍の監督・コーチ陣も推薦していたにもかかわらず、これを採用しようとしない。これでは当初のミッションであった育成による中長期の成長は実現しない。それゆえ、球団首脳は悪評にまみれることも覚悟の上で、西村監督以下の体制刷新を図ろうとしたのではないか。そのように思えてならない。

いみじくも、就任会見で西村監督本人が掲げていた「アグレッシブさ」が当人に失われたがゆえ、と言ってしまえば、あまりに皮肉であろうか。

託された希望

一軍が連日のように惨敗を重ねていく中、前年にウエスタン・リーグ2位の成績を残した舞洲軍(二軍)は2020年も5割前後を維持しており、「育成と勝利」の両立を果たしていた。2019年の戦いぶりについては、以下の記事を参照されたい。

少なくとも舞洲軍は球団の掲げる中長期の成長路線にかなう動きを見せており、この点は2019年から評価されていた。一軍の拙い起用に起因する無惨な戦績、およびこれと対照的な舞洲軍の戦いを球団首脳が評価した結果、中嶋二軍監督こそが今後の舵取りを任せうる人材として適任であると判断し、一軍監督代行として選定した上、彼が指揮を執りやすいよう一部コーチの配置転換を行ったものと思われる。
代行という但し書きはつきながらも、将来の希望は中嶋氏にいったん託されたわけである。

いずれにせよ中嶋二軍監督の一軍監督代行就任を軸とした指導体制の刷新、そして2020年後半の戦いにより、飛躍に向けた足場固めが改めて推進されていくこととなる。これについては次回以降の記事で述べていくこととしたい。

まとめ

西村監督がいなければ、オリックスの優勝はもっと早くに実現していたのだろうか。そんなことを考える時がある。
連日の先発KO、不可解な起用、度重なるバントやダブルスチール、敗戦後の弁で述べられる「なんとかしないと」の連呼など、批判したくなる点は枚挙に暇がない。思い出すにマイナスの感情が湧くことは否定できないし、ここまで主に運用における批判を並べに並べたのも確かだ。

しかしながら、1年半という短い期間ではあれ、西村監督が一軍監督に在任していなければ、別の人物が監督に就任していたかもしれない。就任したての中嶋二軍監督はまだ未知数であり、その手腕が明らかになるには一定の時間を要した。そう考えると、彼の1年半という在任期間は、しかるべき体制構築のための猶予期間であったと考えることもできるのではないだろうか。

その就任経緯からして、(長期政権を求められていなかったにしても)西村監督が期待されなかったわけでは決してなかった。だが、彼は球団から求められたミッションを十分に果たすことができず、最終的にはそれに反する行動さえ取るようになり、その結果辞任に追い込まることとなった。この経緯から、彼を有能な指揮官であったと評することはあまりにも困難であるし、また自分も擁護しようとは思わない。

しかしながら、西村監督がその職にあったことは、決してただの無駄ではなかったとも思っている。
何より、彼が一軍監督の職にある期間、二軍が「育成と勝利」の両立を果たしつつあった。多分に結果論かもしれないが、この期間が後の中嶋体制の開花につながったことは間違いない。この点において、「つなぎ」の監督として、彼もまたオリックス復興の道筋に必要な人物ではなかったかとも思うのだ。自らが大いに好んだ送りバントを、監督という職務のリレーにおいても果たしたのではないかと。

功罪はともかく、ロッテ時代の相当なキャリアがありながら、ヘッドコーチ在任期間も含めて4年半もの期間、古巣でもないオリックスに貢献してくれたことは確かである。その点は本当に感謝の念に耐えない。

2023年現在、西村徳文氏は神奈川・千葉を地盤とする独立リーグ「ベイサイドリーグ」のGMの職にある。今後の同氏の活躍を祈念して、末尾とかえさせていただきたい。

参考サイト・記事

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