オリ復興記 - 3. 西村体制(前編)
はじめに
本シリーズ(?)は、「なぜオリックスが強くなったのか」に関する自分なりの考察である。第1回は2018年オフ、第2回は中嶋体制の素地を形成した2019年の舞洲軍(二軍)について見てきた。前回となる第2回はこちらからご覧いただきたい。
が、第3回となる今回以降は後の優勝の立役者ではなく、2020年のシーズン途中で辞任・配置転換を余儀なくされ、否定的な評価を下されることの多い中嶋体制以前の一軍、つまり西村徳文監督をはじめとする体制について見ていきたい。
なぜ西村体制に触れるのか
2021年に26年ぶりの優勝を実現したのは、湊社長・福良GM・中嶋監督をはじめとした主要人物が適切なマネジメントを行い、球団・チームが一丸となって達成したものとされる。おそらくそれは正しいのだろうし、(ちゃんと書き進めるなら)以降の稿でもその立場に沿って筆を進めることになると思っている。
まず事実として、西村氏の監督辞任後、監督代行に就任した中嶋聡氏が見事にチームの成績を向上し、2021年・2022年とパ・リーグ連覇を達成した。このことから前任の西村氏とその手腕を比較し、「西村監督は無能、中嶋監督は有能」とする向きもある。成績だけでなく、連日見続けたストレスフルな試合展開や不甲斐ない結果など、その評価を裏付ける要素には事欠かない。
とはいうものの、ここでどうしても疑問が残る。「なんでそんな無能に采配を委ねたのか」「もっと早くに監督を交代できたんじゃないか」と。
しかし、過去に起きたできごとはそうではなかった。だとすればそこには何かの理由があったはずであろうと思いたい。確かに無駄だったのかもしれないが、なぜ無駄に終わったのか、本当に無駄だったのかを確かめたい。
およそ一般的に、何かの仕事に就く者には課せられたミッション(役割)があり、それを果たしたか否かによってその仕事が評価される。
後世の結果を知る身として、西村体制がそれを果たせていなかったであろうことはもうわかっている。だが、そのミッションが一体どんなもので、なぜまたはどのようにそれが果たせなかったのか。これを今一度検証したい。具体的に考えたいのは以下の3点である。
課されたミッションは何だったのか
そのミッションはなぜ遂行できなかったのか
途中辞任の契機は何だったのか
ここで問いたいのは采配や成績の詳細ではなく、「優勝に向けた道筋の中で、西村体制は必要だったのか」ということである。このため、細かい成績の数字や運用の詳細は扱わず、就任から辞任までの経緯と、球団内における評価についてを主に取り扱う。
文字数の都合上前後半に分けることとしたが、前半となる今回は2018年オフの監督就任から2019年オフまでの流れを扱い、次回は後半として2020年の辞任に向けた流れを述べていきたい。その旨ご了承いただけると幸いである。
監督就任の経緯
まず、西村徳文氏の経歴について触れることから始める。
現役時代はロッテ一筋で首位打者1回、盗塁王4回を獲得。1997年に引退後、翌年から同球団でコーチを務め、2010年シーズンから3年間監督の任にあった。初年度となる2010年はシーズン3位ながら下剋上となる日本一を果たし、同年の正力松太郎賞を受賞している。後年オリックスの監督となる中嶋聡氏も日本一に輝いた2022年に同賞を受賞しているが、それに先んじること12年、西村氏はすでにその栄誉に浴している。
そんなロッテのレジェンドと言ってもいい西村氏だが、2016年シーズンよりオリックスの福良新監督(当時)を支えるヘッドコーチへ就任することが明らかとなった。福良氏・西村氏はともに宮崎県の出身で同郷であり、現役時代から親交があったことから福良氏が入閣を希望したことが就任の理由とされる。
なお余談ながら、ロッテ監督時に球団社長を務めていた瀬戸山隆三氏が当時オリックスの球団本部長の職にあった(2016年に退任)。こうした縁もあったのかもしれないが、真相はわからない。
ヘッドコーチ就任から3シーズンが経った2018年、福良監督が成績の責任を取り辞意を表明。球団は慰留したものの本人がこれを固辞し、辞任が確定。後任人事の選定に着手することとなる。
なお、福良監督が球団内で辞任の意向を漏らしたのは9月初旬、辞任が了承されたのが正式発表(9月25日)の1週間前という記事があるため、おそらく9月18日頃には後任選定が始まっていたものと思われる。
この際、後任として有力視されたのは西村ヘッドコーチと田口二軍監督の2名であった。外部招聘の可能性を報じる記事もあったが、9月30日段階の記事では内部昇格の方向に絞り込まれており、おそらく前述の2名から選ぶこととなったのであろうと推測される。
選定の結果、球団は10月5日に西村氏の監督就任を発表。福良監督の辞任発表からわずか10日、球団内で了承されたであろう時期から計算しても3週間弱のスピード決着であった。このプロセスにおいて、湊社長・球団幹部は求める監督像を以下のように語っている。
同日の発表において長村本部長が明かしたところによると、当初西村氏は福良監督の辞任に伴って自らの辞任を申し出たが、球団がこれを慰留し監督就任を要請。これを同氏が受諾し、就任の運びに至ったとのことである。
これら一連の流れから、湊社長が述べている「福良路線の継承者」として西村氏が選ばれ、退団を翻意させてまで監督就任をお願いしていることがわかる。その割に契約が単年だったりするのだが、その経緯からして西村氏が最初から期待されていなかったわけではないものと思われる。
指導体制・方針
西村体制の船出
監督人事は西村氏の就任によって決着の陽の目を見たわけであるが、その西村監督を支えるコーチ陣に変動はあったのだろうか。以下に2019年の一軍コーチングスタッフ一覧を示す。
2018年に復帰した藤井打撃コーチが早くも二軍へ配置転換(翌年オフに退団)しているが、退団者はなし。その一方、二軍から田口壮・勝呂壽統の両氏が一軍へ転任している。外部からの招聘はない。
監督を支えるヘッドコーチには風岡前内野守備走塁コーチが異動し、これによって空席となった内野守備走塁コーチには勝呂氏が就任。また、田口氏(前二軍監督)には「野手総合兼打撃コーチ」という役職が与えられ、打撃面に加えて野手全般の統括を任されることとなった。
やや奇異に映るのが、ヘッドコーチと野手総合コーチが並存する点である。2023年のコーチングスタッフでもヘッドコーチ(水本勝己氏)と野手総合コーチ(風岡尚幸氏)が併存しているが、同年は野手総合コーチが主に二軍以下を対象とした育成面を担当しており、一軍には帯同していない。
一部報道で後任監督候補と目された田口氏であるが、ポスト西村監督として将来の監督就任に向けた準備をするならば、ヘッドコーチに就任するのが一般的なケースである。しかし、実際に起きた人事は前述の通りであった。前年まで二軍監督を務めていた田口氏に対し、一定期間一軍に慣れさせるためだったのか、それとも別の意図があったのかはわからないが、素直に見れば西村・風岡・田口の三氏を軸とした体制で2019年シーズンに臨むこととなったわけである。
求められたミッション
西村新監督の就任会見は2018年10月11日に開かれた。その際に同氏は就任の理由と抱負をこのように語っている。
よくネタにされるのが「機動力」や「盗塁」についてだが、本稿はそこには触れない。それよりも大事なのは、球団から前監督の路線継承を依頼されている点である。
ではその「前監督とやってきた野球」とは何だったのか。言い換えれば、CS進出を逃し続けた福良氏がなお監督として評価され続けた理由は何か。それはすなわち「若手の登用・底上げ」にあったと思われる。
この点は2017年オフの続投発表の時も西名球団社長(当時)が明言しており、中長期的な視野に立ってチームの強化に尽くした姿勢を高く評価している。本当にそうだったかは様々な意見があろうが、少なくとも球団がその点を評価していたことは事実と見て良い。
西村氏が後任監督に相応しいとされたのもこの視点に沿ったものと考えられ、球団が掲げる中長期の成長戦略を継承しうる指導者として、「若手の登用・底上げの継続」というミッションを課されたというのが妥当なところではないだろうか。
2019年 - 続投とその背景
2019年、オリックスは61勝75敗7分の結果を残し、最下位となる6位でシーズンを終えた。
順位で見れば前年の4位から2つ落としたものの、勝敗で見れば前年(65勝73敗5分)から借金を6つ増やした程度である。確かに悪化はしているものの、極度というほどでもない。
いずれにせよ芳しくない成績ではあるのだが、球団は意外にも早くシーズン中の9月21日に留任を要請し、西村監督がこれを受諾。契約は昨年オフと同様に単年であった。
この際に湊社長が取材に応じているのだが、その際のコメントが興味深いので引用する。
要点をまとめると以下である。
編成面は福良GMに一任されている
シーズン当初からチーム全体の若返りを志向していた
二軍では若手の台頭、将来に向けた基盤構築ができつつあることを評価している
西村采配は「結果」ではなく「中身」で続投に値すると判断された
これらコメントから推察するに、「中身」とは「若返り」または「育成」のことを指し、これに即した戦いが一定程度できていたと評価された結果、続投要請に至ったものと考えられる。細かいデータを挙げるときりがないので一例に留めるが、2019年に一軍でなされた実績には以下のようなものがある。特に投手陣については主力先発2名(金子千尋投手・西勇輝投手)が抜けた穴を山本由伸投手の先発転向等による若手の登用で埋め、比較的スムーズに世代交代を図れた点については特筆に値する。
2023年現在の視点から見るとやや隔世の感もあるが、投手・野手ともに若手を登用し、(当時の視点で見れば)翌年以降の希望を見出したことは確かであろう。
山本由伸投手(143.0回)の先発転向、最優秀防御率(1.95)のタイトル獲得
K-鈴木投手(102.1回)・榊原翼投手(79.1回、QS10回)のローテーション登用
ディクソン投手のクローザー転向
2年目キャプテン・福田周平選手の活躍(581打席、OPS.651)
ルーキー・中川圭太選手の台頭(396打席、.OPS716)
ただしその一方、中嶋二軍監督率いる二軍の戦いぶりに対する高評価を明言しており、一軍・二軍それぞれに対する評価の温度差を感じることもできなくはない。
監督人事は続投で決着したものの、コーチ人事には若干の変更があった。2019年と同様、2020年における一軍コーチングスタッフを以下に示す。
配置転換・退団は2名。新任は二軍からの異動が2名で外部招聘は無し。前年とほぼ同様だが、育成を軸としている球団戦略の都合上、一貫した方針の下で指導を継続しようとしたと見ることもできる。
監督を支える体制にも変動があり、片腕となるヘッドコーチの風岡氏が内野守備走塁コーチへ配置転換され、その任には長らく投手コーチを務めた高山郁夫氏が就任。加えて同氏は「投手総合コーチ」なる役職を兼務している。すでに田口壮氏が「野手総合兼打撃コーチ」に就いているため、ヘッドの肩書は残しつつ、投手・野手でそれぞれ総合コーチを置く体制となった。
過去および他球団の例を紐解くと、「ヘッド」や「○○総合」等の監督を補佐する色彩の強い役職が監督の後継候補と目され、こうした役職が増えてくると監督の求心力低下を疑う憶測が飛び交う。前年度のコーチ人事からその傾向はあったが、2019年オフのコーチ人事ではそれがさらに強化されている。加えて西村監督の契約年数が単年であったことも鑑みると、この時点で監督交代は近いうちに予定されていたのではないかとも受け取れる。
なお、福良監督辞任後に監督候補に挙げられていた田口氏はまたもヘッドコーチとはなっていない。西村監督の後継と目されていたのか、今となっては知るべくもない。
ここまで監督・コーチ人事と球団方針について述べてきたが、育成を軸としつつも(短期的な効果のある)戦力補強を行わなかったわけではない。
FA補強もなく、ドラフトも高卒中心であったものの、大物メジャーリーガーのアダム・ジョーンズ選手を獲得。同選手にかける期待は非常に大きいものがあった。ジョーンズ獲得を起爆剤として課題である攻撃力の向上を図りながら、結果を残しつつある若手のさらなる成長によって飛躍を狙う意図が伺える。
中嶋体制以後、幾度となく「育成と勝利」という言葉が飛び交ったが、これは同体制になって始まったものではなく、西村体制でも求められ続けていたのではなかっただろうか。2019年シーズンの成績、若手の成長、そしてオフの補強により「勝利」の要素が強くなった点はあったかもしれないが、これはむしろ当然の流れではある。勝利は目的であり、育成は手段だからだ。
例によって長くなってしまい恐縮なのだが、ここでいったん2019年オフ時点における西村監督のミッション・評価・課題を整理する。
ミッション:育成を軸とした中長期の強化路線の継続
評価:2019年は若手の台頭もあり、成績より中身を見て続投
課題:育成路線は継続しつつも、勝利という結果も追求
後半では2020年前半の西村監督辞任までに至る一連の流れを追い、「西村体制とはなんだったのか」という点について私見をまとめられればと思っている。よろしければ引き続きお付き合いいただけるとありがたい。