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オリ復興記 - 1. 2018年オフ

はじめに

2021年・2022年とパ・リーグ連覇を果たし、2022年は日本一に輝いたオリックス・バファローズ。
最近こそ「強い」と言われるのだが、一方でパ・リーグ優勝、日本一ともに26年ぶりということもあり、過去を知る人間としては一抹の面映い思いを感じることもまた事実である。
そこで、自分なりに「なぜオリックスは強くなったのか」について、一連の動向を時系列を追いながら紐解いていきたい。

いきなりで恐縮だが、「強いオリックス」の構築におけるターニングポイントとなったのは、2018年のオフに起きたできごとにあったと個人的に考えている。このため本稿では、それまでの状況と同年オフに起きた変化について述べることとする。

なお本内容はあくまで個人の感想である。その旨ご留意されたい。

2018年までのオリックス

まず、2018年から過去5年間の成績を振り返る。

2014年:80勝62敗2分(2位) 得点584(3位)/失点468(1位)
2015年:61勝80敗2分(5位) 得点519(5位)/失点548(2位)
2016年:57勝83敗3分(6位) 得点499(6位)/失点635(5位)
2017年:63勝79敗1分(4位) 得点539(4位)/失点598(5位)
2018年:65勝73敗5分(4位) 得点584(4位)/失点468(1位)

2014年、オリックスは惜しくも最終戦で優勝を逃したものの2位となる好成績を残した。これはオリックス・バファローズとしてシーズンを戦い始めた2005年以降2度目の快挙であり、同年オフにはさらなる躍進を願い、総額30億とも呼ばれる大規模補強を敢行した。

しかし、翌2015年は前年に活躍した選手に故障が相次いだ上、補強した選手達も目論見通りの活躍は果たせず、Bクラスに甘んじることとなる。以降も主力選手の故障・補強の失敗を繰り返し、優勝はおろかCS進出も果たすことができなかった。

とはいえ当時のフロント(瀬戸山隆三球団本部長・加藤康幸編成部長体制)も決して無策であったわけではなく、育成の必要性にも着目しており、本体制下で以下の施策が行われている。

  • ドラフト戦略の転換(目先の戦力ではなく、将来を見越した指名へ)

  • キャンプ地の移転(宮古島→宮崎、一軍は2015年、二軍は2016年に移転)

  • 二軍施設の移転(神戸→大阪・舞洲、2017年)

こうした取り組みが行われてはいたが、これらはいずれも長期的な視野に立ったものであり、短期的な戦力の強化をもたらすわけではない。このため、一軍の戦績は芳しくない状態が続き、当時のフロントも退団の憂き目に遭うこととなった。語弊を恐れずに言えば、やや停滞した状態にあったとも言える。

2018年オフのできごと

前述の通り、オリックスの変化について語る上で、ターニングポイントとなったのは2018年オフに起きた3つの出来事であったと個人的に考えている。その出来事とは以下の3点である。

1. 主力選手の流出
2. 福良淳一氏のフロント入り
3. 中嶋聡氏の二軍監督就任

1. 主力選手の流出

2018年オフ、投手では金子千尋・西勇輝選手が移籍、野手では中島裕之選手が移籍し、小谷野栄一選手が引退した。

金子投手は2015年以後思うような成績を残せなかったとはいえ、長年投手陣の柱として君臨し、2018年は100回に登板。西投手は主戦としてチーム最多の162.1回に登板した。この2名でチーム全体のイニングの約20.3%、先発イニングの31.7%を消化している。つまり、両投手の流出によって、投手全体の約1/5、先発の約1/3が消えてしまったのである。

野手に目を移せば、中島選手は251打席でOPS.743、小谷野選手は(引退直前なのに)258打席でOPS.544と、両名合計で509打席、OPS.643の成績を残している。ほぼレギュラー1人分である。
なお2018年のチームOPSは.673と両名の合算より高いが、これはパ・リーグのチームで最低である。彼らの守備機会が多かった1B/3Bに将来を嘱望されるプロスペクトがいたわけでもなく、今や捕手の印象しかない伏見寅威選手(現:日本ハム)が主に1Bを守っていたのもこの頃である。
このため翌年には外国人補強としてジョーイ・メネセス選手を獲得したり、新人の頓宮裕真選手を3Bで起用しようとしたのだが、それはまた別のお話である。

やや脱線してしまったが、主力選手が抜けた場合の対策としては当然「補強」「育成」の片方または両方を行うことが必要となる。しかし、当時のオリックスはFA選手の獲得・慰留の失敗を繰り返しており、また選手年俸も切り詰められるケースが多かった。このことから、一大補強を行えるほどの財政的余力がなく、「育成」を主眼とした戦力強化に改めて舵を切ることとなったものと思われる。そのために球団が打った一手が、次項に記載する福良淳一氏のフロント入りである。

2. 福良淳一氏のフロント入り

2018年9月25日、シーズンのBクラス確定を以って福良淳一監督が辞任の意を表明した。
2015年の森脇監督退任後に代行として指揮を執り、正式な監督としては3年目。就任期間中はCS進出を果たすことができなかった。球団側は続投要請を行っていたが、本人が責任を感じて固辞。これによって辞任の至りとなったのだが、話題にしたいのはこの後である。

監督続投要請を固辞する福良氏に対し、湊球団社長をはじめとする球団首脳はフロント入りを要請した。通常、辞任した監督がフロント入りする場合の役職は「○○アドバイザー」といった名誉職的なものになるのが一般的である。前任の森脇氏も「シニアアドバイザー(SA)」に就任している(2016年を以って退任)。

しかし、ここで福良氏が就任した役職は「育成統括GM」なるものであった。ちなみにこの時点でオリックスにGMという役職は存在しない。フロントにおいて編成の肝となる編成部長は当時長村裕之氏が球団本部長と兼任で担当しており、育成統括GM就任直後は若手育成を中心としたプログラムの作成に着手している。
オリックスの練習における特色として「全体練習の短さ」を挙げられることがあるが、その萌芽は2019年から生まれつつあり、育成の基盤作りはこの段階から始まっていたといえよう。

なお福良氏は2019年6月にGM兼編成部長に就任し、長村氏に代わって編成の全権を掌握することとなった。既に同氏は2019年2月に海外視察を行い、外国人の調査を実施している。本来育成面での管理を職掌とする育成統括GMが外国人調査を行うこと自体が奇妙であるが、もうこの時点でGMの設置・就任は既定路線だったものと思われる。

元々育成に目を向けてはいたが、主力選手の流出によって本格的に育成中心路線に舵を切らざるを得なくなったオリックス。そのため育成面を統括する役職を新設し、フロントの強化を図る姿勢を見せた。では他に必要なのは何か。実際に育成を行う人材である。
そこで行われたのが、中嶋聡氏の二軍監督就任である。

3. 中嶋聡氏の二軍監督就任

2018年オフ、福良監督の辞任により、一軍監督には西村徳文ヘッドコーチが就任した。二軍監督を務めていた田口壮氏は一軍野手総合兼打撃コーチに配置転換となり、これによって空席となった二軍監督には、日本ハムで一軍バッテリー兼作戦コーチを務めていた中嶋聡氏が就任した。

中嶋氏はプロ入りこそ阪急(オリックスの前身)であったが1997年オフにFAで移籍。2015年に日本ハムで選手生活を終えた後は同球団が提携するパドレスでコーチ留学を行い、その後は一軍に戻って指導者経験を積んでいた。現役生活29年、阪急に在籍経験のある選手としては最も遅くに引退したため、「最後の阪急戦士」と呼ばれる。

元々中嶋氏には「二軍で選手を育成したい」との思いがあったとのことだが、そんな中嶋氏の招聘を図るべく、長村本部長が日本ハムの吉村GM(当時)に直談判し、同球団および本人の了承を取り付けることに成功。日本ハムの配慮により、阪急からオリックスに球団の譲渡が発表された日からちょうど30年となる2018年10月19日に退団が発表され、中嶋氏のオリックス入りが実現した。

前述の福良氏は選手生活こそ阪急・オリックス一筋であったが、オリックス監督就任前には日本ハムでヘッドコーチ・二軍監督を務めており、中嶋氏とは少なからぬ関係があったものと思われる。また、球団トップの湊社長も他球団で活躍するOBの復帰を歓迎する発言を行っていることから、中嶋氏招聘は必ずしも長村氏単独の存念ではなく、球団方針の一環として行われたものと見て良いであろう。
ただし2018年オフに行われた監督・コーチ人事でオリックスに復帰したOBは中嶋氏と後藤光尊の2名のみであり、招聘が必ずしも大規模に行われたわけではない。

少し話が逸れるが、疑問なのは「福良氏の育成統括GM就任と中嶋氏の二軍監督就任はセットで考えられていたのか」という点である。ここで今一度、福良監督辞任〜コーチ人事発表までの時系列を追ってみたい。

2018年9月初旬:福良監督が湊社長に対し辞任の意向
2018年9月18日頃:福良監督の辞任を球団内で了承
2018年9月25日:福良監督の辞任発表
2018年10月6日頃:湊社長・福良元監督が会談、フロント入りを要請
2018年10月19日:中嶋氏の退団発表(日本ハム)
2018年10月23日:福良育成統括GM・中嶋二軍監督の就任発表

中嶋氏の退団発表が行われた10月19日以前に招聘交渉が成立していたことは間違いないと思われるが、10月6日前後の時点では福良氏のフロント入りはまだ流動的である。仮に10月6日頃に福良氏のフロント入り了承を受けてから中嶋氏招聘に動いたとすれば、あまりに交渉期間が短い気もする。
球団は立場が何であれ福良氏に対して一貫して残留を要請しているので、交渉期間を考えれば元々は「福良監督・中嶋二軍監督」を構想していたものの、福良監督の辞任を受けてフロント入りに切り替えたという見方もできるかもしれないが、想像の域を出ないため、このあたりに留めることとする。

なお中嶋氏に加え、同年オフにはそれまでパドレス傘下でトレーニング指導を行っていた「世界のナカガキ」こと中垣征一郎氏が育成担当GM補佐兼パフォーマンス・ディレクターに就任している。同氏はパドレス所属前は日本ハムのトレーナー・トレーニングコーチを担当しており、福良・中嶋両氏と既に接点があったものと思われる。現在の同氏の活躍は推して知るべしであるが、監督・コーチ以外の人事にも手が加えられている点は注目に値する。

まとめ

ここまで長々と書いてきたが、言いたいことはつまり「2018年オフの時点で、2023年現在のフロント・現場を担う体制の素地がすでに築かれていた」ということである。
このコアメンバーが「強いオリックス」の構築を進め、以後の躍進につながっていくことになるのだが、記事を書くといつも長くなるので今回はここまでとし、以降複数回に分けて書いていくこととしたい。

もしよろしければご興味を持っていただけると幸甚でございます。第2回目は以下からどうぞ。

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